森一成氏
奇跡の介護経営を実現するイノベーションとは何か?離職率7%、残業時間月平均7時間……人が育ち、定着する組織として実績を上げ続け、充実の介護サービスを提供する社会福祉法人合掌苑。今回、その改革を主導した同苑理事長 森一成氏と、改革を並走したコーチングのプロ 渡邊佑氏が介護業界の経営イノベーションとは何かについて語り合った。
イノベーションの前提とは?~脳科学から見た課題
渡邊佑氏
まず、はじめに私の方から、イノベーションの前提となる人間の脳の仕組みについてお話しします。私は、日ごろから数多くのコーチングを実施しており、組織や個人が進むべき方向に向かって自身を変えることで目的地にたどり着けるよう支援しています。その時、脳科学の知識を活用するのですが、実は脳内に情報の知覚に影響するするフィルターがあり、イノベーションに大きな影響を与えるのです。
これは脳幹網様体脳幹網様体賦活系(Reticular Activating System、以下RAS)というもので、生命体の維持のために無意識に、有用な情報かどうかを判別しているのです。逆に、有用でないと判断したものはブロックしてしまう。つまり、RASが働くことで、心理的な盲点が出てくるのです。これを「ストコーマ」と言います。
イノベーションは新しいチャレンジですが、リスクも伴います。このとき、RASが作動することでストコーマが発生し、本当は変わらなければならないことが、見えなくなっている可能性があるのです。つまり、無意識のうちに、イノベーションを避け自分にとって心地よい場所=コンフォートゾーンに止まろうと脳は作用します。これがイノベーションの阻害要因の一つなので、注意する必要があります。
介護業界の問題とは?
渡邊:合掌苑は、2018年2月 に、第8回「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」実行委員会特別賞受賞、また2018年11月には、日本経営品質賞経営革新推進賞を受賞されました。これらは社会福祉法人としての革新的な経営活動が評価されたものです。
今回はイノベーションが困難な介護業界で合掌苑はどのような経営をされてこられたのか、また、介護業界はどうすればイノベーションができるのか?をテーマに対談をすすめてまいりたいと思います。イノベーションとは業界の常識を超え、未踏の境地に至ることとも言えますが、わかりやすく可視化すると次のようになるかと思います。
先ほどもお話ししましたが、通常、組織は自社にとって心地よいコンフォートゾーン(ここでは業界常識ゾーン)をもっていて、なかなか抜け出せず革新ができません。今回は合掌苑が、そこからどのように脱却し、「人を大切にする経営ゾーン」に入られ、幸福経営を実践されているのか。そのための組織改革をどのように実現されたかを伺っていきたいと思います。
介護業界の問題とは、人の採用定着の問題といっても過言ではありません。介護は労働集約型産業で、組織を担う人材がすべてです。よって、サービスという価値そのものを創造している人が大切だと業界では認識しているはずです。しかし、人を募集しても集まりませんし、すぐに辞めてしまうと思っている。
しかし、そういった常識にとらわれ人材に関す業界の問題が見えていないのではないかと思います。改めて、森理事長からご覧になられて介護業界の問題とは何でしょうか?
森:介護業界では、支援をさせていただいている方々が社会的弱者です。働く従業員が、そういった顧客に心を込め満足度を上げなければならないというプレッシャーのなかで、やることが増え、スタッフが疲弊していく。サービス産業全体の特徴かもしれませんが、やれやれの中で疲弊して辞める。サービス残業はあるのがあたりまえ。そこをどうするかという視点が欠落しています。
現実に、介護業界が世の中的にひどいと言われていて、マスコミもひどいと言っている。でも応募してくる方々は、人のお世話がしたいと思って入ってくるのです。就業観が変わり、人の役に立ちたい方々が増えているというお話が坂本先生からもありました。その傾向は確かにあり、人の役に立ちたいという素晴らしい人が多いです。しかし、結果はそういった方が疲弊して辞めていく。構造的にそうなっているのが大きな問題なのです。
私たちの仕事は、人々の不幸に寄り添う産業であって、不幸がない人は来ないのです。しかし、その不幸を何とかしようとして、根源になっているものが解決できるかというと、障害者を健常者に変えるように難度が高く、ほとんどの場合不可能なんですね。でもその状態でも幸せだと思えるように、どのようにサービスしていくのか?という使命感で仕事に組んでいます。
サービスを作っているのは従業員に他なりません。介護という商品を売っているのではなく、働いていることそのものが商品。つまり、商品は気持ちの上に成り立っているのです。そこで、どうしてもやり過ぎてしまいます。
サービスは24時間型なので、交代制にはなっているのですが、帰る時、誰かが仕事をしていると、誰かが手伝い始める。このため、どうしても働きすぎてしまう。Aさんがやりはじめると、Bさんもやるようになる。頑張ってるねなどと上司が評価すると、Cさんもやり始めてしまう。そして皆やりはじめ、サービス残業をして帰ることになるのです。サービス残業をやっている人に頑張ってるね、ということはもっとやれというメッセージになり逆効果です。
そういった、サービス残業をどのように減らしていくのかという考えが業界になかった。構造的な問題を解決しようとしていないのが介護業界の今の姿ではないかと思います。
従業員の実態を知るための満足度調査はどのように行うのか?
