
茶道裏千家の前家元で大宗匠の千玄室(せん・げんしつ)さんが8月14日未明、呼吸不全のため京都市内で亡くなった。102歳だった。特攻隊の生還者として戦争の悲惨さを語り継ぎ、「一盌(いちわん)からピースフルネスを」を掲げ、茶の湯を通じた国際平和活動に生涯を捧げた。
特攻隊の生還者として語り継いだ戦争の記憶
1923年、裏千家14代家元・淡々斎宗室の長男として京都に生まれた。本名は千政興。同志社大学在学中に学徒出陣で海軍へ入隊し、特別攻撃隊員として出撃命令を待つ中で終戦を迎えた。
訓練の合間には茶箱を広げ、仲間たちと小さな茶会を開いた。配給のようかんを菓子に添え、静かに点てられた一服は、戦場の現実からわずかに離れられる時間だったという。京大出身の戦友から「生きて帰れたら本物の茶室で茶を飲ませてくれ」と言われた瞬間、死の影が身近に迫っていることを痛感したと語っている。
終戦後に帰郷すると、玄関先で弟が「生きてはった!」と叫び、母は驚きのあまりその場に崩れ落ちた。母は出征中、無事を祈って茶を断っていたという。千さんは「母に抱きしめられた瞬間、戦友たちもこうして帰りたかっただろう」と語り、その記憶を生涯忘れなかった。
「一盌(いちわん)からピースフルネスを」茶道と外交をつなぐ理念
戦後、進駐軍相手に茶を点てた経験から、日本文化は世界に通用すると確信。1964年に15代家元を襲名し、国内外で茶の湯を広めた。国連やバチカン、アマゾンでも献茶を行い、ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使などを歴任。
「お茶の精神の根幹には『どうぞ(After you)』があります」と語り、その一服を通じて相手を尊重し、国や立場を超えて心を通わせる外交を実践した。献茶の席では要人も一般の参加者も同じ位置に座らせ、茶碗を回す所作の中に「平等」の理念を込めたという。
現代茶道界と平和活動への影響
千さんの活動は、茶道界の国際化を促し、現代の茶人たちが海外で活動する基盤を築いた。特に「After you」の精神は、裏千家の弟子や若い世代に受け継がれ、茶会や国際文化交流の場で実践されている。
戦後80年を目前に亡くなった今も、その言葉は多くの人の胸に残る。「一碗の茶が心を開き、人を結ぶ」という信念は、国際平和活動の現場や、茶の湯に触れた人々の間で生き続けている。
人柄を物語る逸話
取材時には大きく両手を広げて客を迎え、30年以上前に一度会った人物の顔を覚えていた逸話も残る。高い地位にあっても威圧感を与えず、目の前の相手を対等に見つめる姿勢は、多くの人を魅了した。