ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

AI広告はなぜ炎上するのか?リポビタンD新CMが示した「違和感」と受容の境界線

コラム&ニュース コラム
リンクをコピー
AI
PhotoACより

AIで作られた映像が、タイムラインに流れてくる。数秒見ただけで「なんか違う」と感じるのに、どこが違うのかは説明しにくい。最近、広告の現場で起きているのは、そんな“言語化しづらい拒否反応”が、ブランドの評価を一夜で塗り替えてしまう現象だ。

サクラクレパスやマクドナルドのAI活用広告が批判を浴びる一方、元日に公開された大正製薬「リポビタンD」新CMは、同じAI活用でも大炎上には至らなかった。SBクリエイティブ「ビジネス+IT」によると、このCMは「炎上はしないが、強い称賛も生みにくい」という“受容ラインぎりぎり”の位置を示した事例だという。

では、その線はどこに引かれるのか。鍵になるのは、完成度でも、AIっぽさでもない。視聴者が「自分がだまされた側に置かれた」と感じるかどうかだ。

 

 

「AIっぽいから嫌」ではない 炎上の火種は“不快”より“不誠実”

AI広告が燃えるとき、批判はたいてい「気持ち悪い」「雑」「安っぽい」という言葉から始まる。だが、その奥には、もっと鋭い感情が潜んでいる。
それは、「勝手にやられた」「説明されていない」「信頼を軽んじられた」という反発だ。

たとえば、画材メーカーが“手の仕事”を大事にしてきた歴史を持つなら、制作にAIが入った瞬間、視聴者は作品の是非だけでなく「そのブランドが何を守ってきたのか」に目を向ける。そこで説明が不足すると、怒りは「表現」から「企業姿勢」へ飛び火する。炎上の中心が“広告の出来”ではなく“信頼の破綻”に移ったとき、鎮火は難しくなる。

 

リポビタンDはなぜ「ギリOK」だったのか “AIの主張”を消した設計

リポビタンD新CMが示したのは、AIを前面に出せば出すほど危険になる、という皮肉な現実だ。

視聴者の心をざわつかせるのは、「AIを使った」事実そのものではない。むしろ、次のような瞬間に違和感が増幅する。

誰かの顔や人格を“借りている”と感じたとき

実在人物の再現や、亡くなった人物の再登場は、技術的に可能であるほど倫理の温度が上がる。そこに同意や監修の情報が伴わなければ、「すごい」を飛び越えて「怖い」が先に立つ。

目的が「コストカット」に見えたとき

AIは便利だが、“省力化”が透けると一気に評価が落ちる。数秒の映像でも、視聴者は制作の丁寧さを嗅ぎ取る。「人の手が減った」ではなく「熱量が減った」と読まれた瞬間、AIは武器から弱点に変わる。

見せたいものが「AI」になったとき

広告は本来、商品やメッセージのためにある。AIの驚きが主役になると、視聴者の感情は商品から離れる。結果として「燃えないが刺さらない」状態になりやすい。リポビタンDが“ギリOK”に収まったのは、ここを踏み外さず、AIを意識させすぎない現実感のラインに置いたからだ。

 

受容されるAI広告の条件は2つ 「だまし」と「手抜き」を避ける

AI広告の境界線は、技術ではなく運用にある。実務としては、条件はほぼ2つに集約される。

1)視聴者が「だまされた」と感じない設計

AIを使うなら、どこまでが演出で、どこからが事実なのか。受け手の想像に委ねず、説明の導線を用意しておく。メイキング公開、注記、制作意図の発信など、“後出しの言い訳”にならない形で先に置くことが重要になる。

2)「人が作った」と伝わる仕上げ

AIは、使い方によっては表現の幅を広げる。しかし、最後の一歩を人が詰めていないと、映像は急に“量産品”の匂いを帯びる。視線誘導、間、音の設計、コピーの温度。そこが整うほど、「AIだから」ではなく「広告として良い」に着地しやすい。

 

ここから先、炎上が増える領域 “広告”より「日常のフェイク」

技術の進歩で、違和感は薄れていく。だからこそ、炎上の論点は「気持ち悪さ」から「見分けがつかない怖さ」へ移っていく。
広告の世界でも、SNSの投稿でも、次に問われるのは“真偽”ではなく“責任”だ。誰が作り、誰が広げ、誰が止めるのか。境界線は、視聴者の感情の中だけでなく、社会の運用ルールの側にも引かれていく。

 

Tags

ライター:

広告代理店在職中に、経営者や移住者など多様なバックグラウンドを持つ人々を取材。「人の魅力が地域の魅力につながる」ことを実感する。現在、人の“生き様“を言葉で綴るインタビューライターとして活動中。

関連記事

タグ

To Top