
神奈川県鎌倉市に拠点を置く美術予備校「湘南美術学院」を運営する有限会社金沢アトリエが、デジタルトランスフォーメーション(DX)を通じて年間3,000万円もの経費削減に成功した。経営改革を推進したのは、代表取締役・尾竹仁氏。それまで美術とは無縁の人生を歩んできたが、広告業界から転身し、赤字経営だった家業の予備校を再建するという異色の経営者だ。
常識を問い直す視点で描いた経営改革のスケッチ

尾竹氏は1988年生まれ。親の離婚や留学経験など、多様な環境で育つ中で、幼少期から「みんなと同じであること」に違和感を抱くようになった。大学ではホームレス問題を扱ったドキュメンタリー制作に没頭し、卒業後は広告・映像制作の世界へ。しかし商業主義への違和感が募り、「教育から社会を変えたい」との思いから、2015年に父が経営する金沢アトリエへ入社した。
当時の金沢アトリエは慢性的な赤字に陥り、運営は属人的かつアナログに偏っていた。美術出身ではない尾竹氏が改革に取り組むにあたって、これまでの方法にこだわる現場との軋轢が生まれることは覚悟していたが、「教育から社会にアプローチしたい」という信念のもと、まずは組織の体力を立て直すべく、対話と透明性を軸に経営改革を断行した。
全社DXと「決済権の解放」で経営を反転
同社が導入した改革は多岐にわたる。業務のクラウド化により、顧客・勤怠・教材管理のすべてをシステム化。これにより業務効率が飛躍的に向上し、人的ミスも激減した。経営データを可視化することで、コスト構造も改善し、赤字体質からの脱却に成功した。
象徴的な施策が、「社員への決済権限の分配」だ。階層的な承認プロセスを撤廃し、現場の判断で迅速に意思決定できる体制へと移行。社員の主体性が高まり、顧客対応のスピードと質も向上したという。
教育×アート×地域再生へ “美術で世界を変える”志
尾竹氏が掲げるコーポレート・アイデンティティは「美術は世界を変えられる」。この信念に基づき、同社は単なる進学支援にとどまらず、社会人向けのアート研修、地方創生連携、高校生への通信制支援、美術の通信教育などを次々に展開してきた。
たとえば渋谷に展開する「VALLOON STUDIO」では、予備校卒業生や現役クリエーターの活動支援を実施。展示会や作品販売、企業向けアート思考研修も行っている。また、通信制サポート校「VALLOON高等学院」では、“夢が決まっている若者”のための学び場を提供し、「好き」を起点に、一人ひとりの表現や挑戦を尊重する教育を行っている。 「早期スタート」への支援を強化している。
「異端」が切り拓く教育の未来
尾竹氏の取材から浮かび上がるのは、美術を単なる進学手段ではなく、人生を切り拓く創造の力と捉える視座である。従業員160名を擁する金沢アトリエは、今や美術教育を軸に新たな社会価値の創出を目指すラーニングカンパニーへと進化を遂げつつある。
経営者としての武器は、美術教育の専門家でないからこその、ある種“異色”な視点という「異端性」だ。それが現場の常識を問い直す力となった。それと同時に尾竹氏自身の人生が、そのまま同社の変革の軌跡と重なる。誰もが違ってよい——そうした信念が、アートと経営の双方に宿っている。