渡邊:職員を大切にするためには、まず満足度を把握する必要があります。合掌苑では職員の満足度調査はいつから実施されているのでしょうか?
森:13年前から毎年やっています。最初はもう悲惨でした。うちはなんてブラックな会社なの?と思え、辛かった。しかし、臭いものに蓋していても意味がない。腐ったところを変えないとやがて発酵しています。ちゃんと声を聞くことが重要なのですね。
どこに問題があるのか? 耳の痛い話もあるが、聞いたことを一つ一つ改善していくことが大切なのです。最近では、満足度調査をやっても文句の数自体は変わらないのですが、文句の質が大きく変わりました。
最初は、給料が安い、有給休暇が取れないとか。また、誰かがトイレットペーパーを持って帰ったとか、わけのわからないものもありました。しかし最近では、前向きな文句、というより改善の意見になってきた。満足度を高めるためには、職員ともっとコミュニケーションを取らなければなりません。改善を繰り返すしかないのです。
業界的には第三者評価が義務けられていますが、その時満足度調査を入れるというチャンスはあります。しかし、一回やって辞めるというケースは多い。しかし、継続してやらないと意味がないのです。
組織が変わった契機は何でしょうか?
渡邊:森理事長の組織は、先ほどの人を大切にする経営というイノベーションのゾーンに入られたわけですが、何年目で変わったとか実感はありますか?
森:少しづつ変わっていくのでいつとは言えませんね。満足度調査の続きで言えば、最初は管理職と一般職の差が大きかったです。管理職層の満足度は高いが、一般層の満足度は低い。パートの方がむしろ満足度は高かった。そういった逆転現象が起こったのはなぜかというと、組織への参画の仕方がもとより違うからです。
乖離が縮まったのはアメーバ経営をやるようになったからです。そこからぐっと縮まりました。アメーバ経営では、働きやすさをいかにつくるかを重視し、労働時間管理を徹底し、サービス残業管理をやるようにしました。
従業員満足度調査をやり、600人全員にDMを送りますが、そこから400人分が戻ってくる。出せ出せとは言わないので出さない人もいるからです。しかし、第三者評価を委託している先生からは、これだけのアンケートが戻る中で、残業時間が多い、休憩がとれないといった批判的なコメントがない法人は始めてだと言われました。
アメーバをやりはじめてから、時間管理を個人がやるようになり、改善しているわけですが、一般職員は結構、労務管理の詳細の決まり事を知らなかったりする。有給休暇を知らない、1日の労働時間、月の労働時間の法定ルールがわからない。当初は、残業を何時間減らせと言うとサービス残業が増えるだけでした。
しかし、やりはじめたときサービス残業が1人月27時間あったものが、4時間を切ってきました。そして、昨年のサービス残業は2.1時間です。全職員平均、一日にすると10分です。アメーバをやりはじめてわかったことは、情報格差の根源が、有給休暇を知らなかったりするなど情報不足にあることが多いとわかりました。
情報格差が意識の差につながるのです。アメーバ経営をやると、皆で取り組むことにより、情報格差がなくなっていく。全員に経営情報を開示しながら、今30以上のチームが活動しています。今不満が出ないのは、情報が共有できているからということが大きいです。
例えば、アメーバをやる前、ものを買ってくれないと文句をいっていた職員が、裁量で自由に買えるようになると、その時からお金を使わないようになりました。子供が親の懐事情を知らないとき、小遣いが少ないと文句をいっていたようなものです。組織の経済状況を知ってくると逆に、買えといっても、ものを買わなくなるのです。
今は、アメーバリーダーも若手がやるようになってきていて、3年目の子に、サービス残業するなと古参の職員がハッパをかけられたりしています。
イノベーションができる組織の特徴、経営者の役割とは?
