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山田和雅さん(戦略デザイナー・システミックデザイナー) | #ソーシャルグッド雑談

コラム&ニュース コラム
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八木橋パチ プロフィール

昨年11月の発売前から、今もずっとAmazonで「ベストセラー1位」をキープし続けている書籍『戦略デザイナーが伝えたい、システムのデザイン』。

今回は、その著者である山田和雅さんにじっくりと人生を振り返ってもらいました。

いつもとちょっと違う感じで、一緒に「戦略デザイナー 山田和雅が世に出るまで」を味わってみませんか?

山田和雅さんと八木橋パチさん

左:山田和雅(やまだ かずまさ)

株式会社BIOTOPE マネージングパートナー/戦略デザイナー・システミックデザイナー
早稲田大学政治学研究科卒。三井物産にて社会インフラ事業に従事。
その後、イリノイ工科大学デザインスクールにて、システミックデザインを含む「広義のデザイン」を活用したイノベーション手法を修得。
BIOTOPE参画後は、事業会社での実務経験とデザイン理論を融合し、長期ビジョン策定、経営理念の策定・浸透、戦略立案、ビジネス・サービスデザイン、理念ブランディング、社会課題解決型のシステミックデザインプロジェクトを多数リードしている。

右:八木橋 パチ(やぎはし ぱち)

バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初めて就職。2008年日本IBMに入社し、社内コミュニティー・マネージャーおよびコラボレーション・ツールの展開・推進を担当。社内外で「#混ぜなきゃ危険」を合い言葉に、持続可能な未来の実現に取り組む組織や人たちとさまざまなコラボ活動を実践中。近年は「誇りある就労」をテーマに取材・発信している。



● 「欠落」から始まった問いが、後の思想をつくった——山田和雅の原風景
● 速さで証明したかった——コンプレックスを燃料にした限界突破とその終わり
● 窮屈になった「障害者スポーツ」。純文学と黒歴史
● 「この義足が自分の体なんだ」——星空の下、すべてがほどけた夜
● 「やりたい」を「やれる」に——ロジックを超えて人を動かす戦略デザイン
● ケアノベーションマネジメント——人間性を顧みない成長至上主義からの脱却
● ケアは足かせではなく新しい経営のドライバー——社会実装フェーズへ


「欠落」から始まった問いが、後の思想をつくった——山田和雅の原風景

パチ

まだ山田さんと知り合って1年半くらいしか経っていないのが、なんかちょっと不思議な感じ。すごく濃い時間をご一緒させてもらってきたからか、もっと昔から知っているような気がして。

でも、実は意外とパーソナルな話は聞いていないな、と。

山田

そうですよね。あまり自分から詳しく話すってこともなかったですし。
僕のバックグラウンドって、パチさんどれくらい知っているんでしたっけ?

パチ

幼少期の交通事故のこと、奥様との結婚時のご家族との話、それから三井物産時代のことを少し、というくらいかな。それぞれのエピソードはすごく印象的だけど、全体像はまだ見えていない感じかな。

山田

じゃあ今日は、少し自分の話をさせてください。そのあと壁打ちもお願いしたいです。

パチ

お願いします! すごく聞きたい!!

今回のソーシャルグッド雑談は2部構成。
前編では、現在の山田和雅が形づくられるまでの人生を振り返ります。
後編では、共に取り組んできた「ケアノベーションマネジメント」の現在と未来について語ります。

● 速さで証明したかった——コンプレックスを燃料にした限界突破とその終わり

山田

僕は神奈川県伊勢原市、大山のふもとで育ちました。自然と歴史に囲まれた、やや閉じた集落で家も国定公園の中にありました。

そんな中、先ほどパチさんも言っていた交通事故に遭い、片足を失いました。1994年、7歳のときです。
義足になりましたが退院後は普通の生活に戻ることができました。

その後、山田少年は陸上競技に打ち込み、15歳で短距離走の日本記録を樹立。
将来有望なメダリスト候補となり、アテネ・パラリンピックを目指し、義足であることを肯定しながら、ひたすら厳しいトレーニングに明け暮れる日々を過ごしました。
山田和雅さんの幼少期と学生時代
(左)幼少期の一コマ。端午の節句を祝ってもらう(右)スプリンター時代の山田さん
山田

でも、僕は純粋に陸上が好きだったわけでも、興味を持っていたわけでもなかったんです。

やっぱり悔しかったんですよね。周りから「義足とか気持ち悪い」とか言われることもあったりして。「誰よりも足が速ければ、足があるとかないとか関係ないじゃないか!」と、かなり歪んだ論理で陸上に取り組んでいました。

そんな強いコンプレックスをバネにしていたので、身体の声を聴かずいつもギリギリまで追い込んでいました。だから、ニュージーランドで開催された大会の一本目で、ものすごい大きな音を耳にした瞬間に「…終わった」と分かりました。

