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渋沢栄一とステークホルダー資本主義~渋沢栄一再考

サステナブルな取り組み ステークホルダー資本主義
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photo by pixta 渋沢栄一

2019年4月9日、財務省、日銀は紙幣を2024年度上半期に一新すると発表、これにより、渋沢栄一(1840年~1931年)の知名度は一気に国民的レベルに高まった。しかし、他の明治の傑物に比べて、実際にはどのように考え行動していたのかについてはあまり知られていない。本稿では、渋沢のステークホルダー資本主義に通ずる思想について簡単に考察してみる。

 

 

渋沢栄一再評価の機運

先述の紙幣刷新発表の会見で、麻生太郎財務大臣は次のようにコメントした。「日本銀行券の表面の肖像につきましては、明治以降の文化人の中から選定するという前2回の改刷時の考え方を踏襲いたしております。一万円券には日本資本主義の父とも、日本の経済近代化の最大の功労者とも言われる渋沢栄一・・」。

 

また、同年9月には、2021年のNHK大河ドラマでも渋沢栄一を取り上げることに決定。「青天を衝(つ)け」(作・大森美香、主演・吉沢 亮)の放映が決定している。NHKの企画意図では次のように紹介されている。「(略)一貫性のない生き方のように見えて、その道は、幼きころより学び続けた「論語」の精神に貫かれていました。(略)少子高齢化が進み、人口減少に拍車がかかる日本。右肩上がりの成長が期待できない時代に、私たちはどう歩むべきなのか……。逆境の中でこそ力を発揮した渋沢栄一の人生を見つめることで、私たちの生きるヒントがきっと見つかるはずです」。

 

混迷するポスト資本主義の日本の経済社会にあって、渋沢栄一の人生論や経営思想が今求められているのは間違いない。

 

 

渋沢栄一の考えた資本主義の構想は、ステークホルダー資本主義だった!?

構想力に秀でた渋沢栄一は日本の経済を発展させるには、産業資金が必要で、最初に銀行を設立し社会全体に金融の普及をはかるべきと考えた。そこで近代的な金融制度確立の法的根拠となる国立銀行条例(国立は、国法によるの意味合い)の起草に参画し、条例を成立させる。

 

その後まもなく大蔵省を去り、自らその条例に基づき、1873年(明治6年)に日本初の近代的な民間銀行として第一国立銀行(現みずほ銀行:銀行コード0001)を誕生させた。渋沢栄一が最初に銀行を作った意味合いを、5代目の孫にあたる渋沢健は次のように語っている。

 

「もともと栄一の頭には経済社会の全ステークホルダーを意識する考えがありました。会社組織は経営者の利益追求だけでなく、社会全体を発展させる必要がある。その元になるのが銀行だと。

 

第一銀行設立にあたって、71人の株主を集めたわけですが、株式募集にあたり、次のように説得しました。『銀行というものは、全国津々浦々の溝に貯まっている水を放置しているのではなく、それらを集めて流れをつくり、やがては河にしていくというもの』だ。つまり、国民から集めて合算した、潤沢な資金を産業界に流すという社会的な使命を担っているんだと。

 

資本集めやその後の預金集めにはそういった考えへの共感が必要でした。つぎに、集めたお金を企業に融資し、共助の精神で助け合っていく。企業はそれぞれに得意不得意があるから、不足分を足し合う。いわば足し算の世界です。そして、さらに共創。これは掛け算の世界で、ともに新しい産業を創造していく。この共感、共助、共創からなる産業社会を彼は理想としていたのでした。このためには、経営者や社員だけでなく、仕入れ先、顧客、といった資本が合わさって運営される必要がある。よって、彼は資本主義ではなく『合本資本主義』と言っていたのです。

 

栄一はハーバード大学の日本研究においても以前から研究されており、この『合本資本主義』Stakeholder Capitalismと訳されています。昨年、ビジネスラウンドテーブルの議長を務めたジェイミー・ダイモンはその話を知ってか知らずかStakeholder Capitalismという言葉を使っています。ようやく栄一の考えに世界が追い付いてきた感があります。」

 

つまり、渋沢栄一の経営思想の源流には、もとからステークホルダー資本主義のイメージがあったということなのだ。

 

 

渋沢栄一の思想の背景

桜美林大学の太田哲夫は「渋沢栄一の倫理思想~その伝記との関連」の論考において、渋沢本人は「公益主義」という表現を使っていると指摘する。「渋沢は、『自分は実業家中に其の班を列しながら、大金持になるのが悪いといふ持論である。』(『青渊百話』二二頁)という。その伝記に照らしつつ、彼は『事業に対しても独力経営の利殖法を避け、それに代ふるに衆人の合資協力に成る株式会社、合資会社なぞを 起して利益は一人で壟断せず、衆人と共に其の恩恵に均霑する 様にして来た』(二三頁)という。そして、この考え方について、『余の主義は利己主義でなく公益主義といふことが出来よう』と 規定している。

 

渋沢は、じつに多くの会社を起業したけれども、それは『決して自分の富を殖さうとか、大に栄達しようとかいふ為めではない』のであり、『常に国家的観念を以て』(『青渊百話』二六頁) 事業を経営したのであって、『余が心中国家を外にして事業を考へたことは一つも無かつた』という。そして、自分は『漢学で 教育されて来た人間だけに、儒教を以て自己行為の標準とした』というのである。」

 

500社の起業に関わったとされる渋沢栄一であるが、実はそれ以外に600の教育機関や、公益法人、福祉施設などにも社会事業にも加わっているのだ。ポスト資本主義のあるべき会社の姿が求められる中、なぜこのような取り組みができたのか詳細に分析する時がきているのではないだろうか。

 

GURULI編集部

 

(次回につづく『渋沢栄一とステークホルダー資本主義~福沢諭吉との比較』https://coki.jp/column/1359/

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