
ノルウェーの冬の風が吹きつけるオスロ市庁舎。その壇上に掲げられた一枚の肖像が、今年のノーベル平和賞授賞式で最も重い存在感を放っていた。ベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏。だが、本人の姿はない。
娘アナさんが母を代弁し、自由と民主主義の重さを語る一方、マチャド氏はその頃、密かに海を越える旅路の果てにオスロへ向かっていた。変装し、夜の海へ漁船で漕ぎ出した“映画のような脱出劇”。その背景には、10年に及ぶ弾圧と信念を貫く一人の女性の決意があった。
娘が代わりに受け取ったノーベル平和賞 「自由は毎日勝ち取るもの」
10日、オスロ市庁舎。暖かな照明がステンドグラスを照らし、歴史ある空間に多くの国政関係者や研究者が集まる中、壇上にはマリア・コリナ・マチャド氏の大きな写真が掲げられていた。
マチャド氏は10年以上にわたってマドゥロ政権から渡航を禁じられ、潜伏生活を続けているため現地入りできなかった。
その代わりに姿を見せたのは、娘のアナ・コリナ・ソサ・マチャドさんだ。緊張の面持ちで賞状を受け取り、ゆっくりと語り始めた。
「戦う覚悟がある限り、自由は毎日勝ち取ることができる」
会場に静けさが広がる。母から託された言葉を一つ一つ噛みしめるように発したアナさんの声は、ベネズエラに残る支援者たちの思いを代弁していた。
なぜ彼女は追われるのか マチャド氏の人物像と闘いの歴史
マチャド氏は、ベネズエラ現代政治において稀有な存在だ。
民間出身でありながら、汚職や権力集中に抗い続け、自由で公正な選挙制度の確立を訴えてきた。鋭い分析力と歯に衣着せぬ発言で知られ、「恐れを知らない政治家」とも呼ばれる。
2014年にはデモ弾圧に抗議し、国連で人権問題を訴えたことで政権の怒りを買い、議員資格を剥奪される。それでも活動を続け、2024年の大統領選に向けた野党予備選では圧勝した。
しかし、政権側が「不正の疑い」を主張し裁判所が結果を停止。彼女の道は再び断たれた。
それでも諦めなかった。
民主主義が奪われつつある母国を前に、「自由は選択ではなく責務だ」と繰り返し訴えてきたという。
“映画のような脱出劇” 変装し、10カ所の検問を突破し、漁船で夜の海へ
授賞式終了から数時間後、オスロの夜空を切り裂くような歓声がホテル前に響いた。11日未明、バルコニーに姿を見せたマチャド氏の姿が確認されたのだ。
その旅路は、ウォール・ストリート・ジャーナルが「映画さながら」と伝えるほど熾烈だった。
・かつらをかぶり、変装して潜伏先を出発
・軍の検問所10カ所をひそかに通過
・深夜、木造漁船に乗り込みカリブ海へ
・米軍F-18戦闘機が40分間、上空で旋回し支援
波が船体を激しく叩きつける暗闇の海を越え、ようやく辿り着いたのはオランダ自治領キュラソー島。
そこで米国側の支援を受け、プライベートジェットでオスロに向かった。
「私を助けるために多くの人が命を懸けた」
出国直前に残した音声メッセージに、その重みが滲んでいた。
オスロ初会見 「帰国する」と語り、民主主義の未来を描く
11日に開いた記者会見で、マチャド氏は深い息をつきながら語り始めた。
「自由な国を築かなければ、民主主義は成り立たない。私たちの使命は、この先何世紀にも続く国家の骨格をつくることだ」
帰国の時期については「適切な条件が整えば戻る」とだけ述べた。政権は出国した時点で「逃亡者」とみなす姿勢を示しており、安全の保証はない。
しかし、彼女の目は揺らいでいなかった。
政権交代後には昨年の大統領候補ゴンサレス氏を暫定大統領とし、国内外の有権者が参加できる選挙制度を整える構想を語った。
さらに欧州諸国に加え、米ワシントンを訪れ支援を求める意向も示した。
「自由のための闘いは終わらない」。その言葉が、再びオスロの冷たい空気に響いた。



