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【訃報】ジョルジオ・アルマーニさん死去 91年の生涯とモードの帝王が示した功績と名言 まとめ

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THE ARMANI GROUP AND SUSTAINABILITY
2022 REPORT
THE ARMANI GROUP AND SUSTAINABILITY 2022 REPORTより

イタリアが誇るファッション界の巨匠、ジョルジオ・アルマーニさんが2025年9月4日に逝去した。享年91。最期の日々まで現役を貫いた「モードの帝王」は、スーツを革新し、ハリウッドを変え、世界中の人々に“タイムレス・エレガンス”を示した。その人生と功績、そして人々を惹きつけてやまない名言を振り返る。

 

「モードの帝王」が永眠、ファッション界に大きな空白

2025年9月4日、イタリアを代表するファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)氏が91歳で死去した。同日、アルマーニグループは公式に訃報を発表。かねてより体調不良が報じられており、今年6月のミラノファッションウィークではショーを欠席していた。アルマーニグループの声明によると、彼は「愛する人々に囲まれ、安らかに永眠」し、最期の日々まで「会社、コレクション、そして多くの進行中および将来のプロジェクトに身を捧げていた」という。

イタリアのメローニ首相は「彼のエレガンスと抑制された美しさ、創造性はイタリアのファッションに輝きを与え、世界中をインスパイアした」と追悼の意を表明。海外メディアは彼の死を「絶対的なレジェンド」と称え、ファッション界を牽引してきた「帝王」の死を悼んでいる。その訃報は世界中のファッション関係者やファンに衝撃を与え、彼が築き上げた偉大な功績を改めて世に知らしめることとなった。

異色のキャリアが「モードの帝王」を育んだ道のり

ジョルジオ・アルマーニ氏は1934年、イタリア北部ピアチェンツァで生まれた。決して裕福ではない中産階級の家庭に育った彼は、幼少期から母が軍服やパラシュートの布地をリメイクして作った服を着ていたという。この経験が、後の彼の「シンプルで控えめな、本質的なものを求める好み」を育んだのかもしれないと、本人は語っている。

青年期には医師を志し、国立ミラノ大学医学部へ進学。しかし、在学中に徴兵を経験し、医療の道ではないと悟って大学を中退した。その後、ミラノの百貨店「ラ・リナシェンテ」に勤めてファッション業界に足を踏み入れた。最初は広報部の写真家アシスタントだったが、その鋭い観察眼と美的センスでショーウィンドーのデコレーター、そして紳士服のバイヤーへとステップアップしていく。このバイヤー時代の経験が、顧客の求めるもの、市場のニーズを深く理解する上で大いに役立ったと言われている。

1960年代に入ると、ニノ・セルッティ氏のブランド「ヒットマン」にアシスタントデザイナーとして加わり、約8年間で同ブランドを人気に押し上げた。この頃、彼はフォーマルで堅苦しかったメンズジャケットに、柔らかい生地やクールな色合いを取り入れ始めた。後の革新的なデザインの片鱗がすでにこの時期に見られる。

そして1975年、41歳というデザイナーとしては遅咲きの年齢で、公私にわたるパートナーであった建築家のセルジオ・ガレオッティ氏と共に自身の名を冠したブランド「ジョルジオ・アルマーニ」を設立した。アルマーニ氏は後に「彼の後押しがなければ会社を設立する勇気などなかった」と語っており、ガレオッティ氏の存在が彼の独立を強く後押ししたことがわかる。こうして、百貨店のバイヤーからデザイナー、そして自らのブランドを立ち上げるという異色のキャリアが、のちの「モードの帝王」を形作っていったのである。

スーツに革命を起こした「アンコンストラクション」

 

アルマーニ氏の最大の功績は、間違いなくスーツの概念を根本から変えたことだろう。創業当時のメンズウェアは、厚い芯地やパッドで体を覆い隠す、まるで鎧のような堅苦しいものが主流だった。アルマーニ氏はこれに疑問を抱き、「着る人の個性を際立たせ、一人ひとりの体にフィットする服はないものか」と考えた。

