
2025年、都議選での参政党の健闘やフェンタニル問題へのいち早い言及などで注目度を高めている神谷宗幣(かみや・そうへい)氏。その存在を「急に出てきた政治家」と捉える向きもあるが、実は彼は10数年以上にわたって一貫した思想と構想力で地方政治から国政を見据えてきた“筋金入り”の政治家である。
本稿は、筆者が2014年にインタビューした神谷宗幣氏を振り返るものである

神谷宗幣という政治家を、筆者が初めて取材したのは2014年。当時、筆者が関わっていたビジネス誌『BIGLIFE21』において、「地方から日本を変える!」というテーマでインタビューを行ったのがきっかけだった。
あの頃の神谷氏は、現職の吹田市議であり、「龍馬プロジェクト」の会長として全国を駆け回っていた。取材場所に現れた彼は、第一印象からして爽やかで、はっきり言って“イケメン”だった。さらに驚いたのはその弁舌の明快さと、思想の芯の強さだ。国家観を語らせれば若手政治家の中でも抜きん出ており、「こんなにちゃんと日本の未来を考えている人が若手でいるのか」と、率直に感嘆したのを覚えている。
心のどこかで、「この人が10年後、政権の中枢にいてもおかしくないな」と思った。だがその後の数年、彼の姿は主にYouTubeやオンライン講座のなかでしか見かけなくなった。CGS(Channel Grand Strategy)などのネット発信に注力していたが、政治の表舞台にはなかなか戻ってこない。「ああ、やはり政治の世界は一筋縄ではいかないのだな」と、半ば残念な気持ちで見ていた時期もあった。
それだけに、2022年の参院選で神谷氏が参政党の顔として初当選したときの驚きといったらない。久しぶりにテレビで見た神谷氏は、なんと体格がひとまわり大きくなっていた。まるで“思想が肉体に憑依した”ような迫力だった。あの爽やかイケメン市議はどこへ……と思いつつも、逆に言えばそれは、それだけの重圧と年月をくぐり抜けてきた証しなのだろう。
彼の言葉は変わらず鋭く、思想はより実践的になり、声はますます多くの人々に届くようになっていた。太ったかもしれないが、思想はさらに“締まって”いた──それが筆者の率直な印象である。
本稿では、2014年に神谷氏本人から聞いた言葉と、吹田市議時代から現在に至るまでの歩みをベースに、彼の思想がどのように成熟し、そしていかに参政党というかたちで開花したのかを丁寧にたどっていく。
国を語る者が減り続ける今、この10年、変わらなかった男の言葉に、もう一度耳を傾けてみたい。
吹田の一匹狼として
神谷氏の原点は、2007年に大阪府吹田市議会議員選挙へ立候補し、初当選を果たしたことにある。1人会派「吹田新選会」を立ち上げ、教育分野を中心に議会で積極的に発言を行った。とりわけ「君が代・日の丸」の徹底や、親のしつけの重要性を説く「親学」の推進を掲げた姿勢は、当時の吹田市議会で第一党だった共産党との間に激しい対立を生むことになった。
保守系無所属としての市議活動は、孤立を伴うものだったが、彼にとって信念を貫くことが何より重要だったという。卒業式での国歌斉唱、教育の本質に立ち返る提言など、「右翼」と揶揄されてもなお、彼の口から出る言葉にはぶれがなかった。
10年前のインタビューが記録した、思想の原型
2014年に掲載された『BIGLIFE21』でのインタビューにおいて、神谷氏はすでに現在の参政党が掲げる柱の萌芽となる思想を語っていた。「教育」「食料」「エネルギー」「軍事」「経済」という5つの分野における日本の自立こそが国家再興の鍵であり、それは坂本龍馬の「船中八策」から着想を得たものだったという。
特に教育に対しては、戦後の占領政策によって刷り込まれた“自虐的歴史観”を払拭し、多角的かつ自国に誇りを持てる歴史教育への転換を唱えていた。また、「本末転倒」の語源を引きながら、知識よりも人間性の涵養を優先すべきという主張は、今なお神谷氏の核を成す思想のひとつである。
加えて、若者を“平和ボケ”から目覚めさせるべく、海外に出してアイデンティティを獲得させるべきだという実践的な提案も、現在の「加賀プロジェクト」に通じる社会構想の原型と見ることができる。
龍馬プロジェクトで築いた保守ネットワーク
2010年に立ち上げた「龍馬プロジェクト」は、超党派の地方議員による政策ネットワークで、教育・文化・歴史認識・国防を柱とした保守系若手政治家の受け皿として機能した。神道や古事記の紙芝居を神社に奉納するなど、文化活動にも熱心だったことが特徴で、政策と文化の一体運動を模索していた様子がうかがえる。
このプロジェクトは、杉田水脈氏(現・自民党衆院議員)や南出賢一氏(現・泉大津市長)らを輩出し、神谷氏が保守政治の“裏街道”を歩きながらも確かなネットワークを築き上げていたことを証明している。
自民党支部長としての挑戦とその後の飛躍
2012年には自民党に入党し、大阪13区支部長として衆院選に出馬。当時の安倍晋三総裁や小泉進次郎青年局長の応援を受けるも、維新候補に敗れて落選。その後、2015年には大阪府議選にも無所属で挑むが再び落選。だがこの二度の敗北が、神谷氏に“発信の場”を見直す転機をもたらす。
政治の道を絶たれたかに見えた彼は、YouTube番組「CGS」を立ち上げ、歴史や教育、国家観についての議論を積極的に配信しはじめる。これが、保守思想とインターネットの融合という新しい潮流を生み出し、のちの参政党の母体となっていく。
参政党という「結晶」へ
2020年、神谷氏は「政党DIY」というユニークなコンセプトを掲げて参政党を結成。街頭演説やSNS、YouTubeなどを活用し、既存政党とは一線を画すコミュニケーション手法で支持を広げていった。
2022年には参議院比例区から出馬し、初当選。以後も代表として党勢拡大に尽力し、2025年には代表選挙でも勝利。フェンタニル問題の国会追及や、学校給食のオーガニック化の提案、加賀市での自給自足コミュニティの構築など、理念を現実に落とし込む実践型の政治スタイルを示している。
神谷宗幣の思想は、いまも変わらない
教育改革による精神的自立、日本人が誇りを取り戻すための歴史観の再構築、地方分散による地域の活性化、中小企業や職人文化への再評価──神谷氏の主張はいずれも、10年以上前から語られてきたことであり、その一貫性は驚くべきレベルにある。
彼が「陰謀論」と批判される背景には、ワクチンや食の安全保障、グローバル資本への警戒といったセンシティブな領域への言及がある。しかし、それらもまた「国民の目を覚まさせる」という彼なりの正義感に根ざしている。
神谷宗幣という存在は、思想家と行動者が融合したような存在だ。信じる者にとっては救いであり、懐疑的な者にとっても、議論の起点となる鋭い問いを突きつけている。
参政党代表のいま、そしてこれから
いま神谷氏が掲げる政治ビジョンは、教育・地方・自立・精神・文化というキーワードで語られる。2014年の『BIGLIFE』でのインタビューに示されていた思想は、10年を経てもなお色あせていないどころか、現実の政策として形を持ち始めている。
時代が彼に追いついたのか。彼が時代を作り出したのか──。いずれにせよ、「神谷とは何者か」という問いに対して、今日の答えはひとつではない。ただし、彼が何を言ってきたか、何をやってきたかを知れば、その問いに自分なりの答えを持つことはできるだろう。