
産業ガス国内大手のエア・ウォーターで発覚した大規模な不適切会計問題。グループ37社で計209億円もの利益水増しが判明し、名門企業への信頼は失墜した。調査報告書からは、絶対権力者の歪んだガバナンスと、不正を「正当化」し隠蔽し続けた組織の闇が浮かび上がる。
市場を襲った「ストップ安」の衝撃と赤字転落
2026年2月16日、週明けの東京株式市場で、エア・ウォーター株式会社(以下、同社)の株価に激震が走った。売り注文が殺到し、株価は制限値幅の下限(ストップ安)となる前週末比500円安の1963円50銭まで急落。投資家たちが投げ売りした背景には、同社が2月13日に公表した衝撃的な発表があった。
同社は、2026年3月期の連結最終損益が、従来予想していた530億円の黒字から一転、100億円の赤字に転落する見通しを明らかにしたのだ。その主因となったのが、長年にわたりグループ全体を蝕んでいた「不適切な会計処理」である。
同日公表された特別調査委員会の調査報告書によると、不正な会計処理が行われていた範囲は、当初の発覚をはるかに超え、本社およびグループ会社計37社に拡大。2019年度から2024年度までの6年間で、売上高667億円、営業利益209億円が水増しされていた事実が認定された。
「売上高1兆円」という輝かしい目標の裏側で、名門ガス企業は何をしていたのか。公表された膨大な調査報告書を紐解くと、素人目にも異常とわかる「架空在庫の積み上げ」や「循環取引」、そして組織ぐるみでの「隠蔽工作」の実態が明らかになった。本稿では、複雑に入り組んだ不正の手口をわかりやすく解説し、なぜこれほど大規模な不正が蔓延したのか、その深層に迫る。
日本ヘリウム「架空在庫」の闇―気化して消えたはずのガスを資産計上
一連の問題の発端となり、かつ最も巨額の損失を生み出したのが、連結子会社「日本ヘリウム株式会社」(以下、日本ヘリウム)における在庫の水増しである。
蒸発するヘリウム、帳簿上だけ残る「架空資産」
ヘリウムガスは極めて蒸発しやすい性質を持つ。海外から専用コンテナで輸入し、国内で保管・輸送する間に、一部が気化して自然に減少(ロス)することは物理的に避けられない。通常であれば、この減少分は「ロス(減耗損)」として費用計上し、在庫から減らさなければならない。
しかし、調査報告書によると、日本ヘリウムで在庫管理を一手に担っていた担当者(報告書ではJ氏)は、2019年度から意図的にこのロスを過少に計上する操作を行っていた 。具体的な手口は巧妙かつ杜撰だ。コンテナを海外へ返却する際、本来計上すべきロスの一部しか費用化せず、計算上の帳尻を合わせるために、国内に残っているコンテナの在庫数量を勝手に増やす「付け替え」を行っていたのである。
これにより、国内にあるコンテナの中身は、帳簿上では満タンに近い状態に見えても、実際にはスカスカという状態が常態化した。2025年7月に実施された重量測定の結果、帳簿上の在庫量約79万㎥に対し、実在庫は約36万㎥しかなく、帳簿在庫の半分以上が実体のない「架空在庫」であったことが判明した。その影響額は約16億円にも上る。
経営陣による「損失先送り」の容認
さらに問題なのは、この不正が単なる担当者の暴走では済まされない点だ。2025年3月、担当者J氏は、膨れ上がった架空在庫の処理に窮し、上司や親会社であるエア・ウォーター本社の担当部門に「実在しない在庫が大量にある」と報告していた。
報告を受けた当時の本社取締役専務執行役員(報告書ではEo氏)や事業部幹部らは、決算期末である3月に巨額の損失を計上すれば業績目標に響くと判断。あろうことか、「今期(2024年度)での損失処理は見送り、翌期以降に先送りする」という方針を決定したのである。不正を知りながら、それを是正するどころか、決算の見栄えを優先して傷口を広げる選択をしたこの判断こそが、同社のガバナンス不全を象徴している。
エコロッカ「売上水増し」の錬金術―循環取引と二重計上の手口