ハムストリングの一番太い筋の断裂でした。

怪我後の半年ほどの走れない時期、僕は初めて自分の身体と向き合いました。一方でライバルたちは、次々結果を出し注目を集めていく…。

「僕はこのまま陸上を失うのだろうか」という不安は消えず、この時期、僕は小説を書き始めました。「走れないのなら、文章で表現しよう」と思ったんです。

● 窮屈になった「障害者スポーツ」。純文学と黒歴史

リハビリを終えた山田少年は陸上競技に復帰します。
一方で、書き上げた小説はとある文学賞の最終候補に残り、若き新人作家として注目を集め、初めての著書も出版されることになりました。
山田

大怪我から復帰したあと、自己ベストがどんどん出るようになりました。

でも、その頃には競技に対して「ここじゃない」という感覚が拭えなくなっていて…。語弊を恐れず言えば、「障害者スポーツ」という枠が僕には少し窮屈だったんだと思います。

それで、早稲田大学の文学部に進学しました。とはいえ勉強はろくにしていませんでしたね。小説の方も、泣かず飛ばすでした。

大きな文学賞の最終選考に残ることはありましたが、最終的に賞を獲ることはできませんでした。きっと、最後のところで審査員に見透かされるんでしょうね。

それでも、若い僕が勘違いするには充分な結果でした。「就職なんてつまらないことはしたくない」とうそぶいて、在学中からライターになりました。

…ただ、本当に原稿料が安くて安くて。取材費コミで3万円とか。そんなもん、食えないですよ。
自分は何をしているんだろう…。書く意欲も次第に失われていきました。

「この時期の自分は本当にサイテーな生きかたをしていましたね。ちょっと「黒歴史」すぎて、絶対にパチさんにも書いて欲しくないエピソードもいろいろあります。たとえば…」。
ここから先は約束なので書きません。
そんな「どん底生活」をしていた山田さん。旧知の編集者に誘われ、事故現場を辿るラジオ企画に参加します。

● 「この義足が自分の体なんだ」——星空の下、すべてがほどけた夜

山田

なかなかぶっ飛んだ企画で、交通事故に遭った現場を辿り再現するかのように道路にぶっ倒れてみたり、事故現場で義足を抱えて写真を撮ったり。

で、せっかく実家のそばまで来たので、ということで、実家に寄ったんですね。当時は大学も卒業しちゃってフリーター&ライター暮らし。引け目を感じていたので、久しぶりに帰った気がします。

そのとき、父・母・姉、祖父、それにラジオ企画のプロデューサーの方、みんなでご飯を食べながら、流れ的に僕の事故が起こった「あの日のこと」を振り返ることになったんです。

第一報がどう入ったとか。そのときどう感じたとか、病院に行ってどんな気持ちで待っていたかとか。祖父が障害者になってしまった僕と一緒に自決しようとしたという話とか。

それから僕の車に踏まれた足はちゃんと火葬してお墓に入れておいたという話とか。
東名高速のガード下で母が毎日病院にいく前に神様の馬鹿野郎って叫んでいた話とか。

ほとんど全てが初耳のことばかりでした。

山田和雅さん
交通事故直後に運び込まれた交番を再訪
山田

話を聞きながら僕はわけもわからず号泣してしまったんですね。なぜ? と言われると、複雑な気持ちなので難しいものがありますが、一言で言えば、「自分がどれだけの愛を受けてきたのか」「どれだけ大事にされて今ここに生きているのか」を再確認した感じでしょうか。

そう感じるようになると、僕が一生懸命何かを埋めようとしてきた失った足の部分にある虚無なんて、実は最初からなかったんじゃないか、と感じたりしました。

いや、きっとあったのだろうけど、そんなものに固執する意味はどれほどあるんだろうって。

そうなると、僕がやってきた「陸上」ってなんだったのだろう、「小説」ってなんだったんだろうとも感じました。

パチ

ごめん。おれも泣いてしまう。

山田

その晩は、実家に泊まることにしたんですが、その日にあったことが頭を巡ってなかなか寝付けなくて、深夜、僕は外に出て走り始めたんですね。

今やれって言われたらめちゃくちゃ暗くて怖いのでできませんが、少し僕の精神状態も変だったんでしょうね…。

周りは電灯も何もない真っ暗闇の山道。でも、道の輪郭だけは青白く夜光で輝いていて不思議と危なくはない。息が限界になるまで走り続けていきました。

すると、体が夜の中に溶けているような感覚に包まれてきて、「ああ、この義足が自分の体なんだな」と感じました。

かなり上の方まで行き、ちょっとした丘の頂に到着して座って息を整えていると、何かがほどけた感覚がありました。

「障害は乗り越えるべきものでもないし、隠すべきものでもない。ただ、自分の体の形がユニークに変化しただけ。無理にポジティブになる必要も、ネガティブになる必要もない」