その答えが、芯地やパッドを取り払った「アンコンストラクション(非構築的)ジャケット」だった。医学部で培った人体の構造に関する知識を活かし、解剖学的に人体を美しく見せるカッティングと、柔らかな生地を組み合わせることで、着心地が良く、動きやすい、そして着用者の体型や個性を引き立てるスーツが誕生した。これはまさに、伝統的なテーラードウェアを一掃する革新的な試みだった。

この新しいスーツは、世界中のファッションジャーナリストから絶賛された。アルマーニ氏が目指したのは、服が主役になるのではなく、服を着る人が主役となることだ。この哲学は、彼が生み出したグレージュをはじめとするニュートラルカラーにも通じている。原色のように強い主張をしないこれらの色は、着用者の個性を消すことなく、その魅力を引き出すための「余白」を服に残したのである。

ハリウッドを席巻した「アルマーニ・スタイル」の確立

アルマーニ氏の才能が世界的に知られるきっかけとなったのは、映画への衣装提供だった。1980年公開の米映画『アメリカン・ジゴロ』で、主演のリチャード・ギア氏が着た柔らかな肩のスーツは世界中で大流行し、アルマーニの名は一躍有名になった。この成功を機に、多くのハリウッドセレブたちが彼の顧客となり、アカデミー賞やゴールデングローブ賞などのレッドカーペットでアルマーニのドレスを着用するようになった。

特に、女優のダイアン・キートンが1978年のアカデミー賞授賞式でアルマーニのジャケットを着用したことは、彼をセレブリティ御用達デザイナーへと押し上げる大きな転機となった。しかし、彼は**「仕事をしている人のために服をつくるのが好きなんだ。俳優や女優も働く人間だし、スター云々は関係ない」**と語っているように、彼にとってセレブリティもあくまで「働く人間」であり、彼らの個性を引き出すための服作りを追求したにすぎなかった。

アルマーニ氏がセレブリティに愛された理由は、華やかさだけでなく、彼の服が持つ「着る人の個性を輝かせる」という哲学にあった。彼は「セクシーさとは、肌を露出することではありません。体にあった服を着て自信たっぷりな表情を浮かべる。それほどセクシーなことはないのです」と述べ、着る人自身の内面から溢れ出る美しさを何よりも大切にした。レッドカーペットを彩る美しいドレスもまた、着る人の魅力を最大限に引き出すためにデザインされたものだった。

ファッションを超えた「アルマーニ・ワールド」の構築

 

アルマーニ氏のクリエイションは、ファッションの枠をはるかに超えていた。彼のデザイン哲学は、ファッションだけでなく、住空間や食、ライフスタイル全体に共通するという信念に基づいている。

1981年に誕生したセカンドライン「エンポリオ・アルマーニ」は、「市場」を意味する名の通り、より多くの人々にアルマーニのエレガンスを届けた。また、ミラノ市内に大きな壁面広告を掲出するなど、革新的なマーケティング手法でブランドの認知度を飛躍的に高めた。

さらに彼は、2000年代以降、ホームコレクションの**「アルマーニ / カーザ」やスイーツの「アルマーニ / ドルチ」、ホテルやレジデンスなど、次々と事業を拡大。これらのブランドにも、彼のシンプルでエレガント、そして居心地の良さを追求するという哲学が貫かれていた。アルマーニ氏は「私のデザイン哲学は、過ぎゆくトレンドの追求ではなく、時代を超越した“スタイル”という考えに基づいています」**と語り、流行に左右されない普遍的な価値を追求し続けた。

2005年、70歳を過ぎてからオートクチュールコレクション「ジョルジオ・アルマーニ プリヴェ」をスタートさせたことも、彼の飽くなき探究心と挑戦的な姿勢を物語っている。職人技が光る夢のように美しいドレスは、エレガンスの最高峰として現在も多くの人々を魅了している。

