ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

我有 才怜さん(その2) – 脱炭素DX研究所所長 #ソーシャルグッド雑談

コラム&ニュース コラム
リンクをコピー
八木橋パチ プロフィール
「ソーシャルグッドな活動をしている誰か」を訪ね、その人との雑談を通じてその活動に込めた思いなどを紹介していく「#ソーシャルグッド雑談」。

今回の雑談相手は、これまでとはちょっと違って、いつもはレギュラー雑談メンバーの我有 才怜(がう さいれい)さんです。
左我有才怜さん、右八木橋パチさん
京都文化博物館の中庭にて

左: 我有 才怜(がう さいれい)

2017年メンバーズ新卒入社。社会課題解決型マーケティングを推進するほか、気候変動への危機感や市民運動への興味から国際環境NGOでも活動中。2023年4月1日、メンバーズ社内に開設された「脱炭素DX研究所」の初代所長に就任。IDEAS FOR GOODと共にWebメディア「Climate Creative」運営中。

右: 八木橋 パチ(やぎはし ぱち)

バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初めて就職。2008年日本IBMに入社し、社内コミュニティー・マネージャーおよびコラボレーション・ツールの展開・推進を担当。社内外で「#混ぜなきゃ危険」を合い言葉に、持続可能な未来の実現に取り組む組織や人たちとさまざまなコラボ活動を実践してきた。近年は「誇りある就労」をテーマに取材・発信している。


手ごたえがない仕事を続ける意味ってなんだろう?
根本解決も大事だけど、いま目の前にある問題の対処・対応もすごく大事
人間はドーパミン欲しさに「問題解決」を求め続けている!?
生まれてくる子どもに障がいがあったら…という不安
プロセスを信じよ – 「いま」を未来の手段にしない


パチ

まずは、おめでとうございます!

「体質的に、ちょっと妊娠は難しいかも…」みたいな話を以前から聞いていたので、ちょっとびっくりしました。ともあれ、我有さんのしあわせはおれのしあわせでもあるので、本当に心から嬉しいです。

我有

ありがとうございます。そんなふうにパチさんが喜んでくれることが私はとても嬉しいです。
出産前にこんなふうにじっくり話せる時間が持てたことも、私にはとても大切なことなんです。

今回は、我有さんの産休・育休記念(?)会!
当連載1回目の雑談相手として登場いただき、そのままレギュラー雑談メンバーになっていただいた我有さんが、なんとこの秋ご出産予定。その後しばらくは育児に専念する予定ということで、今回は再び、我有さんにゲストの側に回っていただきました。
ただ、雑談の中身はおめでたい話に終始するというよりは、ここのところ迷いを感じ続けている私パチの身の上話に…。
 
「妊婦さん相手に、こんな面倒な話を持ちかけていいのかな?」という気持ちもあったのですが、心から信頼とリスペクトを寄せられる我有さんとだからこそ、話したかったのです。

●手ごたえがない仕事を続ける意味ってなんだろう?

パチ

我有さん相手なのですべてをさらけ出すけど、おれ、ここのところずっと、自分の「仕事」に手応えや手触りを感じられることがめっきり減ってきているんだ。

前から「おれは社会を良くしている」なんて思ってはなかったけれど、それでも以前は「おれは社会を良く『しようとは』している」と感じられたんだけど、いまは「これだけで? 本当に?」って気持ちが強くて。

我有

こないだオンラインで話したときもそう言ってましたよね。
「手ごたえがない仕事を続ける意味ってなんだろう?」って。

パチ

うん。「生きるために稼ぐ」は大事なことだけど、「どうにか細々となら生きられる」のなら、稼ぐために仕事しなくてもいいんじゃないだろうか? とか思ったりね。

とはいえ、じゃあ実際に「できること」「得意なこと」「求められていること」が重なって、社会を良くしようとしている実感をおれが持てることってなに? って考えると、浮かばないんだよね。

…そんなふうに考え出したら、これまで自分の行動基盤だった価値観にも、迷いや変化が生まれてきている感覚もあってさ。

我有

それ、なんだか分かる気がします。

私も妊娠して、子どもとの暮らしが始まる近未来のことを考えると、これまで自分が私生活で大切にしてきたことや、仕事を通じて多くの人や企業に伝えようとしてきたことを、このまま続けていけるのかな? …そもそも続けたいのかな? とか思うことが増えてきています。

パチ

そうなのか。それってたとえば、社会もビジネスもサーキュラーな製造・消費を追求して、ゴミを最小化しましょうとか、そういうことに対して?