建築資材を扱う子会社「エア・ウォーター・エコロッカ株式会社」(以下、エコロッカ)では、売上高を実態以上に大きく見せるための様々な不正工作が行われていた。ここでは代表的な2つの手口を解説する。
手口①:行って来いの「循環取引」と「有償支給」の悪用
エコロッカでは、工事を下請業者に発注する際、その工事で使う材料をエコロッカから下請業者へ「有償支給(販売)」する形式をとっていた。通常、材料を支給しただけでは収益の実態がないため、売上として計上すべきではない。しかし、エコロッカは材料を支給した時点で「売上」を計上し、その後、材料費を含んだ工事代金を下請業者に支払うことで、実質的に材料を買い戻していた。これにより、一つの取引で「材料の販売」と「工事の売上」が二重に計上され、売上高が嵩上げされていた。
さらに悪質なのが、商流に無関係な会社を介在させる「循環取引」の疑いだ。例えば、関東エア・ウォーター(現・AW東日本)などのグループ会社に売上を作らせるため、エコロッカの商品を一度、外部業者やグループ会社に転売させ、ぐるっと回って最終的にエコロッカが買い戻すという商流を構築していた。モノは動かず、伝票だけが企業間を回遊し、それぞれの会社で架空の売上が立つ。これは典型的な粉飾の手口であり、調査報告書でも「経済的実態のない商流介在」と断じられている。
手口②:会長の一言で決まった「損失隠し」
エコロッカでは在庫管理も杜撰で、実地棚卸(実際に倉庫の在庫を数えること)が長年行われていなかった。2024年5月にようやく調査したところ、帳簿と実在庫に約4億円ものズレ(損失)があることが発覚した。当時のエコロッカ社長(Fz氏)は、これを一括で損失処理しようと、当時のエア・ウォーター会長・豊田喜久夫氏(報告書ではFg氏)に相談した。しかし、豊田前会長はこう発言したとされる。
「減損処理に関しては、私が決定する立場ではないが、エア・ウォーターの目標達成の実現のため、今期の処理は難しいかもしれない〜(以下略)」(調査報告書(2026 年2月9日時点)P59 (エ)より)
この「天の声」とも取れる発言を受け、エコロッカ側は損失の一括計上を断念。損失を5年間に分割して少しずつ処理する計画(本件処理計画)を策定し、不正な会計処理を継続することになった。トップの意向を忖度し、不都合な真実(赤字)を先送りする体質が如実に表れている。
AW防災「M番」と組織ぐるみの証拠隠滅
防災設備を手掛ける「エア・ウォーター防災株式会社」(以下、AW防災)での不正は、その隠蔽工作の悪質さにおいて際立っている。
費用のゴミ箱「M番」
AW防災には「M番」と呼ばれる社内コードが存在した。本来は、受注前の見込み生産にかかる一時的な費用を管理するための番号だったが、実際には、利益を捻出するための「ゴミ箱」として悪用されていた。本来であれば「費用」として処理し、利益から差し引かなければならないコストを「M番」というコードを付けた「仕掛品(資産)」として計上することで、費用を隠し、見かけ上の利益を水増ししていたのである。その額は約9億円に上る。
この問題が発覚した際も、当時の本社経理部門や監査室の担当者は、監査法人にバレないように損失処理を先送りする方法を検討し、豊田前会長もその方針に異議を唱えず容認していたとされる。
監査法人を欺く「書類偽造」と「データ改ざん」
調査委員会の調査が進む中で、AW防災の社員たちは組織的な調査妨害を行っていた。2025年12月、調査委員会に対し、過去の在庫データと監査法人への提出データとの辻褄を合わせるために、基幹システムの在庫データをIT担当者に指示して改ざんさせていたことが発覚した。さらに、商品を出荷していないのに売上を計上していた不正(売上の先行計上)を隠すため、取引先に依頼して虚偽の「預り確認書」を作成させたり、注文書そのものを偽造して提出したりする隠蔽工作も行われていた。
また、調査対象となった社員同士で口裏合わせを行い、調査委員会でのヒアリング内容を共有していた事実も認定されている。自浄作用はおろか、組織ぐるみで真実を闇に葬ろうとする姿勢は、企業コンプライアンスの完全な崩壊を示している。
AWMXとその他の不正―利益調整のための会計操作
