
岩手県大船渡市で発生した大規模な山林火災が、地元企業の操業に深刻な影響を及ぼしている。特に、銘菓「かもめの玉子」の製造元であるさいとう製菓は、製造停止の危機に直面している。
山林火災の影響が拡大
2月26日に発生した大船渡市の山林火災は、発生から一週間が経過した現在も鎮火の見通しが立っていない。総務省消防庁の発表によると、焼失面積は平成以降最大規模の2,100ヘクタールに及び、消火活動が続けられている。
この火災の影響で、地元の産業活動にも支障が出ている。市中心部に近い「太平洋セメント大船渡工場」は、敷地の一部が避難指示区域に指定されたため、2月28日から操業を停止。これに伴い、同工場に石灰石を輸送する岩手開発鉄道も運休を余儀なくされ、地域経済に影を落としている。
さいとう製菓も製造停止の可能性
銘菓「かもめの玉子」を製造するさいとう製菓も、火災の影響を大きく受けている。同社の本社や工場は現時点で直接的な被害を受けていないものの、工場が立地する赤崎町周辺が避難指示区域に指定される可能性があり、製造停止の懸念が高まっている。
同社は公式ウェブサイトで「今後、本社や工場が立ち入り禁止区域に指定された場合、当面の間商品の製造ができなくなる」との見解を示しており、オンラインショップでの注文受付や発送の停止、直営店での販売縮小を発表した。実際に、同社の直営店「かもめテラス」は営業終了時間を通常より2時間前倒しする対応を取っている。
さいとう製菓の創業と「かもめの玉子」の誕生
さいとう製菓は1933年に「齋藤餅屋」として創業し、当初は大船渡のセメント工場作業員を主な顧客として、大福やもち、ゆべしなどを販売していた。その後、戦時中の休業を経て、1948年に「齋藤菓子店」として営業を再開。和菓子の製造にも力を入れ、特色ある商品を作ることを決意した。
1952年に販売が始まった「かもめの玉子」(当時の名称は「鴎の玉子」)は、大船渡の海を象徴するカモメをイメージして誕生した。青い海原を飛ぶカモメの姿を思わせるネーミングと、丸い形状の親しみやすさが話題となり、次第に人気を集めた。しかし、創業者一族の健康問題や経営難により、一時は製造を休止する事態に直面する。
1999年には、より柔らかな印象を与えるために「かもめの玉子」へと名称を変更。原材料にもこだわり、黄味餡には北海道十勝産の「大手亡」を使用し、白ザラメや北東北産のキタカミ小麦、新鮮な卵黄を活かした独自の風味を実現した。
幾多の試練を乗り越えた名菓
1960年のチリ地震津波で店がほぼ全壊するという大きな被害を受けたが、家族総出で再建を果たした。
2011年の東日本大震災では、津波により本社工場や直営店が甚大な被害を受けた。同社は一時的に操業を停止せざるを得なかったが、1カ月後には一部製造を再開。その後、設備の復旧を進めながら事業を立て直し、年内には被災店舗や工場の再建を果たした。この震災を乗り越えた経験は、企業の危機対応力を高める契機となった。
その後も品質向上に努め、「かもめの玉子」は全国的な知名度を獲得した。
季節限定品、新商品、そして消費者の声
近年では、季節限定のフレーバーや新商品の開発にも積極的に取り組んでいる。春はいちご、夏はメロン、秋は栗、冬はみかんといった限定品のほか、栗を丸ごと包んだ「黄金かもめの玉子」や、りんご果肉入りの「りんごかもめの玉子」、ビターな味わいの「かもめのショコラン」など、多様な商品展開を行っている。
こうした伝統と革新の両立により、「かもめの玉子」は全国的な人気を維持してきた。しかし、今回の火災により製造が停止する可能性が浮上し、消費者からも懸念の声が広がっている。「かもめの玉子が製造停止の危機とは驚き」「東北土産の定番なのに残念」「一日も早く火災が収まり、製造が再開されることを願う」といった声がSNS上で相次いでいる。
また、「今後の支援策として、製造再開後に購入することで応援したい」との声も見られ、消費者の間でブランドを支えようとする動きも広がっている。
影響は長期化する可能性も
今回の山林火災は、短期間での収束が見込めない状況にある。これにより、地域経済への影響が長期化する可能性が高い。特に、観光業や地場産業への打撃が大きく、企業ごとの対応が課題となる。
さいとう製菓は、2011年の東日本大震災でも壊滅的な被害を受けながらも、わずか1カ月で製造を再開した実績を持つ。今回の火災でも復興への対応が求められるが、同社にとっては厳しい局面が続くとみられる。