「目が見えなくなって初めて、世の中にある情報のほとんどが視覚に頼っていることに気づかされました」。そう穏やかに語る古矢利夫さん(75)は、NPO法人「ことばの道案内」の理事長を務める。30年以上前に網膜色素変性症を発症し、徐々に視力を失っていった。税理士として顧客と向き合いながら、視覚障がい者の社会参加の難しさを身をもって感じてきたという。
顧客の決算書も見えていた時代
「板橋で税理士事務所を開業し、毎日がとにかく必死でした」
古矢さんは、そう当時を振り返る。顧客の企業を回り、決算書とにらめっこする日々。忙しさのあまり、自身の体の異変に気づくのが遅れた。
「最初は霞がかかったような状態でした。それが日に日にひどくなり、やがて夜になるとほとんど見えなくなっていきました」
異変を感じながらも、なかなか周囲の人には言い出せないまま月日が経っていった。
目が見えなくなってから気づいた「情報バリア」
視力を失っても税理士の仕事を続けながら、古矢さんは登山など趣味も楽しんでいた。しかし、視覚障がい者の多くが、外出や情報アクセスに困難を抱えている現実を目の当たりにする。厚生労働省によると、視覚障がい者は全国で約30万人。盲導犬はわずか1,000頭ほどしかいないのが現状だ。
古矢さん
「家族やボランティアに頼らざるを得ない状況では、自分の好きな時に好きな場所へ行くことすら難しい。ましてや仕事となると、選択肢は限られてしまう」
「障がい者は常に誰かのサポートが必要となる。それがどれほどの心労かは、なった人にしかわからないでしょう」
古矢さん自身、一人で外出することが困難になり、もどかしさを感じていたという。そして、自由に外に出歩けることの喜びを、改めて実感した。
「自分の行きたい時に、行きたい場所へ、自分の足で行ける。当たり前のことかもしれませんが、私にとってはかけがえのない喜びです」
そんな中、転機となったのは視覚障がい者向けのIT支援活動だった。パソコン教室を開設し、音声ソフトを活用した情報アクセス手段を伝える中で、あるアイデアが浮かんだ。それが「ことばの地図」だった。
「ことばの地図」で広がる世界
「ことばの地図」は、目的地までの経路を音声で案内するシステムだ。特徴は、視覚情報に頼らず、周囲の音や触覚、そして詳細な位置情報と方向指示を組み合わせている点にある。例えば、「30メートル先、右手に自動販売機があります。その2メートル先を右に曲がってください」といった具合。
開発当初はカセットテープに録音して配布していたが、現在はウェブサイトやスマートフォンアプリで簡単にアクセスできるようになった。「ことばの地図」は、全国3,000カ所以上の公共施設や駅、商業施設などで利用可能となり、毎月数万件のアクセスがあるという。
「一人で外出できるようになった」「行きたい時にどこへでも行けるようになった」――。利用者からは喜びの声が寄せられ、情報バリアフリーの新たな形として注目を集めている。
企業との連携で活動の幅を広げたい
「ことばの地図」の作成は、現在もボランティアの力に大きく支えられている。古矢さんは、企業の社会貢献活動の一環として、ボランティア参加を呼びかけている。
今年は、外資系製薬会社のヘイリオンや他の外資企業らが社員ボランティアを派遣した。「ボランティアに対する意識の高さ、そして何よりも行動力が素晴らしいと感じた」と古矢さんは語る。一方で、日本企業からの問い合わせはあるものの、具体的な行動に移るケースは少ないという。
「ボランティア休暇制度など、企業として参加しやすい環境づくりも重要だが、社員一人ひとりが社会貢献活動に対して、当事者意識を持って取り組むことが大切だ」。
誰もが活躍できる社会を目指して
古矢さんは、情報バリアフリーは、視覚障がい者だけでなく、高齢者や外国人など、多くの人にとって重要な課題だと訴える。
「誰もが自分の可能性を最大限に発揮できる社会を実現するためには、様々な人に寄り添い、共に生きるための環境づくりが欠かせない」
古矢さんの挑戦は、情報バリアフリー社会の実現に向けた、大きな一歩となっている。