半導体関連装置などを手掛ける「エア・ウォーター・メカトロニクス株式会社」(AWMX)でも、利益至上主義による歪みが生じていた。
「利益が出ているから」という理由での損失見送り
AWMXでは、長期間売れ残っている「滞留在庫」約1億円について、社内ルール(会計実務指針)に従って価値を下げる処理(評価減)を行おうとした。しかし、当時の担当役員(Ic氏)は、「グループ全体で収益を出さないといけない中で、AWMXだけ利益が出て余裕があるからといって評価減とすることはできない」などと発言し、損失処理を承認しなかった。正しい会計ルールよりも、グループ全体の業績目標達成が優先された典型例である。
賞与引当金の操作
また、2024年9月期には、本来計上すべき賞与引当金(ボーナスのための積立金)約2000万円の計上を取りやめ、費用を翌期に先送りする操作も行われていた。これは、四半期ごとの利益目標を達成するために、意図的に費用を減らす「利益調整」が行われていたことを意味する。
なぜ不正は起きたのか―「1兆円」の重圧と絶対権力
これほど広範囲に、かつ長期間にわたり不正が蔓延した原因はどこにあるのか。特別調査委員会は、その根本原因として歪んだ企業風土とガバナンスの欠如を指摘している。
1. 売上・利益至上主義と「1兆円」の呪縛
同社は「売上収益1兆円」という高い目標を掲げ、急速なM&A(合併・買収)と事業拡大を推進してきた。調査報告書は、「予算未達や赤字決算を避ける手法として、不適切な会計処理をやむを得ないことだとして容認する空気が蔓延していた」と指摘する。現場には業績達成への過度なプレッシャーがかかり、数字を作るためには手段を選ばない風土が醸成されていった。
2. 強烈なトップダウンと「物言えぬ」恐怖
不正拡大の最大の要因とされるのが、昨年12月に辞任した豊田喜久夫前会長への権力集中だ。豊田氏は強いリーダーシップで同社を成長させた功労者である一方、その強権的な姿勢がガバナンスを機能不全に陥らせた。一部の取締役に対して「おまえはクビ」といった言葉を繰り返し投げかけるなど、異論を許さない恐怖政治的な環境があったことが報告されている。「会長が損失処理を好まない」と忖度した部下たちが、不都合な真実を隠し、損失を先送りする判断を重ねた結果が、今回の209億円という巨額の水増しにつながったのである。
3. M&Aによる急拡大と管理不在
M&Aで次々とグループ会社を増やしたものの、買収した子会社に対する管理体制(内部統制)の整備が追いついていなかったことも要因だ。日本ヘリウムやエコロッカのように、特定の担当者に業務が属人化し、本社からのチェック機能が働かない「聖域」が生まれていた。本社管理部門のリソース不足もあり、子会社の不正な会計処理を見抜くことができなかった。
結びにかえて:信頼回復への険しい道のり
一連の問題を受け、豊田喜久夫氏は2025年12月3日付で代表取締役会長兼CEOを辞任し、相談役に退いた。また、現社長である松林良祐氏は、記者会見で「強いトップダウンのガバナンスや会計リテラシーの欠如が重なり合った結果だ」と認め、「不正を看過したことを重く受け止めている」と陳謝した。
今回の不祥事は、単なる会計ミスではなく、経営トップの姿勢と企業風土が生み出した構造的な問題である。同社は、従業員からの情報提供を促す「社内リニエンシー制度(自主申告による処分減免)」を導入し、800件以上の申告を受けるなど膿を出し切る姿勢を見せている。しかし、調査委員会は、調査期間の終盤になっても新たな不正が発覚したことや、悪質な調査妨害があったことを踏まえ、「供述の信用性や資料の真正性に対する懸念を完全に払拭したとまではいい切れない」と厳しい見方を崩していない。
調査は現在も継続されており、3月末に最終報告が出される予定だが、失墜した信頼を回復し、健全な企業体質へと生まれ変わるには、長い時間と痛みを伴う改革が必要不可欠となるだろう。
【参照】特別調査委員会の調査報告書(2026 年2月9日時点)(公表版)(エア・ウォーター)