我有

そうです。

「母さん、もし、僕の質問に1日15分すら向き合う時間が取れないのだとすれば、それって生き方に問題があるってことなんじゃないかな」って息子さんに言われたっていう、ニールセン朋子さんとの雑談、パチさんは覚えていますか?

パチ

もちろん!

我有

あの言葉の意味を最近また考えているんです。

ゴミの最小化をはじめ、環境負荷を下げる取り組みに大きな社会的価値があることは間違いないし、それへの疑いは一切ないんです。

でも、本当に毎日生活するのに精一杯のとき使い捨てのものに頼ることで、大事な人と向き合う時間や、自分や周囲の人をケアするための時間を作り出すことにだって、大きな社会的価値がありますよね。

本当に「価値ある暮らし」って……。

私は、その価値を他人事のようにしか見ていなかったんじゃないだろうか。どちらかだけを「正解」とするのは、少し乱暴な価値基準と判断じゃないだろうかと思うんです。

…単純に、「どちらも大切にしたい」気持ちの板挟みになっているとも言えますけどね。きっとこれから、子育てと仕事の両立に向き合う中で、手軽さや時短に頼らざる得ない場面が増えていくのでしょうから。

相反することだけど、そのどちらの価値にも意味や意義を感じる——これは誰にだってあることだろう。カッコつけて言えば、生きるって、そういう場面にどうにかこうにか折り合いをつけていくことなんじゃないか、なんて思ったり。

でも最近は、「根本的な課題解決を図ること」こそが正しいことであり、価値があることという考え方に、疑いを持たない人が増えている気がします。「対処や対応ではなく、その根本原因を叩くべきです」と。

もちろんそのアプローチは重要だろう。とりわけ機械的、無機的なものに対しては。
でも、人間は生命体だし、社会は有機的で複雑怪奇じゃないですか。

●根本解決も大事だけど、いま目の前にある問題の対処・対応もすごく大事

パチ

おれは社会的にニーズを無視されがちだったり、意見を聞いてもらい難かったりする人たちの支援に関心を持ち、うす〜くながらずっと活動をしてきたんだけど、数年前から「ケア」という言葉を頻繁に耳にするようになった気がするんだよね。

それこそ、我有さんに紹介してもらい雑談相手になっていただいた川地さんも、「Deep Care Lab(ディープケア・ラボ)」という団体の代表を務めているよね。

我有

そうですね。あのときも「ケアという言葉にまつわるイメージ」について話ましたね。
川地さんは「深い次元の体験性を備えたケア」という言葉を使われていました。

パチ

そう。正直、あの頃の自分は今よりも理解がグッと浅くて、ケアが持つ意味の断片的なところにしか目が向かっていなかったなと思う。

ってまあ、今もまだ「全体が見えている」なんてわかったようなことは言えないんだけど、それでも自分がわかっていないことはわかるようになった。それでいまになって、ケアの重要性をとても強く感じているんだよね。

我有

「ケア」がパチさんの価値観や仕事観にも影響を与えているってことですよね、きっと。
それって、ケアの何がどんなふうにですか? もう少し説明してもらいたいです。

パチ

ここ1年くらい、多くのケアワーカーやソーシャルワーカーと呼ばれる人たちに会って話を聞いたり、少しだけお仕事を体験させてもらったりしてきたんだけれど、彼女彼らから「根本解決も大事だけど、いま目の前にある問題——辛さや痛みを消したり減らしてあげたり—への対処・対応もすごく大事」という姿勢を感じたんだよね。

