
氷上に響いたエッジの音が、静まり返った会場の空気を切り裂いた。
2025年12月21日、東京・国立代々木競技場。全日本フィギュアスケート選手権の最終日、女子フリーのリンクに立った坂本花織は、最後まで視線を落とさなかった。
5連覇、そして3大会連続の五輪代表決定。すべてを終えたあと、彼女が口にしたのは、勝者の雄たけびではなく、静かな実感だった。
「人生、虹色だなって」
ラスト全日本、氷の上で示した答え
今季限りでの現役引退を表明していた坂本にとって、この全日本は紛れもなく“最後”の舞台だった。しかし、その重さは演技からは感じられなかった。
フリーの曲は「愛の讃歌」。冒頭の3回転フリップを高く、伸びやかに決めると、続くジャンプも安定して着氷する。会場には次第に手拍子が広がり、観客の呼吸と演技が重なっていく。
結果はフリー154.93点、合計234.36点。自身の今季ベストで、女子史上5人目となる全日本5連覇を達成した。
キス&クライで大粒の涙を流す坂本。その姿をリンク脇で見つめていた樋口新葉も、目を赤くしていた。
「三日坊主だった自分が」25年の重み
演技後の取材ゾーンでも、坂本の言葉は何度も途切れた。
「何をするにも三日坊主だった自分だったけど、スケートだけは、こんなにも長く続けられた」
3歳のとき、「やりたい」と言って始めた競技。厳しさも知らずに踏み出した世界で、五輪、世界選手権、そして日本のエースとして背負ってきた重圧があった。
それらを振り返りながら、坂本は少し笑って続けた。
「いろんな経験をして、それでも、たくさんの経験をさせてもらえた。なんか、人生、虹色だなって感じがしました」
淡々とした語り口の裏に、長い競技人生を走り切った者だけが持つ、確かな実感がにじんでいた。
3大会連続五輪、その先を見据えて
この優勝で、坂本はミラノ・コルティナ五輪代表に決定。日本女子では史上初となる3大会連続の五輪出場となった。
「1回目、2回目とは違う。ただ出るだけではない」
そう前置きし、団体・個人ともに「銀メダル以上」という具体的な目標を掲げた。
一方で大会後は、トリプルアクセルや4回転に挑む若手選手との比較、演技構成点(PCS)を巡る賛否も噴出した。挑戦の価値と完成度の評価。その間で揺れるのは、フィギュアという競技が抱える宿命でもある。
それでも、勝ち続けてきた事実は揺るがない。重圧の中心に立ち続けること自体が、坂本花織の歩んできた道だった。
レジェンドと“超大物”が見守った夜
この日の会場には、特別な光景があった。
スタンドには、伊藤みどりさんと浅田真央さんが並んで観戦。大型ビジョンに2人の姿が映し出されると、場内から大きな歓声が上がった。
さらに、最終組の演技前には、客席で演技を見守るYOSHIKIさんの姿も中継に映り、SNSが一斉に沸いた。島田麻央の使用曲を手がけた縁もあり、静かにリンクを見つめていたという。
優勝が決まった瞬間、伊藤、浅田の両レジェンドは拍手を送り、YOSHIKIさんもまた、立ち上がることなく静かにその結末を見届けた。
日本フィギュアの過去と現在、そして異なるジャンルの表現者が交差した一夜だった。
「虹色」の先に、もう一度だけ
演技中は「最後だ」という感覚はなかったという坂本。しかし、すべてが終わったあと、スタンドに揺れる無数のバナーと拍手を見て、初めて実感したという。
「こんなにも多くの人に応援してもらっていたんだなって」
5連覇という記録と、賛否を伴う評価。そのすべてを背負ったまま、坂本花織はもう一度、五輪の舞台へ向かう。
虹色に重なった25年の先に待つのは、集大成としての最後の挑戦だ。