渡邊:イノベーションができる組織はどんな特徴があり、またどんな経営者の役割があるのでしょうか?
森:坂本先生の5人の順番でいうと、優先順位はやはり社員と家族が圧倒的に高いです。人手不足の介護の最重要テーマですから。
介護業界の人材不足はこれから、よくなることはありません。ますますお年寄りの数は増えていく。こと町田市においては、国のトレンドよりもお年寄りの増え方の角度が急勾配です。20年後には高齢者が4万人となり、そのうち85歳以上が1万人になります。85歳の方々は、ほとんど独居状態で要介護です。
普通に考えると、今従業員が600人ですが、介護サービスは1対1の手厚さが必要となります。そうすると職員が1万人必要になります。こういった中、今の状況では人材募集がまったく効きません。求人広告、ハローワーク、新卒採用も全部だめ。しかたなく、人材紹介を使うとしても、登録型人材紹介で100万円払ってすぐに辞められたら、途方に暮れてしまいます。
現実に、人手不足倒産が起こっています。今閉まっている事業所は人が採用できないから閉まっているのです。そこをどうしていくかの答えは、「あそこいいから」と良い評判をもとに来てもらうしかない。そこに真剣に取り組まないと未来はないです。そして、辞める人がいない経営をしなければなりません。辞める人が悪いのではない。今働き口がない人はいないのですから。
また、外国人も入ってきますが、悪い情報はSNSで拡散も早い。「あそこ悪いよ」と情報が流れたらもう来ない。よって、私は経営者として、職員を見ることに注力しています。職員には、これが経営者の仕事で、お客様のことはあなたたちがやるんだと言っています。
以前、元リッツカールトーンの高野さんにお話を聞きしに行っていたころ、印象的だったのが「変化することが前提になっている組織は、変化しないことが前提になっている組織より経営がやりやすい」との言葉でした。変化することをちょっとまって止めることは簡単なのです。だから、変化し続ける組織としていく必要があります。
彼らには前提として、環境は変わっていくが、あなたたちが幸せに満足して働けるとういこと目指しているのだと、そこを伝えています。変化を恐れずやり続ければ、結局彼らもあきらめて文句言わなくなる。
世の中はどんどん変わっていくので、企業は環境適応業である必要があります。人は安定したところにいたい、しかし、変わっていかないとどんどん取り残されていく。経営者はそういったことをもっと従業員に伝えるために勉強すべきです。経営者が一番勉強する。勉強しないとイノベーションをしようと思っても確信が持てません。持てていないと従業員に反論されると反対に自分が折れてしまいます。
<書籍>
介護経営イノベーション
http://www.horei.com/book_978-4-86280-665-9.html
<プロフィール>
森一成(もり かずしげ)
1961年、神奈川県生まれ。IT企業のプログラマーを経て、社会福祉法人合掌苑理事長に就任。平成5年、特別養護老人ホーム合掌苑桂寮を開設、その後も高齢者施設や在宅サービス事業の展開を図ると同時に地域の社会貢献活動にも力を入れている。また、全国各地の団体や大学から「介護業界の次世代人材の活性化について」、「人材定着を図るための実践」等をテーマとした講演依頼が多数あり、積極的に活動を続けている。
第8回日本で一番大切にしたい会社大賞実行委員会特別賞、2015年東京都女性推進活躍大賞受賞、2015年町田市仕事と家庭の両立推進企業受賞賞を受賞。
渡邊 佑(わたなべ ゆう)
合同会社Coaching 4U代表
1986年生まれ。2009年早稲田大学卒業後、京セラグループのコンサルティング会社(現・京セラコミュニケーションシステム株式会社)入社。稲盛和夫氏が考案した「アメーバ経営」のコンサルティング業務に従事。2015年3月早稲田大学商学研究科ビジネス専攻にてMBA(経営管理修士)取得。 コーチングの大家ルー・E・タイス、機能脳科学者苫米地英人との出会いを経て、2014年12月Tomabechi Institute認定 パフォーマンス・エンハンスメント・コーチに。 2016年4月Coaching 4Uを設立。個人・組織向けのパフォーマンス向上目指したコーチングソリューションの提供および組織変革コンサルティングを手掛けている。