
12月28日、フランス映画界の至宝、ブリジット・バルドー氏が91歳でこの世を去った。
かつてその奔放な美しさで「フランスのマリアンヌ(象徴)」とまで称えられた伝説の女優。世界中が彼女の死を悼む一方で、その晩年はあまりにも過激な言動によって、栄光に暗い影を落としていたことも事実だ。
世界が愛した「フレンチ・ロリータ」、その輝ける伝説
フランスのリゾート地、サントロペ。輝く太陽と海を愛した「BB(べべ)」ことブリジット・バルドーが、静かにその生涯を閉じた。91歳だった。
1950年代から60年代にかけて、バルドーは単なる女優の枠を超えた社会現象だった。『素直な悪女』や『軽蔑』で見せた、あどけなさと妖艶さが同居する唯一無二の存在感。彼女はマリリン・モンローと並び称されるセックスシンボルとして世界を熱狂させ、当時のファッションやメイク、そして「自由な女性」としての生き方は、多くの若者の憧れそのものだった。
訃報を受け、SNS上には往年のファンからの悲しみの声が溢れている。 「映画館のレイトショーで『軽蔑』を観たあの頃が蘇る。ロビーで流れていた『シドニー』という曲が本当に素敵だった」 「唯一無二のキュートな風貌は、今の若い人が見ても憧れの的。年末にあまりにも寂しいニュースだ」
39歳という若さで突如として銀幕を去った彼女は、その後、サントロペで隠遁生活を送りながら動物愛護活動に身を投じた。アザラシの赤ちゃんやゾウを守るために奔走し、財団を設立して動物たちの権利を訴え続けたその姿は、かつての小悪魔から慈愛に満ちた活動家への華麗なる転身として、当初は好意的に受け止められていた。
国民連合(RN)のジョーダン・バルデラ党首は、彼女の死に際しX(旧Twitter)でこう綴っている。 「今日、フランス国民は、その美しさで世界を驚かせた、彼らが愛したマリアンヌを失いました」
誰もが愛した、美しきBB。しかし、私たちが知る「可憐なアイコン」の姿は、長い年月の間に、別の顔へと変貌を遂げていた。
「差別扇動で有罪5回」…極右の広告塔に堕ちた晩節
美しき追悼ムードの一方で、フランス国内の反応は複雑だ。なぜなら、晩年のバルドーは、かつてのファンが耳を塞ぎたくなるようなヘイトスピーチの常習犯と化していたからだ。
動物愛護で知られた正義の側面は、いつしか昨今のグローバル潮流への反発へとすり替わっていった。彼女は過去数十年にわたり、イスラム教徒、移民、そしてLGBTQ+コミュニティに対し、常軌を逸した攻撃を繰り返してきたことでも知られている。
「我々を破壊する集団」イスラム教徒への執拗な攻撃
バルドーの暴走は止まるところを知らなかった。彼女はフランスの司法から、人種憎悪を扇動した罪で実に5回もの有罪判決を受けている。 特に2008年の裁判では、イスラム教の祭日における動物の屠殺方法を批判する文脈で、イスラム教徒全体を「自らの行為を押し付けることで我々を破壊し、我が国を破壊している集団」と激しく罵倒。
当時のサルコジ内務大臣に宛てた公開書簡でのこの発言により、1万5000ユーロ(当時のレートで約250万円)の罰金刑と執行猶予付きの禁錮刑まで求刑される事態となった。
極右政党との蜜月、そして「ジャンヌ・ダルク」発言
彼女の過激化の背景には、プライベートでのパートナー選びも影響していると言われる。1992年、彼女は極右政党「国民戦線(現・国民連合)」の元顧問ベルナール・ドルマールと結婚。
以降、彼女は極右の熱烈な支持者となり、創設者ジャン=マリー・ル・ペンや、その娘マリーヌ・ル・ペンを公然と支援し続けた。バルドーはマリーヌ・ル・ペンを「21世紀のジャンヌ・ダルク」と崇め奉り、排外主義的な政策を肯定してみせたこともあった。
死の直前まで続いたLGBTQ+への侮蔑
その攻撃性は最期まで衰えなかった。死のわずか数週間前に出版された遺作『Mon BBcedaire(私のBBアルファベット)』の中で、彼女は現代のフランスを「退屈で悲しく、従順だ」と切り捨てた。さらに、自身が愛したサントロペが裕福な観光客で溢れていることを嘆くだけでなく、同性愛者やトランスジェンダーの人々に対する差別的で侮辱的な記述を残している。
かつて世界を魅了した「自由の象徴」は、晩年、自らの偏見という檻の中に閉じこもり、他者を攻撃することでその存在を誇示していたのかもしれない。 スクリーンの中の永遠のミューズ「BB」と、現実社会で憎悪を撒き散らした「極右活動家」。
二つの顔を持ったレジェンドの死は、社会に重く、そして苦い問いかけを残した。



