
俳優の山田裕貴(34)が9月1日深夜、自身がパーソナリティーを務めるニッポン放送「山田裕貴のオールナイトニッポン」で、8月16日に亡くなった父で元プロ野球選手の山田和利さん(享年60)の死去について初めて語った。
がん闘病の事実を伏せてきた父が旅立った後、訃報をSNSで報告した背景や、親子の記憶、そして残された後悔を赤裸々に明かし、リスナーに「親とは今のうちにたくさん話して」と呼びかけた。
「誰にも挨拶せずに逝っていいのか」葛藤の末の公表
和利さんは中日ドラゴンズ、広島カープで内野手として活躍し、引退後も両球団でコーチやフロントを務めた。だが、闘病の事実はごく限られた人しか知らなかった。
山田はラジオで「父は誰にも言わないまま逝ってしまった。でも、球団関係者やファンに何も言わずに逝かせていいのかと迷った」と吐露。
訃報をSNSで公表したのは「感謝とおわびを込めた挨拶」だったと説明した。
「今年の顔」と「父の引退」 同日に交錯した運命
2021年、山田は「日経トレンディ」が選ぶ「今年の顔」に選出された。その授賞式当日、父から「今日でプロ野球を退かざるを得なくなった」と告げられたという。
「親父は悔しかったと思います。でもその日に“俺が頑張らないと”と強く思った。役者として託された感覚がありました」と振り返り、父の存在が自身の奮起を促したことを明かした。
医師から余命半年から1年と宣告されながらも、和利さんは4年間病と闘った。山田は「僕は4回くらい覚悟をさせられた」と語る。
最初は車中で「こういう状況だから、おかんのこと頼むな」と言われた時。電話口でも同じ言葉を繰り返され、その度に覚悟を迫られたという。
2022年、山田家が「オールナイトニッポン」に出演。普段は寡黙な父が、その日に限って饒舌に語った。
「病気のこともあって喋りたがらない父でしたが、あの日は見事に話してくれた。最高の思い出になりました。リスナーのみなさんに感謝しています」と振り返り、「あの日から家族の会話が増えた」と打ち明けた。
最期の対面と「またな」の言葉
亡くなる5日前、山田は妻で女優の西野七瀬と実家を訪問した。「最期の顔をしているようで嫌だった」と感じたが、「またな」と声をかけて東京へ戻った。
数日後、家族全員が揃ったのを見届けるように、和利さんは息を引き取った。「親父は家族を待っていたのかもしれない」と声を詰まらせた。
球界やリスナーからの追悼の声
元中日投手の山本昌氏はSNSで「同期で寮も同じだった。感謝しかない」と追悼。球界OBや関係者からも弔意が寄せられた。
放送後、SNS上では「涙が止まらない」「親ともっと話そうと思った」といったリスナーの声が相次ぎ、大きな反響を呼んだ。
ラジオの最後、山田は「率直な感想は“もっとしゃべりたかった”です」と吐露。
「学生のみなさん、まだ大丈夫と思っていても必ず後悔する。だから今のうちに親とたくさん話してください」と強く呼びかけた。
「厳しく育てられたからこそ、この世界でやっていける」と父への感謝をにじませ、役者としての決意を新たにした。
プロフィール
山田裕貴(34歳)
- 生年月日:1990年9月18日、愛知県名古屋市出身
- 所属:ワタナベエンターテインメント
- 2010年D-BOYSオーディションでグランプリ。翌年『海賊戦隊ゴーカイジャー』で俳優デビュー。『High & Low』シリーズ、『東京リベンジャーズ』、『ゴジラ-1.0』などに出演。2022年エランドール賞新人賞受賞。2024年3月に女優・西野七瀬と結婚。
山田和利(享年60)
- 生年月日:1965年6月3日、没年月日:2025年8月16日
- 1983年ドラフト4位で中日入団。広島を経て中日に復帰。引退後は両球団でコーチやフロントを歴任。誠実な指導で球界に貢献。