
「私は120歳まで働く」そう豪語していた稀代のカリスマ経営者が、最悪の形で表舞台から姿を消した。12月19日、ニデック創業者の永守重信氏が代表取締役を電撃辞任。しかし、それは「名誉」とは程遠い、あまりに不透明な幕引きだった。
隠しきれない「負の遺産」と直筆の弁明
市場を揺るがす877億円の損失計上、そして東証からの「特別注意銘柄」指定。第三者委員会の調査報告という“審判”を待たずして投げ出された辞表の裏には、一体何があるのか。
同社が公開した書面には、永守氏の直筆署名とともに、彼の強烈な自負と、どこか開き直りとも取れる異例のメッセージが綴られていた。この生々しい独白をそのまま公式資料として世界に晒してしまうところに、良くも悪くも「永守教」とも言うべき、この会社の強烈な体質が凝縮されている。
永守重信氏 メッセージ全文
・1973年、私は、たった四人で日本電産を創業した。人もいなければ、金もない。設備はもとより、技術も知名度もない。小さなプレハブ小屋からのスタートだった。そして、50年間、ニデックを世界一の総合モータメーカーとするべく、社員とともに、ひたすら一生懸命、どのような困難からも逃げずに、ニデックを経営してきた。
・今年の夏、ニデックに不正経理の疑いが生じ、第三者委員会が立ち上がり、東京証券取引所から特別注意銘柄指定を受けた。
・特別注意銘柄指定解除後のニデックが早く再生し、生まれ変わることが私の一番の願いであり、そのことが社会的公器である企業として重要なことであると考えている。
・不正経理の疑いについて、ニデックのこれまでの企業風土に問題があるといわれることがある。私は、創業者としてニデックを企業風土も含めて築き上げてきたが、ニデックの企業風土が云々(うんぬん)と言うことで、世間の皆様方に、ご心配をおかけすることになった。この点、申し訳なく思っている。
・ニデックの再生が最重要課題の今、私は、ニデックの経営から、身を引くことにした。グローバルグループ代表、代表取締役及び取締役会議長を辞する。そして、名誉会長になる。
・今後のニデックの経営は、岸田社長にすべて委ねる。これで、ニデックは、しっかり再生できると信じている。
・これまで、永きにわたり、大変お世話になり、誠にありがとうございました。
令和7年12月19日 永守重信
辞め時を誤ったカリスマの末路
組織の長として辞任の形はとったものの、疑惑の真っ只中での退陣に市場の視線は冷ややかだ。SNSや投資家の間では「名誉どころか、事実上の引責による『不名誉会長』ではないか」という辛辣な声が相次いでいる。
一代で巨大帝国を築き上げた功績は日本経済の金字塔だが、あまりに強大すぎたその力が「引き際」を狂わせた。かつて決算説明会の場で、次期社長の発言を遮って自ら喋り倒す姿は、同社の危うい独裁体制そのものだった。
同様のカリスマ企業であった「ファナック」の稲葉元社長が、バトンを渡した後は公の場でのコメントを一切後任に任せ、綺麗に身を引いたのとはあまりに対照的だ。
「呪縛」からの脱却、再生へのラストチャンス
今回の不祥事はニデックにとって創業以来最大の汚点だが、同時に「永守依存」から脱却する唯一の好機でもある。名誉会長というポストに退いた後、永守氏がどれほどの影響力を残すのか。
これまでも後継者にバトンを渡そうとしながら、つい口を出してしまった過去があるだけに、岸田社長率いる新体制が真に自立できるかが試されている。
しかし、この混乱こそがニデックにとって唯一の再生のチャンスでもある。創業者の強烈な呪縛を解き放ち、組織としてのガバナンスを再構築できるか。今回の不祥事を膿を出し切る好機に変え、透明性の高い健全なグローバル企業へと生まれ変わることができれば、ニデックにはまだ未来がある。名誉か不名誉か、その最終的な答えは、これからの岸田体制が歩む再生の足跡によって決まることになる。
この混乱をきっかけに、同社が「創業者の呪縛」を解き放ち、真のグローバル企業へと生まれ変わることができるのか。岸田体制による「再生」という名の戦いは、今この瞬間から始まる。