「完璧主義者」の哲学と不屈の精神

アルマーニ氏は、自他ともに認める「完璧主義者」として知られている。彼のオフィスや店舗は、ミリ単位で整えられ、ハンガーをかける間隔まで厳格に定められていたという。このストイックさは、仕事だけでなく、彼自身の人生に対する姿勢そのものだった。

「他人に対してだけでなく、何よりも自分自身に対して、僕はつねに最高の仕事を求めている。中途半端で安住することはありえない」という言葉は、彼の仕事への向き合い方を端的に表している。増え続けるコピー商品に対しては、模倣が難しい入念なディテールやテクニックを駆使した服を発表することで牽制したというエピソードもある。これは、自らのクリエイションに対する絶対的な自信の表れだろう。

また、巨大グループの傘下に入る高級ブランドが増える中でも、アルマーニグループは創業以来、独立経営を貫いてきた。日本経済新聞との書面インタビュー(2022年)で、アルマーニ氏はファストファッションから「スローファッション」への転換を説き、持続可能な業界への移行を提唱した。これは、自身の哲学を完璧にコントロールし、常に最高のものを追求するための選択だった。

彼のこの不屈の精神は、ファッション業界における「革新」を象徴する「モード」という言葉の真の意味を体現している。常に新しいもの、より良いものを生み出し続けることに身を捧げたからこそ、彼は半世紀以上にわたり「モードの帝王」として君臨し続けることができたのだ。

時代を超えて響くアルマーニの名言

 

ジョルジオ・アルマーニ氏が残した言葉には、彼の深い哲学と人間性が凝縮されている。最後に、彼が語った珠玉の名言をいくつか振り返る。

  • 「ハイヒールで不自然に歩くくらいならフラットシューズで背筋を伸ばし前を見て歩く方がずっとエレガントです。」

    見た目の華やかさよりも、自然で自信に満ちた姿勢こそが本質的なエレガンスであるという彼の信念が表れている。

  • 「あなたのスタイルは変わらないと言われることがありますが、私は変わらないということを自ら選択したのです。強い意思が必要でした。」

    流行に迎合せず、自らのスタイルを貫き通すことの難しさと、それを成し遂げるための強い意志を語った言葉だ。

  • 「私はニセモノが嫌いです。見せかけの真実は見たくないのです。」

    常に本質を追求し、虚飾を嫌ったアルマーニ氏のストイックな姿勢が伝わってくる。

  • 「余分なものを削ぎ落とすことによって本質に近づき、時を超越したものができあがるのです。」

    彼のデザイン哲学の根幹をなす言葉。ミニマリズムの追求が、時代を超越した「タイムレス・エレガンス」を生み出したことを示している。

  • 「完全なサステナブルファッションはユートピアかもしれませんが、サステイナビリティは私たちが共に生き、そのために闘うべきユートピアです。」

    環境問題や持続可能性への意識がまだ低かった時代から、理想を掲げ、現実と向き合い続けた彼の先見性と、社会への責任感が感じられる言葉だ。

ジョルジオ・アルマーニ氏の死は、一つの時代の終わりを意味するかもしれない。しかし、彼がファッション界に残した功績と、その言葉に宿る哲学は、これからも私たちの心に深く刻まれ、未来のクリエイションを照らし続けるだろう。彼の生み出した服がそうであったように、彼の人生もまた、人々の心を動かし、生き方をインスパイアする「タイムレスなスタイル」として語り継がれていくに違いない。

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ライター:

女性向け雑誌にて取材・執筆及び編集に従事。独立後は、ライフスタイルやファッションを中心に、実体験や取材をもとにリアルな視点でトレンドを発信。読者が日々の生活をより豊かに楽しめるような記事を提供し続けていることがモットー。

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