ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

【追悼】ハルク・ホーガンさん死去 「イチバン!」に託した日本との絆

コラム&ニュース コラム
リンクをコピー
ハルク・ホーガン
DALLーEで作成

アメリカのプロレスラー、ハルク・ホーガンさんが24日、南部フロリダ州の自宅で亡くなった。71歳だった。現地報道によると、朝に心停止の通報を受けて病院に搬送され、死亡が確認された。事件性はないという。

ホーガンさんは1980年代を代表する世界的スター。WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント、旧WWF)を中心に活躍し、金髪の長髪と鍛え上げられた肉体、そして派手なパフォーマンスで観客を魅了した。

米国内だけでなく、日本のプロレス界にも多大な影響を与えた人物だった。

 

 

「イチバン!」がつないだ、日本との熱狂

ホーガンさんが日本のリングに初めて登場したのは1980年。新日本プロレスの招聘によるものだった。当時はまだ無名の存在だったが、その体格と存在感はすでに異彩を放っていた。

アントニオ猪木氏との対戦では、国技館を埋め尽くす観客を相手に真っ向勝負を展開。「イチバン!」と指を突き上げるパフォーマンスは日本のファンに強く印象付けられ、以降の来日時にも繰り返された。

あの一言が、言葉を超えて日本の心を掴んだ。

 

“リアルアメリカン”は、試合外でも魅せた

ホーガンさんはプロレスラーとしての顔だけではない。日本滞在中の姿勢や行動は、プロ意識と誠実さに満ちていた。

たとえば、後楽園ホールでの試合後、深夜のホテルロビーでファンに囲まれた際、「時間がある限り、写真とサインには応じる」と言って、長蛇の列に一人ずつ対応したという逸話が残る。

また、あるテレビ番組の収録では、共演者の日本語が理解できない中でも、台本のルビを事前に読み込んで撮影に臨んでいた姿が、現場スタッフの記憶に残っている。

当時の新日本プロレス関係者は、「ホーガンは強さとやさしさのバランスが取れた稀有なレスラーだった」と語っている。

 

興行の枠を越えた存在に

ホーガンさんの活躍はWWEを中心とした米国内にとどまらず、AWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション)、WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)などを渡り歩いてスターとしての地位を確立。2005年にはWWE殿堂入りし、2020年にはnWo(ニュー・ワールド・オーダー)のメンバーとして2度目の殿堂入りを果たした。

日本でも外国人ヒールとは異なる立ち位置で親しまれ、人気漫画『キン肉マン』に登場する「ネプチューンマン」のモデルにもなった。

日米のファンにとって、ホーガンはただの強いレスラーではなく、象徴的な文化アイコンだった。

 

最後までパフォーマーであり続けた

近年はドナルド・トランプ前大統領の支持者としても知られ、2024年の共和党大会では壇上に登場。往年のパフォーマンスさながらにタンクトップを引き裂き、喝采を浴びた。

トランプ氏は24日、自身のSNSで「偉大な友人を失った。共和党大会でのあのしびれるようなスピーチは忘れられない」と追悼。副大統領候補のバンス氏も「子どもの頃、心から憧れた人物のひとりだった」と投稿した。

SNSには今も続く追悼の声

訃報が報じられると、SNSでは「#HulkHogan」が世界トレンドの上位に浮上。日本でも深夜にもかかわらず、追悼の投稿が続いている。

「ありがとうハルク。あなたがいたからプロレスが好きになった」
「“イチバン!”って叫んでたあの頃、自分も輝いてた気がする」
「子どもと一緒にドーム大会に行った。あれが最後だったけど、今も忘れない」

テレビの中で躍動するホーガンさんの姿は、多くの家庭の記憶のアルバムに刻まれている。

 

プロレス史に刻まれた「イチバン!」の遺産

リングの上でも、リングの外でも、ホーガンさんは常に「観客のために」生きた人物だった。

「イチバン!」という一言に、日本のファンは熱狂し、共鳴した。あの叫びはもう聞けない。しかし、かつての熱狂は、ファン一人ひとりの記憶の中で今も生きている。

 

Tags

ライター:

広島県在住。福岡教育大学卒。広告代理店在職中に、経営者や移住者など様々なバックグラウンドを持つ方々への取材を経験し、「人」の魅力が地域の魅力につながることを実感する。現在「伝える舎」の屋号で独立、「人の生きる姿」を言葉で綴るインタビューライターとして活動中。​​https://tsutaerusha.com

関連記事

タグ

To Top