
「立ったまま動けない」「けいれんして倒れる」。
那覇の繁華街で、夜ごとそんな異様な若者の姿が目撃されている。
原因は、今年5月に指定薬物に追加された「エトミデート」。本来は医療用麻酔薬だったこの物質が、「笑気麻酔」と偽られ電子タバコに混入し、SNSを介して若者に拡散している。短時間で強い多幸感をもたらす一方、激しいめまいや硬直を引き起こす――その危険な中毒性から「ゾンビタバコ」と呼ばれ、いま警察当局を震撼させている。
奇妙な“立ちすくみ”──那覇の夜に漂う異様な光景
那覇市の繁華街・松山や国際通りでは、最近、ただならぬ姿の若者が目撃されている。
酔客のように千鳥足で歩くわけでもなく、壁に寄りかかって動かない。肩や腕を小刻みに震わせ、虚ろな目のまま立ち尽くす姿は、まるで操り人形のようだ。
「酔っぱらいなら歩けるけど、あれは立ったまま動かないんですよ」
そう話すのは、現場で取材に応じた若者だ。SNSにも「ゾンビみたいな人がいた」「動かなくて怖かった」といった投稿が相次いでいる。この異様な現象の背景にあるのが、指定薬物「エトミデート」だ。
医療麻酔から違法薬物へ──SNSで拡散した“笑気麻酔”の嘘
エトミデートは本来、医療用麻酔薬として海外で使用されてきたが、日本では未承認だった。それが今年初めごろ、電子タバコ用リキッドに混ぜられて出回り始めた。
SNSでは「笑気麻酔」と偽って販売され、軽い気持ちで試す若者が急増。多幸感を得られるという触れ込みが、危険な好奇心を煽った。
こうした事態を受け、厚生労働省は5月、エトミデートを指定薬物に指定。製造、販売、所持、使用のすべてを禁止とし、違反すれば懲役や罰金の対象となった。だが、規制後も沖縄を中心に乱用は止まらない。SNSにはいまだに「合法リキッド」「笑気麻酔あります」といった文言が並び、闇の取引が続いている。
逮捕が相次ぐ沖縄──“合法ドラッグ”の末路
那覇や宜野湾では、10代後半から20代前半の若者が相次いで逮捕されている。
繁華街の路上で吸引して倒れた者、リキッドを所持したまま歩いていた者、さらには密売目的で売り捌こうとした者まで。いずれも「合法だと思っていた」「笑気麻酔の延長のようなもの」と供述している。
県警によると、エトミデート関連の摘発は5月以降で十数件にのぼり、その多くが初犯だったという。
7月には成田空港で、エトミデートをインドから密輸したとして中国籍の男3人が逮捕された。これは全国初の密輸摘発とされ、規制の抜け道を探る動きがすでに海外まで及んでいることが明らかになった。
こうした一連の報道は、沖縄県内での乱用実態を長期取材してきた琉球放送株式会社(RBC)による現地取材でも裏付けられている。RBCが那覇市松山で若者たちに聞き取りを行ったところ、「吸った人は歩けない」「立ったまま動けず、体が硬直する」といった証言が複数寄せられたという。現場には、既に“異様な日常”が存在している。
他の薬物とどう違うのか──「短時間破壊型」の恐怖
覚醒剤や大麻と比べ、エトミデートはその作用とリスクの質がまったく異なる。
覚醒剤が興奮と幻覚、大麻が鎮静と陶酔を引き起こすのに対し、エトミデートは吸引からわずか数十秒で強烈な多幸感を生み、続いて激しいめまいと筋肉の硬直、けいれんが起こる。
この「短時間で頂点に達し、崩れ落ちる」感覚こそが、使用者を再び手を伸ばさせる原因だと専門家は語る。
依存症支援団体「琉球GAIA」の鈴木文一代表は、「またやりたいという渇望が他の薬物よりも強い。何人も“どの薬よりエトミデートが好きだ”と話す」と警鐘を鳴らす。
乱用の結果、使用者の筋肉は硬直し、倒れ、呼吸が乱れ、場合によっては意識を失う。警察官が現場でけいれんする若者を保護した例も報告されている。
闇に呑み込まれる若者たち──密売と依存の連鎖
エトミデートは1本2万5000円ほどと高価で、金が尽きた使用者が密売に回るケースが少なくない。
SNSを通じて「リキッドあります」「麻酔ガス入荷」などと発信し、自らの薬代を得ようとする若者が増えている。興味本位で始めたはずが、気づけば違法薬物取引の当事者となっている。
背景には、孤独や貧困、家庭不和など、根深い生きづらさがある。
鈴木氏は「薬を断つだけでは不十分。薬物に逃げたくなる心の状態を治療しなければ再犯は防げない」と訴える。エトミデートの問題は、単なる薬物犯罪ではなく、若者の社会的孤立を映す鏡でもある。
広がる警戒と対策──「絶対に関わらない」という決意を
厚労省は今後、類似化合物の指定も視野に入れているが、対策はまだ追いついていない。
薬物の進化は速く、規制の網をすり抜ける新種が次々と登場する。現場の警察官も「SNS経由の販売は検挙が難しく、確認まで時間がかかる」と危機感を口にする。
若者を中心に、薬物への認識が薄れていることも問題だ。SNS上で“合法”と装われ、軽い気持ちで試す人が後を絶たない。
だが、その一吸いが命を奪うこともある。立ったまま崩れ落ち、身体が硬直し、意識を失う――その恐怖を知る者は多くない。
「ゾンビタバコ」と呼ばれる所以は、単なる比喩ではない。心も体も蝕まれ、操られたように再び吸ってしまう現実がある。
誰かの一瞬の興味が、次の悲劇を生む。買わない、使わない、関わらない――それが唯一の防衛策だ。