外国人観光客急増の舞台裏

神奈川県鎌倉市が、外国人観光客によるオーバーツーリズム(観光公害)対策のために立ち上げたクラウドファンディングが、思わぬ形で炎上している。開始から6日が経過しても寄付者はわずか1人、金額は1万円にとどまった。市の担当者は「趣旨を理解してもらい、テコ入れを図りたい」と語るが、市民からは「なぜ迷惑を被っている側が金を払うのか」と怒りの声が上がる。産経新聞の報道をきっかけに、SNS上では“鎌倉市役所、完全に感覚がズレている”という批判が拡散した。
舞台となっているのは、江ノ島電鉄・鎌倉高校前駅近くの踏切。人気漫画『スラムダンク』の舞台として世界的に知られ、アジア圏からの観光客が詰めかける“聖地”だ。だが、その熱狂はすでに限界を超えている。海と電車が交差する美しい構図を求めて、道路へ飛び出して写真を撮る観光客が後を絶たない。違法駐車、ゴミのポイ捨て、近隣住民への迷惑行為――かつて“湘南の静けさ”を誇った街並みは、いまや外国語が飛び交う混雑の街へと変貌した。
SNSでは、こんな声が相次いだ。「外国人に課税すればいい」「害人1人につき料金を取れ」「なんのための税金なんだ」「市民の金で外国人の尻ぬぐいをするな」。ハムスター速報に寄せられたコメント欄では、“観光客に直接負担を求めるべき”“頭進次郎か”といった皮肉まで飛び交い、炎上は鎌倉市の観光行政そのものに及んでいる。
スラムダンク聖地・踏切の現場密着
秋晴れの朝7時。登校する高校生と、キャリーケースを引いた外国人観光客が同じ細い歩道をすれ違う。江ノ電のベルが鳴ると、線路際にスマホを構えた人々が一斉に前へ出る。海風に帽子が飛び、拾いに行く観光客が車道へ踏み出す。警備員が笛を鳴らすが、言葉が通じない。近所の主婦が「また今日もこれね」とため息をつきながら自転車を押す。
昼になると観光バスが列をなし、午後には路肩にゴミ袋が山積みになる。夕暮れどきには、“夕日のスラムダンクショット”を狙う観光客が密集し、地元の人は「外に出るのも一苦労」と嘆く。この混雑を整理するための警備や清掃、多言語掲示の設置など、費用はすべて市の負担だ。そして市が打ち出したのは「寄付でまかなう」という、前代未聞の“おもてなし型財政”だった。
市の“観光費2.3億円”と観光消費680億円、その落差とは
実は鎌倉市は、観光に関連する支出を「観光費」という形で一般会計に計上している。公表資料によると、平成25年度の当初予算で観光費は約2億3,000万円(232,517千円)。市の総予算に占める割合はわずか0.4%程度にすぎない。つまり、観光都市をうたう割に、観光に使える予算は驚くほど限られている。
一方、観光庁と環境省の統計によれば、鎌倉市を訪れる観光客の年間消費額は約680億円(平成30年時点)。観光消費が経済を潤す構造であることは確かだが、その収益が市の財政に還元される仕組みは薄い。宿泊税の導入もなく、日帰り客が中心のため、観光収入の多くは市外に流出する。結果として、清掃費や交通整理のコストだけが市の肩にのしかかる。まさに“受益と負担のねじれ”が生まれている。
クラファン頼みの矛盾と制度的限界
今回のクラウドファンディングは、そのねじれの象徴だ。本来ならば、外国人観光客や観光関連事業者からの協力金・目的税などで賄うべき負担を、市民の寄付に頼ろうとした。だが、寄付は集まらず、SNSでは「そもそも行政の仕事をクラファンに投げるな」と批判が殺到した。選挙を目前に控える市長にとっては痛手だが、市民の苛立ちは“税金の使い方”そのものに向いている。
ある投稿者はこう書いている。「外国人に免税して、日本人にクラファン。もう本末転倒だろ」別のユーザーは「これが“おもてなしの末路”だ」と皮肉を込めた。
“おもてなし信仰”が招いた観光地の疲弊
日本人の「おもてなし精神」は、長らく世界に称賛されてきた。しかし、少子高齢化と人手不足が進むいま、その“無償の親切”が街を疲弊させている。観光客のマナー違反を注意できない。外国人が集まりすぎても、強く規制できない。「日本人だから我慢する」「お客様だから仕方ない」――そんな思考停止が、結果として市民の生活を犠牲にしている。
本来の“おもてなし”とは、相手を思いやることと同時に、互いのルールを尊重することのはずだ。だが、行政が「寄付で対策費を」と言い出す時点で、もはや制度としての限界に達している。もはや“善意”だけでは街を守れない。必要なのは、外国人観光客にも公平に負担を求める制度設計だ。
寄付でしのぐ街から制度で守る街へ
鎌倉は、観光で栄えた街であると同時に、観光で疲れた街でもある。今回の炎上は単なる一過性の話題ではない。誰が利益を得て、誰がコストを負担しているのか――その不均衡が放置されてきたことへの市民の反発だ。“寄付でしのぐ街”ではなく、“制度で守る街”へ。いま鎌倉が直面しているのは、観光地としての成熟を問う試金石である。