そこで改めて、「じゃあ根本解決と対処・対応の、どちらに救われている人が多いだろうか?」って考えると、後者じゃないかなとも思うんだよね。

いま目の前にあるしんどさをどうにかしてあげているうちに、問題と思われていたものが変質していくこととか、自然と解消していくことって多い気がするんだ。

我有

言われてみれば、人が関係していることに関してはそうかもしれないですね。
いまの話で、以前聞いた「課題解決脳説」のことを思い出しました。

「人間は、問題解決への報酬として、快楽の感情を刺激するドーパミンという脳内物質を放出する。人間はその報酬欲しさに、問題解決を求め続けている——」そんな説です。

そして同時に、この連載の最初の雑談で「脱・成長神話——経済のスローダウンや脱成長という考えも必要ではないか——」という話をしたことも思い出しました。

「問題解決脳と成長神話」……どこか、通ずるものがあるような気がして。

●人間はドーパミン欲しさに「問題解決」を求め続けている!?

パチ

すごくしっくりくる。その話、おれにとってはケアの話とすごく近いものに感じるな。
ケアって「これ以上悪くしないことを目指しましょう」という部分も多くて。

それって一見現状維持、つまり「停滞」として捉えることもできるんだけど、でも周りの環境が悪くなっていく中で現状維持が達成できているってことは、それは成長しているって捉えていいんじゃないかな。

…ってまあ、ここでまで「成長」にとらわれなくていいのかもしれないけどね。
いまを、できるだけ健やかにやり過ごせるようにケアしていくこと。大切だよね。

我有

本当ですね。「これは大問題!」って気に病んでいた事柄も、「でも思い詰めていても、どうにもならないから」と気を紛らわせているうちに、問題が問題じゃなくなっている——思い当たることがわたしの人生の中でもたくさんあります。

ところで、これって、いわゆる「ネガティブ・ケイパビリティ」ですかね。マッキーさんがゲストのとき、話題にしましたよね。

この後、お互いの現在の仕事観と「憧れの仕事」について話をしました。
我有さんの憧れは「助産師さん」だそうです。

「産」や「命」を身体的にも精神的にも支える仕事って、もちろん責任ももちろん大きいけど手触り感がありそうというか、誰かの人生に寄り添う姿がとても人間的でステキだなという印象を持っているのだとか。

おれも、そういう「直接目の前にいる人の役に立つ」仕事がしたいと強く思います。

…でも実際にケアワーク的な仕事をしたら、「自分なりの表現をそこに込めたい」という、創意への強いこだわりが邪魔をするんじゃないだろうかという予感もあります。

早急に答えを急がず、自分にちょうどいい場所と役割、そしてタイミングがきっとあるはずと、焦り過ぎない方がよいんだろうな…。

これもいわゆるネガティブ・ケイパビリティかな。
 最後に、妊婦さん相手にさらにデリケートな話題について、聞いてみました。

●生まれてくる子どもに障がいがあったら…という不安

パチ

「その質問は不快だからやめてほしい」とか「デリカシーなさ過ぎストップ!」って、一切の遠慮なく嫌だったらはっきり言ってね。その前提で、少しわがままに質問させて。

我有さん夫妻は、生まれてくる子どもに障がいがあったらどうしよう? って不安はないの?

我有

もちろんあります。不安です。

パチさんはよくご存じですよね。去年の今ごろ、私が「むぬフェス」でファシリテーターをやった『産magination』というワークショップで、障がいの可能性に対して家族がどう向き合うのか?がトピックの一つだったことを。

いろんな「産む」の立場の即興演劇ワークショップ『産magination』【むぬフェスレポート】

パチ

うん。覚えているよ。夫婦役を演じた二人が「驚いている自分に驚いていた」って話を後日聞いたよね。

我有

そんな経験もしていたし、もともとわたし自身ずっと関心を持っていたことでもあったので、司(夫)と「もし出生前検査を受けるとしたら、その意味ってなんだろう? もし事前に何か先天的なリスクが分かったら、私たちはその子を産まない選択をするってこと?」とか、いっぱい会話しました。

