
1月29日夜、東京・上野の路上で発生した4億円超の強奪事件は、日本の治安を揺るがす凶悪犯罪であると同時に、中国人社会に内在する地下経済の実態を浮かび上がらせた。事件は単発では終わらず、羽田空港での強盗未遂、さらには香港での類似事件へと連鎖している。
何が起きているのか。点在する事実をつなぎ合わせると、そこには「安全な日本」を前提にした危うい資金移動の構図が見えてくる。
東京・上野で4億2千万円が消えた夜
事件が起きたのは1月29日午後9時半ごろ。東京都台東区東上野1丁目付近の路上で、男女7人が3人組の男らに襲われ、スーツケース3個を奪われた。中には現金約4億2千万円が入っていたとされる。
犯人らは催涙スプレーのようなものを噴射し、40代の中国籍男性が被害を受けた。スーツケースは乗用車のトランクに積まれており、犯行後、近くで通行人の50代男性が車にはねられるひき逃げ事件も発生した。現場周辺には長野ナンバーの青色の軽乗用車が放置されており、逃走用に使われた可能性が高い。
被害者側は警察に対し、「貴金属店から預かった資金」「日本円を香港ドルに両替する仕事をしていた」と説明している。
羽田空港での強盗未遂 同一グループの影
事件はそれで終わらなかった。30日午前0時10分ごろ、東京都大田区の羽田空港第3ターミナルの駐車場で、50代男性が「催涙スプレーをかけられた」と110番通報した。車内には現金約1億9千万円が積まれていたが、男らは何も奪わず逃走したという。
両事件の被害者はいずれも「羽田空港から香港へ現金を運ぶ予定だった」「現金両替に関わる仕事をしている」と話しており、手口も酷似している。逃走に使われた白色ワゴン車の名義が暴力団関係者だったことも判明し、警視庁は同一グループによる犯行の可能性が高いとみて捜査を進めている。
「狙われた」のではなく「把握されていた」
今回の事件について、中国人社会を取材してきたジャーナリスト菰田将司氏は、次のように語る。
「偶発的な路上強盗ではないでしょう。誰が、いつ、どこで、いくらの現金を動かすのかを、犯行グループが事前に把握していた可能性が高い」
中国人富裕層や業者の一部では、現在も銀行を介さず、現金を物理的に持ち運ぶ慣行が残っている。特に香港は、日本円や人民元を別の通貨に換える中継地として使われることが多く、貴金属取引や非公開投資、資金移動のスピードを重視する取引では、現金輸送が選ばれるケースがある。
「日本は治安が良く、現金を持って歩いても安全だという神話が、中国人社会の一部では今も強い。しかし4億円規模になれば話は別だ。情報は必ずどこかで漏れる」
情報の漏洩は、同業者間の口コミ、仲介ブローカー、通訳や運転手といった周辺関係者を通じて起きることが多いという。そこに反社会的勢力や準反社的グループが接触すれば、標的は容易に絞り込まれる。
在日中国大使館が渡航自粛を呼びかけた理由
事件を受け、在日中国大使館は30日、SNSを通じて自国民に対し改めて日本への渡航自粛を呼びかけた。日本側に対しては「早期解決」と「中国人の生命・財産の保護」を申し入れたとしている。
中国外務省も26日、春節に伴う2月15日から23日の大型連休中、日本への渡航を控えるよう呼びかけていた。「中国人を狙った犯罪が多発している」との表現は、日本の治安そのものに疑問符を投げかける形だ。
しかし前出の菰田氏は、こうした動きの背景について別の見方を示す。
「表向きは治安問題だが、中国当局が本当に懸念しているのは、自国民が海外で巨額の現金を動かし、トラブルや犯罪に巻き込まれることそのものだ。資本流出や地下送金に対する警戒感がある」
香港での強奪事件 浮かび上がる現金輸送ルート
事態をさらに複雑にしているのが、香港での事件だ。香港メディアによると、30日午前、香港島・上環で男性2人が約5800万円を奪われる事件が発生し、香港警察は同日中に容疑者を逮捕した。
警視庁は、日本で被害に遭った男性が香港でも再び襲われた可能性を含め、関連を慎重に調べている。もし同一人物、同一ルートであれば、現金輸送という行為自体が、国境を越えて犯罪者に狙われる構造があったことになる。
崩れ始めた「安全な日本」という前提