——そう思えたんです。人生のなかでずっとどこかでズレ続けていたものがカリブレーションされたような感覚です。これを専門的に言えばトラウマの解消とかって言うのですかね。

そこからでしたね。真っ当な人間になろうって思ったんです。

当時から自分を支え続けてきてくれた彼女——今の奥さんです——に、「命を、自分のためではなくサムシング・グッドのために使って生きていきたい」と伝え、勉強を始め、大学院に行きました。

大学院で政治と歴史を学んだ山田青年。資源のない日本が生き残るためには経済的相互依存が必要であるという結論に至ります。
「かつてこの国を世界大戦へと向かわせたのは、経済的相互依存の不足。自分はそれを作り出そう。銃で圧倒する力ではなく、経済をお互いに撚り合わせる力こそ、持続的な平和を社会に組み込むはず——。そう思ったんです。」
そのために必要なアクションの第一歩として、国と国をつなぐ仕事をする総合商社のビジネスに身を捧げることにします。そして……。
ここから先は、また別の機会に。
話題はガラッと変わり、ここからはこの1年半弱取り組んできた、「ケアノベーションマネジメント」についてです。
官民共創HUB
2025年11月に官民共創HUBにて開催したケアノベーションマネジメントお披露目イベントの様子(Photo by Kosuke Machida)

● 「やりたい」を「やれる」に——ロジックを超えて人を動かす戦略デザイン

パチ

前にも言ったと思うけど、出会ったばかりの頃は、少しクールに山田さんを見ていたんだよね。「頭抜けて優秀だし、引き出しの多さもすごいな。でも…」って。

でもあるとき、決定的な体験があった。

「まあ理屈ばっかり言っていても変化は起きないしどこにも辿りつかないですよね。そんなんじゃあやる意味はない。今日はみんなの直感をどんどん発揮して決断していきましょう!」

そう言うと、理屈じゃなくて感性や、参加者みんなの信念みたいなものを突きつけ合うようなワークショップをやったんだよね。おれはそれに完全にノックアウトされちゃった。

「なんだこの人?! システムデザイナーとか戦略デザイナーとか、ガチガチにMECEでロジカルで、誰がどこでやろうと同じものが再生産されるだけだと思っていたけど、全然違うじゃないか!!」って。

曖昧な「やりたい」を「やれる」に変える、そのプロセスが本当にすごかった。感動的ですらあった。そこからはもう、「山田さんが言うなら、まずはやってみよう」って100パーセントの信頼に変わっちゃった。

山田

そんなふうに言ってもらえてメチャメチャ嬉しいです。
結局、僕のやっていることって、突き詰めると「戦略デザイン」なんですよね。

複雑な問題ほどできるだけシンプルに構造を捉え、目標を明確にして、現状との差分を埋めていく。

それを実現するための方法がシステムデザインや、あるいはブランディングだったり共創だったり、そういう僕の使える手法をいろいろと持ち出して実践していく。

「ケアノベーションマネジメント」も、そうでしたよね。

パチ

たしかに。ケアノベーションマネジメントもまさにその考え方のもとに進んでいったね。

そしてケアノベーションは、共創メンバーの集まり方も秀逸だったよね。…自分で言うのは少し照れくさいけど、専門性も人間性も含めてよくもまあこれほど理想的なメンバーが揃ったもんだ! って思ってた。山田さんもそうだったんじゃない?

山田

もちろん同じです。「これは本当に神の思し召しなんじゃないか!?」ってずっと思っていました。このメンバーじゃなかったら、たぶん成し得なかった。

だけど、ほとんどのメンバーはパチさんが連れてきてくれたんですよ。

パチ

あれ? そうだっけか。

● ケアノベーションマネジメント——人間性を顧みない成長至上主義からの脱却

ケアノベーションマネジメントとは、「ケア(福祉)」と「イノベーション(革新)」を調和させ福祉と経済の循環を目指す新しいマネジメント概念です。
ケアをイノベーションの起点とし、就労困難者(初期の対象として、精神・発達障がい者など)の活躍を後押しして、人間性を顧みない成長至上主義からの脱却を通じて社会課題解決と持続可能なビジネスを両立するアプローチを提唱しています。
そしてこうした思想を「机上の空論」としないために組織管理の原理原則を5つにまとめあげ、その哲学を実践するためのGPTs(カスタマイズドLLM)である「ケアノベーションサポーター」を現在無償で提供しています。
詳しくは特設サイト「みんなのディーセントワーク」最下部より「ケアノベーションマネジメント」WEBブックと「ケアノベーションサポーター」を直接お試しください。
特設サイト「みんなのディーセントワーク」
特設サイト「みんなのディーセントワーク
ケアノベーションマネジメント ドリームチーム
ケアノベーションマネジメントを一緒に作り上げたドリームチーム(コアメンバー)8名
山田

