
栃木県立真岡北稜高校のトイレ内とみられる場所で撮影された暴行動画がSNS上で拡散し、強い憤りと不安が広がっている。男子生徒が別の男子生徒に暴行を加える様子に加え、周囲が止めずにあおる声まで記録された映像は、教育現場の深刻な歪みを浮き彫りにし、県教育委員会や警察が対応に追われる事態となっている。
トイレという密室で行われた暴力
問題となっている動画は1月4日、SNS上に投稿された。高校のトイレ内とみられる場所で、男子生徒が別の男子生徒に対し、殴る、蹴るといった暴行を加えている様子が映し出されている。被害生徒は明らかに抵抗できない状態で、一方的に暴力を受け続けていた。
さらに看過できないのは、暴行の現場に複数の生徒が居合わせ、止めに入るどころか、あおるような声を上げていた点だ。動画には、暴力がエスカレートしていく過程と、それを黙認し、助長する集団心理が生々しく記録されている。
この映像は短時間のうちに拡散し、大きな波紋を広げた。匿名性の高いSNS空間では、怒りや嫌悪の声と同時に、過激な表現や断定的な書き込みも相次ぎ、炎上状態となっている。
教育委員会と警察が動いたが残る重い課題
高校が所在しているとされる栃木県の教育委員会は、事実関係を確認しているとした上で、警察がすでに捜査に着手していることを明らかにした。栃木県警は、暴行の実態や関係生徒の特定を進めている。
県教委には全国から問い合わせや意見が殺到した。1月5日だけで電話がおよそ100件、メールなどを含めると200件を超え、6日も同程度のペースで連絡が続いたという。内容は「許せない」「どういう学校なのか」といった厳しい声が中心で、「被害者と保護者に寄り添った対応を求める」との意見も数多く寄せられている。
一方で、SNS上では真偽不明の情報や誹謗中傷も拡散しており、県教委の担当者は、保護者とみられる人物から「面白半分で扱わないでほしい」という切実な声が届いていることを明かし、冷静な対応を呼びかけている。
高校側は1月5日の仕事始めから教職員が集まり、緊急対応に追われている。関係しているとみられる生徒への聞き取りを進め、事実関係の把握を急いでいるという。
今週内に予定されていた始業式についても、騒動の拡大を受け、順延を含めた検討が行われているとされる。教育活動を再開する以前に、学校として何を説明し、どのように再発防止を図るのかが厳しく問われている。
格闘技関係者からも相次ぐ批判
この暴行動画を巡っては、教育関係者や行政のみならず、格闘技界からも強い拒絶の声が上がった。実際に暴力と向き合い、危険性を熟知する立場だからこそ、今回の映像に対する反応は厳しい。
“ミスターアウトサイダー”の異名を持つ総合格闘家の啓之輔は1月5日夜、自身のXを更新し、動画そのものに直接触れることは避けながらも、「打ち所が悪かったら取り返しがつかなくなる」と投稿した。競技の場では、レフェリーやルール、医療体制の下で安全管理が徹底されている。一方で、無抵抗の相手に対する突発的な暴力は、致命的な結果を招きかねない。その危うさを知る者としての警告だった。
さらに踏み込んだ表現で批判したのが、格闘技イベント「BreakingDown」のCOOを務める溝口勇児氏だ。溝口氏は2026年1月5日、自身のXで次のように投稿した。
「反撃もできない気の弱そうな相手に対して、イキってヘナチョコパンチ振り回してるガキも、それを周りでヘラヘラ眺めてるガキどもも、クソダサすぎ」
言葉は荒いが、その矛先は明確だ。問題視したのは、暴力を振るった生徒だけではない。それを止めず、はやし立て、傍観した周囲の存在まで含めて断罪している点に特徴がある。これは、集団心理が暴力を増幅させる構図そのものへの批判でもある。
近年、格闘技イベントがSNSで注目を集める一方、過激な側面だけが切り取られ、文脈を欠いたまま模倣される危うさも指摘されてきた。溝口氏の発言は、「競技としての格闘技」と「弱者を標的にした暴力」は全く別物であるという線引きを、強い言葉で社会に突きつけた形だ。
実力や強さを誇示することと、卑怯な暴力は対極にある。格闘技関係者から相次いだ批判は、今回の事件を単なる未成年の不祥事として矮小化せず、暴力を娯楽として消費する風潮そのものへの警告として受け止める必要がある。
知事の「絶句」が突きつけた現実
1月6日の記者会見で、動画を見た感想を問われた栃木県の福田富一知事は「絶句した」と述べ、「卑怯者、弱い者いじめはやめろ」と加害側とみられる生徒らを強く非難した。
あわせて、県教育長に対し、県教育委員会や当該高校が把握している事案の内容を1月7日までに記者発表するよう指示したことも明らかにした。知事の言葉は、この問題が単なる校内トラブルではなく、社会全体が向き合うべき課題であることを示している。
暴力を消費する社会の責任
今回の件で、もう一つ見過ごせないのは、暴行動画の拡散と並行して、SNS上で「特定」が過熱している現実だ。Xでは、加害者の一人とされる生徒について、実名とみられる名前が挙げられ、さらには家族構成や家族の氏名にまで言及する投稿が確認されている。
いずれも公的機関が公表した情報ではなく、真偽不明のまま拡散されているのが実情だ。
暴力行為への怒りが強いほど、「誰がやったのか」を突き止めたいという衝動が加速する。しかし、その矛先が未成年本人だけでなく、事件に直接関与していない家族にまで及ぶとき、それはもはや正義でも告発でもない。暴力を批判する行為が、新たな暴力へと転じる瞬間である。
今回の暴行は断じて許されない。一方で、実名晒しや私的情報の拡散は、被害者を守るどころか、社会全体を無秩序な私刑状態へと引きずり込む。動画を見て怒り、名前を探し、家族の背景まで掘り起こす行為は、暴力を「消費」し、二次的な加害を生み出しているに過ぎない。
教育現場で起きた暴力をどう止めるのか。その問いと同時に、私たちは「怒りをどこまで許容するのか」「正義の名の下で何を踏み越えてはならないのか」を突きつけられている。暴力を非難する社会であるならば、非難の方法そのものもまた、問われなければならない。



