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日本人として終わってます――井川意高、堀江貴文へ“批判通達”。SNS世論を二分した「国」と「資本」論争

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井川意高氏
井川意高氏 Xより

「106億円を熔かした男」が、再び世間を騒がせている。大王製紙の元社長で会長も務めた井川意高(もとたか)氏(60)が、10月21日未明に自身のX(旧ツイッター)を更新し、実業家の堀江貴文氏(52)に対して「もう無理です」「あなた日本人として終わってます」と痛烈な批判を投稿した。
この投稿は瞬く間に拡散され、「地獄の同窓会」「どっちもどっち」「井川が正論を言った」といったコメントが殺到。二人の因縁をなぞるように、ネット上で賛否両論の炎上が広がっている。

 

井川意高――エリートから転落、そして再起

京都府出身、東京大学法学部卒。井川氏は1987年に大王製紙へ入社し、2007年には社長に就任。44歳の若さで経営のトップに立った。だがその裏で、子会社7社から計約106億8,000万円を借り入れ、海外カジノに投じていたことが発覚する。会社法違反(特別背任)で逮捕・起訴され、懲役4年の実刑が確定。華やかな経歴は一転して「企業史上最大の背任事件」として名を残した。

2016年に出所後は、反省と再生をテーマにした著書『熔ける』や『井川意高の成金日記』を出版。テレビや講演で自らの過ちを語り、どこか達観したような“破滅からの帰還者”として再評価を得た。だが、SNSにおける彼の発言には、社会への違和感や憤りが常に滲んでいる。今回の堀江氏批判も、その延長線上にあると言っていい。

 

発端は「ニセコの土地問題」――堀江貴文の冷笑が火をつけた

きっかけは、北海道ニセコエリアを中心とした外国資本による土地買収問題だった。外国企業がリゾート地やホテルを次々と取得する現状に対し、「日本の水源地が買われている」「国家の安全保障に関わる」と懸念する声が相次いでいる。
そんな中、堀江氏は10月18日にXを更新し、こう投稿した。
「日本人がろくに投資もしてこなかったニセコエリアとかが、外国人の投資で盛り上がってきたら規制をしろとか、どんだけ自分勝手なんですか? 二束三文で放置してたんでしょ?」

この発言に対し、登山家の野口健氏らが「本質は水源の問題。国が規制してこなかったことが問題」と反論。堀江氏はさらに、
「水源云々は都市伝説ですよ。水を中国に持っていくとか、毒を注入するとか、そんな話を信じてるの?」
と切り返した。
経済合理主義の立場からの主張だが、その“冷笑的”な言葉遣いが反感を呼び、SNSでは「堀江の傲慢」「投資と国防は別問題」と批判が噴出した。

 

「タカポン、もう無理です」――井川が放った決裂宣言

こうした中、21日未明に井川氏が動いた。堀江氏の投稿を引用し、次のように記した。
「タカポン もう無理です これからは批判させてもらいます 今まで控えてましたが あなた日本人として終わってます 自民 公明 中共の使いっ走りになりましたね」

SNS上では、この短い文章が“通達”として大きな衝撃を与えた。井川氏は過去に堀江氏を「努力家で頭の回転が速い」と評していたこともあり、「絶縁宣言」と受け止める声も多い。
投稿後、「井川がついに怒った」「元経営者の憤り」「お前が言うな」などコメントが殺到。堀江氏は沈黙を保っているが、ネット上の“論戦”は急速に加熱している。

 

二人の共通点――成功と挫折を繰り返す“炎上のプロ”

堀江氏と井川氏、両者に共通するのは、いずれも東大卒のエリートであり、そして法に触れて失墜した経験を持つという点だ。
堀江氏はライブドア事件で証券取引法違反に問われ、実刑判決を受けた。井川氏は企業資金をカジノで溶かして有罪となった。
社会のルールを破った者同士が、今度はSNS上で「国」「資本」「道徳」を論じ合う。まるで現代版の寓話のようでもある。
堀江氏は自由市場を重視し、「投資は規制ではなく競争で成長を促すべき」と主張する。一方の井川氏は、「国の資産を守る責任がある」「日本人が日本の土地を大切にすべき」と唱える。
この対立は単なる個人間の喧嘩ではなく、「自由主義」と「愛国主義」の衝突でもある。

SNS上では「堀江の論理は正しいが人情がない」「井川の言葉は熱いが説得力がない」といった声が入り乱れ、現代日本の分断構造をそのまま映し出している。

 

言葉が燃える時代――“終わっている”のは誰なのか

井川氏の「日本人として終わってます」という一言は、単なる侮辱ではない。経済合理主義の名のもとに、国や共同体の意識が薄れていくことへの危機感の表明でもある。
だが、企業資金を私的に流用した過去を持つ人物が「日本人としての誇り」を語ることには、どうしても皮肉がつきまとう。
一方の堀江氏も、「儲からないことは悪」とする論調でしばしば批判を浴びてきた。二人はともに、燃えながら注目を浴び、炎上を糧に発信を続ける“現代の異端児”だ。

SNSでは、炎上が注目に変わり、注目が影響力を生む。もはや“燃えること”自体が目的化しているようにも見える。
今回の騒動もまた、言葉の力が人を動かすというより、燃料として消費されていく過程そのものが注目されている。

結局、“終わっている”のは誰なのか。堀江か、井川か。
それとも、炎上を娯楽として楽しむ私たち自身か。
言葉が拡散し、炎上が加速するこの時代。正義と論理の境界は、すでに熔けてしまっているのかもしれない。


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ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

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