今回の事件が突きつけたのは、日本の治安悪化という単純な話ではない。中国人社会に根強く残る「日本は安全だから大丈夫」という前提と、巨額の現金を動かす地下経済の慣行が、犯罪者に付け入る隙を与えていた可能性が高い。
4億円が奪われ、1億9千万円が狙われた一夜。その背後には、国境をまたぐ資金移動、情報漏洩、そして日中双方の地下経済が交錯する構図がある。上野の路上で起きた強盗事件は、日本社会がこれまで正面から向き合ってこなかった「静かなリスク」を露呈させた事件だったと言える。
警視庁の捜査が進めば進むほど、この事件は単なる強盗事件ではなく、国際的な資金の流れと治安の隙間を問う象徴的なケースとして記憶されることになりそうだ。
「犯人は誰なのか」裏社会で囁かれる複数の人物像
では、犯人は誰なのか。警視庁は捜査の詳細を明らかにしていないが、事件後、ネット上や裏社会に近い人物の間では、いくつかの「それっぽい人物像」が囁かれている。
ある反社事情に詳しい人物は、匿名を条件にこう話す。
「これは通り魔的な強盗ではない。金の動きと人の動線を把握していなければ成立しない。犯人は土地勘のある日本人グループか、中国人社会の内情をよく知る人間、あるいはその混成チームだろう」
特に注目されているのが、逃走車両の名義が暴力団関係者だった点だ。ネット上では、「実行犯は別にいて、車と段取りだけ日本側が請け負ったのではないか」「下請け的に動いた半グレがいたのではないか」といった見方も出ている。
裏社会では、現金輸送に関する情報は「金になるネタ」として流通する。今回のように4億円超という規模であれば、複数のルートを経て情報が拡散していた可能性は否定できない。
香港マフィア関与説 トライアドの影はあるのか
さらに話をややこしくしているのが、香港で起きた5800万円強奪事件との関連だ。日本で被害に遭った男性が、香港でも再び被害に遭った可能性があると報じられたことで、ネット上では一気に「香港系マフィア関与説」が広がった。
香港といえば、古くから中国系マフィア、いわゆるトライアドの存在が知られている。近年はその影が薄れたとも言われるが、現金取引や地下金融の分野では、いまも影響力を持つグループが存在するとされる。
中国人社会を取材してきた別のジャーナリストは、こう指摘する。
「日本で金を奪い、香港で仕上げる。理屈としてはあり得る。ただし、いわゆる伝統的なマフィアが直接動いたというより、元構成員や周辺ビジネスにいた人間が、現代的な犯罪グループとして動いている可能性のほうが高い」
つまり、映画に出てくるような“組織的マフィア抗争”というより、国境を越えた現金ビジネスと犯罪が緩やかにつながった結果、今回の事件が起きたという見方だ。
「被害者もまた危ない人物ではないか」という声
一方で、ネット上や裏社会の一部では、被害者側に対する視線も厳しくなっている。
今回、被害者グループは「現金を香港で両替する仕事」「貴金属店から預かった金」と説明しているが、詳細については「話したくない」「これ以上は言えない」と口を閉ざしているとされる。
これに対し、SNSや掲示板では次のような声が出ている。
「まともな商取引なら、4億円をスーツケースで運ばない」
「なぜ銀行を使わないのか」
「被害者も、表に出せない金を扱っていたのではないか」
裏社会に詳しい人物も、同様の見方を示す。
「被害者が悪いと言っているわけではない。ただ、危ない金の動かし方をしていれば、危ない人間が寄ってくるのは当然だ。今回は“たまたま日本だった”だけの話だろう」
中国当局が渡航自粛を呼びかけた背景には、こうした「説明しづらい資金の移動」が国外で可視化されることへの警戒感もあるとみられる。
犯人探しが暴く、日本と中国社会の危うい接点
現時点で、犯人像は定まっていない。
日本の反社なのか、中国系犯罪グループなのか、あるいは国境をまたいだ混成チームなのか。警視庁の捜査を待つほかない。
ただ一つ言えるのは、この事件が「外国人観光客が狙われた治安悪化事件」では片付かないという点だ。
巨額の現金、非公式な資金移動、情報漏洩、裏社会のネットワーク。そうした要素が交差した結果として、東京・上野の路上で4億円が消えた。
犯人探しが進めば進むほど、浮かび上がるのは日本社会と中国人社会、その地下でつながる「触れられたくない現実」なのかもしれない。



