自然資本を事業成長の軸に独自の評価手法確立へ
製紙業界最大手である王子製紙の親会社王子ホールディングス(HD)は9月11日、国内の社有林「王子の森」のうち18.8万ヘクタールを対象に、経済的価値の評価を実施した結果、年間5500億円に達すると発表した。
「王子の森」全体は約63.5万ヘクタールに及び、同社が保有する森林の広大さと、自然資本が持つ潜在的な価値の高さを改めて示した。これは東京都の約3倍に相当する面積だ。
今後、自然資本を事業成長の軸に据え、木材由来の新素材開発やバイオマスエネルギーの活用などを積極的に進めていく方針だ。
背景にあるネイチャー・ポジティブ
グローバル潮流として、企業活動が自然に与える影響を軽減するだけでなく、自然を回復させる方向に貢献していく「ネイチャー・ポジティブ」という考え方が広がっている。自然資本会計(※)は、このネイチャー・ポジティブを実現するための重要なツールとして注目されており、企業は自然資本を適切に評価し、その価値を事業活動に反映させていくことが求められている。
今回の発表について、王子HDの磯野裕之社長は、「当社は、これまで森林資源に根付いた事業運営を続けてきた。今回の評価は、その取り組みの価値を改めて認識するものであり、ネイチャー・ポジティブを推進していくという当社の強い決意を示すものだ」と述べた。
※自然環境を「会社経営の資本」として捉えて、その価値を正確に把握するための仕組み
森林の多面的機能と経済的価値
森林は、木材生産だけでなく、私たちの暮らしに欠かせない様々な機能を担っている。
例えば、天然のダムとして、雨水を貯留し、ゆっくりと時間をかけて河川に流すことで、洪水を防ぎ、水資源を安定的に供給する水源涵養機能を持つ。
また、多様な動植物の生息地として生物多様性を保全する機能も担う。さらに、森林の根は土壌をしっかりと固定し、雨水による土壌侵食や土砂崩壊を防ぐ役割も果たしている。
加えて、光合成によって大気中の二酸化炭素を吸収し、酸素を供給する大気保全機能も持つ。もちろん、森林は、人々に安らぎや癒しを与え、心身の健康に貢献する保健休養の場としても重要だ。これらの機能は「森林の多面的機能」と呼ばれ、近年、その重要性が再認識されている。
今回の評価は、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の提言や、自然資本会計の機運高まりなどを背景に実施された。評価にあたっては、林野庁が公表している「森林の公益的機能の評価額について」の手法を参考に、第三者機関の評価検証も受けている。
その結果、「王子の森」は、水源涵養機能で年間2040億円、土砂流出・崩壊防止機能で2750億円、生物多様性保全機能で430億円、大気浄化機能・保健休養機能で280億円などの価値を持つと算出。合計で年間5500億円に達した。
「王子モデル」確立に向けた取り組みと猿払でのプロジェクト
王子HDでは、今回の評価を踏まえ、自然資本会計の導入に向けた検討を進めていく方針だ。国際的な枠組みであるTNFDに参画し、情報開示のあり方や評価手法の標準化などについて、積極的に議論に参加していく。
さらに、独自の定量評価手法である「王子モデル」の確立を目指しており、将来的には、このモデルを業界全体に広げていくことも視野に入れている。この「王子モデル」では、CO2吸収量、生物多様性、土壌、栄養、水の5要素を重視し、森林の価値を多角的に評価していくもの。
具体的には、北海道大学と共同で、森林の重要な5要素の価値評価と自然再生プロジェクトを実施している。中でも、生物多様性の重要度が高いとされる北海道の猿払地域では、「王子の森」の価値を可視化するプロジェクトを重点的に進めているという。
最新のセンシング技術や環境DNA分析などを駆使し、広大な森林におけるCO2吸収量、生物多様性、水源涵養能力などの定量化を進めているそうだ。
これらのデータを定期的に取得・分析することで、森林の状況変化を把握し、「王子モデル」の精度向上と、より効果的な森林管理につなげていく。具体的な定点観測の頻度については、今後、データの蓄積状況や分析結果などを踏まえながら検討していく。
株価への影響は?
今回の発表について、市場関係者からは、「自然資本を定量的に評価することで、企業価値向上への意識を高めることができる」といった声が聞かれる一方、「株価への影響は未知数」という意見もある。
磯野社長は、「すぐに株価に反映されるものではないかもしれないが、長期的な視点に立った投資判断を促すことにつながると信じている」と述べ、投資家に対して、自然資本を重視した経営姿勢への理解を求めた。
今後の展望
王子HDは、製紙業界のトップ企業として、これまで森林資源の重要性を認識し、その持続可能な利用に取り組んできた。今後は、今回の評価結果を踏まえ、「王子の森」が持つ価値を最大限に引き出しながら、事業成長につなげていく考えだ。
具体的には、木材由来の新素材開発やバイオマスエネルギーの活用、森林の観光資源化などを推進する。磯野社長は、「森林の価値を高めるためには、イノベーションが不可欠だ。私たちは、これからも研究開発や技術革新に積極的に取り組み、森林資源の可能性を追求していく」と強調する。
「木を使うものは、木を植える義務がある」。これは、戦前の三井財閥の中心人物の一人で「製紙王」と呼ばれた藤原銀次郎王子製紙社長(初代)の言葉だ。80年以上も前に語られたこの言葉は、自然資本を重視する企業姿勢の原点として、今日の王子HDにも脈々と受け継がれている。
自然と共生し、その恵みを未来につなぐという、企業としての責任を果たしていくことが、持続可能な社会の実現へと繋がっていく。