人数も今思えばちょうどいいサイズ感でした。

そして障がいのある方たちの現場での困難や葛藤を減らすために、さまざまな活動を実践し各々の知見と専門性を持つ多様なメンバーが、見事に揃っていました。

共通していたのは、現状をより良く変えたいと強く願い、そしてそれが実現可能だと信じている人たち。

パチ

その通りだね。経験や専門性だけじゃなくて、直感・データ・プロセスも、アプローチの取り方も多様だったけど、それをまとめてくれる山田さんがいて、みんながそれぞれを信頼し合ってワークできていた。

それからさっきのメンバーリストには載っていないけれど、視覚化してくれるBIOTOPEのデザイナーチームとも、全幅の信頼関係が結べた。

そしてチームの心理的な支柱として、「いつかこの人はケアノベーションマネジメント実践するに違いない」と信じるに値する、尊敬する経営者もいた。

山田

間渕さんですね。迷ったときに最終判断を預けられる人がいることは僕たち全員にとって大きな意味を与えてくれましたね。

● ケアは足かせではなく新しい経営のドライバー——社会実装フェーズへ

山田

今日パチさんに相談したかったのは、次のフェーズをスタートさせる準備についてです。

今回作ったGPTsをちゃんと事業として育てていき、精神・発達だけじゃなくて、身体障害や重度障害など、別のベクトルにも水平展開していきたいという思いもあるし、昨年から相談している「シェアードケアサービス」や「組合型就労支援シェア」の話もあります。

まずはいくつか、壁打ちというかディスカッションさせてもらいたくて。

パチ

そうだね。でも何よりも、実際に世の中が変わっていくには、実際にケアノベーションマネジメントが組織を動かすドライバーとなっている組織が、実際に社会に存在している必要があると思うんだよね。

おれも、それについて考えているんだけど…。うーん、どうもおれが自分だけで考えると、すげーワイルドな夢物語みたいなものか、超強引な力業とかになっちゃうんだよね(笑)。

戦略デザイナーが必要!! 山田さんがいてよかった!!

山田

(笑)。でもこのチームなら、実際に社会にインストールできますよね。
僕たちのケアノベーションの本当の強み——凄みと言ってもいいかな——は「思想」の強さだと思うんです。

それぞれが信念を持って、これまで社会と向き合って活動してきた中で感じ考え続けてきたものを持ち寄り、あれだけの複雑な状況とプロセスからみんなで削り出したケアノベーションです。他の人たちには絶対に真似できません。

官民共創HUB
2025年11月に官民共創HUBにて開催したケアノベーションマネジメントお披露目イベントの様子(Photo by Kosuke Machida)
パチ

うん!じゃあさ、まずはおれのケアノベーションを社会に広げるためのアイデア、聞いてもらっていいかな?

まずさ、いま社会には「新規事業を作らねば!」って活動している人たちが一杯いるじゃない。その中にはさ、広義の「ケア」を提供する事業をやろうとしている会社や組織も少なからずあると思うんだよね。

でもね、「ケアが行き渡っていない、循環してない」組織や会社が提供しているケアサービスやケア事業って、信用できる? ——おれはできないんだよね。

だからさ、これからケアビジネスを考えている企業は、まずは自分たちがケアを実践していなきゃダメなんだよ。その上で、それを成長ドライバーとする組織づくりを作る必要があると思うんだ。

山田

なるほどー!! それはいい着眼点ですね。脱炭素コンサルタンティングを売りにしている会社がCO₂をバンバン出していたら、誰も信用しませんもんね。

そもそも、人びとが本当に欲しいもの、知りたいものって「この質問にはこの答え」という単純なものじゃないですもんね。「そもそもどう考えるべきか——」がそこにはあって。

そうやって考えていくと、現場を支援する「インクルーシビティ・トランスフォーメーション・コーチ」と、経営層と共にインクルーシブな戦略を詰めていく「インクルーシビティ・ストラテジック・デザイナー」と、さまざまな面から組織の変革を後押しする必要がありそうです。

そうしたらパチさん、たとえばこういうサービスも筋が良さそうですよね。昔、日本には…



このあとも、山田さんとの「ケアノベーション雑談」は終わることなく続き、結局はまた次回の約束をしてそれぞれの帰路につきました。
山田さんとのエキサイティングな取り組みがこれからも楽しみで仕方ありません!!

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ライター:

バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初めて就職。2008年日本IBMに入社し、社内コミュニティー・マネージャー、およびソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。持続可能な未来の実現に取り組む組織や人たちと社内外でさまざまなコラボ活動を実践し、記者として取材、発信している。脱炭素DX研究所 客員研究員。 合い言葉は #混ぜなきゃ危険 #民主主義は雑談から #幸福中心設計

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