その上で、私たちは、出生前検査は受けないことにしました。
正解がある話じゃないし、間違いなく当事者の考えが尊重されるべき話だと思います。

私の場合は、命のあらゆる可能性を受け入れようって決めたという覚悟のあるかっこいい決意というよりは、検査結果の、その確率論的な「数値」に向き合い、判断を行わなければならないということは、きっと私自身にとっては想像も及ばないほどしんどいことだと思って…。

選択肢を提示されることから、いわば「回避」したという側面も正直あったのかな、と今振り返ると思います。

もちろん、そもそも子どもがほしいかどうかを夫婦で話し合っている頃から、命に関わるいろんな可能性に向き合っていく自分たちであろうという気持ちは根本にはあったとは思いますが。

パチ

やっぱり我有さんに質問してよかった。その決断までのプロセスに対しても含めて、心から拍手を送りたい。いや、送らせてもらうよ。

自分が「子どもを持たない」って10代の頃に決めた一つの理由は、その判断に向き合うことが怖かったからだと、今のおれは思っているんだよね。そしていまだに、命を預かることが怖くて、ペットを飼うこともできないでいる…。

我有さん夫妻の決断と覚悟を心からリスペクトします。

我有

ありがとうございます。でも、いろいろ考えつつも、そこまで重たく考えたくない気持ちもあったかもしれません。

妊娠が分かってから、わずか数ミリの命の存在が、自分でも驚くほどに私の脳内の思考を占めていました。

「わたし、妊娠する前まで普段何考えてたんだろう」ってくらいに(笑)。そうすると、もう気持ちは自ずと「産む」に向かっていました。

それに、もし何かがあっても、子どもも私たちもしあわせに生きられるように努力したいなと思うし、出生前検査ですべてがわかるわけでもないですしね。

これまでの話とも重なるんですけど、「この選択は、わたしの、わたしたちの選んだものだ」とか「自分たちなりにちゃんと考えた、向き合ったよね」と、納得したいだけで。

…って、どうしても「あっちの方が良かったんじゃないか?」は常に付きまとってくるんですけどね。

パチ

そりゃそうだ。だっておれたちは不可解で不合理な有機物の生き物だもん。
そしてこの社会は、そんなおれたちが偶然に乗っかりながら作ってきたんだから。

演繹法みたいにAゆえにBゆえにCなんていってたまるか。
…なんだか、元気になってきた気がするよ、おれ。

●プロセスを信じよ – 「いま」を未来の手段にしない

我有

わたしも、今日最初に会ったときよりも、いまのパチさんの方がエネルギーに満ちている気がします。

パチ

我有さんたちのエネルギーを奪っちゃっていませんように(笑)。

今日の話は、おれたちが一緒にワークショップをやるときに大事にしている考え「プロセスを信じよ」を改めて見つめ直す時間だったのかもしれないね。

そして次の3つをしっかり自分に言い聞かせないとな。おれ、ついつい忘れてしまいがちだからさ。

  • 自分自身をシステムに組み込まれた部品のように扱わない。
  • 安心のためだけに簡単な答えに飛びつかない。
  • 「いま」を未来の手段にしない。

パチ

我有さんの安産としあわせをくれぐれも願っています。暑い夏を、無事乗り切ってね!

我有

パチさんも!

2shot2
京都「新風館」1Fの「本と野菜 OyOy」にて

次回以降、しばらくは1人でいろんな人に会いに行って、ソーシャルグッドな雑談をしたいなって思っています。
テーマは、この一年ほどあちこちでいろんな人に尋ねまくっている「誇りある就労とは?」にしようかな。お楽しみに〜。

Tags

ライター:

バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初めて就職。2008年日本IBMに入社し、社内コミュニティー・マネージャー、およびソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。持続可能な未来の実現に取り組む組織や人たちと社内外でさまざまなコラボ活動を実践し、記者として取材、発信している。脱炭素DX研究所 客員研究員。 合い言葉は #混ぜなきゃ危険 #民主主義は雑談から #幸福中心設計

関連記事

タグ

To Top