
伝説的ロックバンドBOØWYの元ドラマー、高橋まこと(72)が、高市早苗首相への過激なX投稿で大炎上し、2026年2月5日に謝罪へ追い込まれた。「ポンコツ」「頭の悪い奈良の民」――その言葉はなぜここまで反発を招いたのか。ロックの象徴だった男の現在地と、著名人発言の責任が問われている。
――謝罪するくらいなら、最初から言うな。その厳しい声は、決して的外れではない。
伝説の屋台骨だった高橋まこと BOØWYという巨大な看板
高橋まことは1954年1月6日、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校出身。
小学生の頃からドラムに親しみ、ザ・ベンチャーズのメル・テイラー、ビートルズのリンゴ・スターの影響を受けた。高校時代には地元福島や仙台でバンド活動を行い、Grape Jamのリーダーとして1974年の「ワンステップフェスティバル」に出演するなど、早くからアマチュアシーンで名を知られる存在だった。
1978年に上京後、長沢ヒロ&HEROに参加するも短期間で脱退。転機となったのは1981年5月、新宿LOFTで行われた暴威(BOØWY前身)の初ライブだった。ドラム募集を知りスタジオセッションに参加、即加入が決まる。
当初6人編成だったバンドは1982年に4人体制となり、氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことという布陣が固まる。
最年長の高橋は「縁の下の力持ち」としてバンドを支え、シンプルで正確、爆発力のある8ビートは「ミスター・エイトビート」「アトミック・ドラム」と称された。「B・BLUE」をはじめ、BOØWYの疾走感は高橋のリズムがあってこそ成立していた。
1982年の『MORAL』を皮切りに、『JUST A HERO』『BEAT EMOTION』『PSYCHOPATH』とヒットを重ね、人気は新宿LOFTから日本武道館、東京ドームへと拡大。1988年4月の『LAST GIGS』で解散するまで、BOØWYは日本ロック史に決定的な足跡を残した。
高市早苗首相への過激投稿 個人批判を越えた一線
問題となったのは、高市早苗首相の政治姿勢そのものを批判した点ではない。
高橋まことの投稿が強い反発を招いた最大の理由は、批判が政策論や思想の違いを超え、露骨な人格攻撃と集団蔑視へ踏み込んだことにあった。
高橋はX上で、高市首相に対し「ポンコツ」「阿保に政治は出来ねえ」「早く辞めろ」といった言葉を連発した。これに対しネット上では、「政治批判と誹謗中傷は違う」「言葉が幼稚すぎる」「ロック以前に人としてどうなのか」といった声が相次いだ。とりわけ問題視されたのが、「頭の悪い奈良の民」という表現である。
この一文は瞬く間に拡散され、「奈良県民へのヘイト」「関係ない人間を巻き込むな」「差別的発言ではないか」と批判が噴出した。支持・不支持を問わず、「首相を批判する自由はあるが、地域全体を侮辱する理由はどこにもない」「これは政治ではなく単なる見下し」と線を引く反応が目立った。
さらに火に油を注いだのが、いわゆる「ドラム外交」動画への反応である。
高橋はプロのドラマーとして「ドラム舐めんなよ」「パフォーマンスとは言えなんだこれは」と酷評したが、この言い回しに対しても「技術論なら言い方がある」「プロがアマチュアを叩き潰す構図」「音楽を盾にしたマウント」との批判が集中した。
SNS上では、「主張が正しいか以前に、言葉が乱暴すぎて共感できない」「怒りをぶつけたいだけに見える」「BOØWYの名前を出すたびに評価が下がる」といった失望の声が広がった。政治的立場の違いではなく、発信者としての姿勢が問われた形だ。
結果として高橋の投稿は、「表現の自由」の議論にすら到達しなかった。議論の入口に立つ前に、言葉そのものが拒絶されたのである。この一線を越えた瞬間、彼の発言は政治批判ではなく、炎上を呼ぶ暴言として消費される運命を辿った。
「プロのプライド」か「ただの暴言」か 批判が集中した理由
高橋の発言に対し、X上では「政治批判と人格攻撃は別」「奈良県民を巻き込むな」「BOØWYの名を汚す」といった声が相次いだ。批判は保守・リベラルの立場を越え、言葉の選び方そのものに向けられた。
音楽家が政治を語ること自体は珍しくない。しかし、高橋の言葉は論点整理や主張の提示ではなく、感情の爆発として消費されてしまった。プロとして培ってきたはずの表現力が、SNSでは刃となって自らに返ってきた形だ。
2月5日の謝罪 「奈良だけ」に向けられた違和感
炎上を受け、高橋は2月5日に謝罪文を投稿した。「言葉を選ばず酷い物言いになってしまった」「奈良の皆様本当にすいませんでした」と述べ、奈良県民への侮辱についてのみ謝罪した。
一方で、高市首相本人への言及や発言内容そのものの撤回はなかった。
この点が「逃げの謝罪」「炎上対応として中途半端」と受け取られ、批判は沈静化しなかった。謝罪後も「最初から言うな」「貫き通せ」「ダサい」といった声が続いた理由はここにある。
著名人の発言責任 ロックの反骨は免罪符にならない
高橋まことは今も現役のドラマーであり、東日本大震災後は福島復興支援にも尽力してきた。
その姿勢や音楽的功績まで否定されるべきではない。しかし、BOØWYという日本ロック史に残る巨大な看板を背負う以上、その言葉は本人の想定をはるかに超える影響力を持つ。
反骨や怒りは、確かにロックの本質の一部である。
だが、SNSという公共空間で放たれる言葉は、ステージ上のシャウトとは性質がまったく異なる。政治批判そのものが問題視されたのではなく、「ポンコツ」「頭の悪い奈良の民」といった表現が、議論を生む前に相手を貶める言語として受け取られた点に、批判は集中した。
さらに炎上を拡大させたのは、その後の対応である。高市首相本人への罵倒には触れず、奈良県民への侮辱のみに限定した謝罪は、「責任の所在をずらした」「都合の悪い部分から逃げた」と映った。
結果として、反骨ではなく保身が強調され、「信念」よりも「格好悪さ」が前面に出てしまった。
ネット上で噴出した「ただの老害」という言葉は、年齢そのものへの攻撃ではない。問題にされたのは、影響力を自覚せず、批判を受けても姿勢を更新できなかった点だ。吠えるなら貫く、謝るなら最初から言わない。その単純な原則を外したとき、反骨は免罪符にならない。今回の騒動は、著名人にとって「言葉の選び方以前に、発言の質そのもの」が問われる時代であることを、厳しく示した。



