
長崎県沖のEEZで起きた中国漁船拿捕。2022年以来となる強行措置は、岸田・石破両政権が目を背け続けた「海の聖域」でなぜ今、実行されたのか。鈴木農相の毅然とした態度の裏に潜む、権力者の野心と下世話な政治的思惑を鋭く射抜く。
深夜の波濤を切り裂くサーチライトと逃走する「海の掃除機」の陥落
2026年2月12日、深夜。長崎県五島市の女島灯台から南西約170キロ、日本の排他的経済水域(EEZ)はどす黒い冷気に包まれていた。その静寂を切り裂いたのは、水産庁の漁業取締船「白鴎丸」が放つ青白いサーチライトである。
照らし出されたのは、中国籍の虎網漁船「チオントンユィ11998」。強力な集魚灯で稚魚まで根こそぎ奪い去るこの船は、地元の漁師たちの間で「海を砂漠にする掃除機」と忌み嫌われる不法操業の常連だ。
「停船せよ! 立ち入り検査を行う!」 白鴎丸からの警告を無視し、漁船は黒い煙を吐き出して逃走を開始した。波を蹴立て、暗闇を切り裂く約4時間の死闘。だが、この夜の日本の「本気度」は過去数年とは明らかに違っていた。ついに47歳の中国籍船長を、漁業主権法違反(立ち入り検査拒否)の疑いで現行犯逮捕したのである。
一網で数千万の損失、虎網漁が日本の食卓を破壊する経済的殺傷能力
なぜこれほどまでに現場は殺気立っていたのか。それは拿捕された「虎網漁」が、単なる密漁の域を超えた経済的破壊力を持っているからだ。この漁法は一度の投網で数十トン、時には百トンを超える魚を吸い上げる。
恐ろしいのはその「無慈悲さ」だ。網にかかるのは成魚だけではない。将来の資源となるはずの稚魚までもが一網打尽にされ、海は文字通り生命の気配を失う。ある漁業関係者は、「やつらが通った後は、数年はまともな漁にならない」と肩を落とす。このまま野放しにすれば、日本の水産サプライチェーンは崩壊し、食卓から手頃な魚が消える。今回の拿捕は、まさに日本の食糧安全保障という「胃袋」を守るための瀬戸際の攻防だったのだ。
なぜ2022年以来なのか?岸田・石破政権が続けた「弱腰外交」の残像
今回の拿捕がこれほど大きな意味を持つのは、水産庁による中国漁船の拿捕が2022年12月以来、実に3年以上も「凍結」されていたからだ。なぜ、これほどまでの空白期間が必要だったのか。
時計の針を戻せば、岸田前総理による「対話重視」の微温的な調整、そして石破前総理が理想に掲げた「アジア版NATO」構想の陰で、現場の取締官たちは政治的忖度という名の目に見えない鎖に縛り付けられていた。SNS上で「石破政権なら見て見ぬふりをしていただろう」と吐き捨てられるように、大衆は永田町に漂う煮え切らない空気に飽き飽きしていた。今回の拿捕は、そうした前政権までの「事なかれ主義」による失点を、力によって強引に書き換えようとする現政権のデモンストレーションとも読み取れる。
鈴木憲和農相の「覚醒」に透けて見える、ポスト石破への下世話な野心
この劇的な捕物帳において、誰よりも雄弁に振る舞ったのが鈴木憲和農林水産大臣である。閣議後の会見、一点の曇りもない表情で「今後とも毅然とした対応で取り締まりに取り組む」と言い放つその姿は、あまりに完璧に作り込まれた役者のようであった。
永田町の喧騒の中では、この「覚醒」を次期総理への階段を駆け上がるための巧妙なプレゼンス向上策だと揶揄する声が絶えない。かつて小泉純一郎氏が大衆のナショナリズムを熱狂させたように、鈴木氏もまた、国民が飢えていた「強さ」を演じることで、自らの政治的ブランドを確立しようとしているのではないか。漁民の生活を守るという高潔な大義名分の裏側で、ポスト石破を狙う下世話な計算が働いているのだとすれば、この拿捕劇は極めて冷徹な政治ショーの序幕といえる。
「国防が帰ってきた!」SNSで爆発する称賛と、拭いきれない懐疑論
このニュースが流れるやいなや、SNS上は沸騰した。「ついに日本の国防が帰ってきた」「鈴木大臣、覚醒したのか。いいぞもっとやれ」といった、政府の強気な姿勢を歓迎する投稿がタイムラインを埋め尽くしている。中には「石破政権なら見て見ぬふりをしていただろう」と前政権の対応を引き合いに出し、溜飲を下げるユーザーも少なくない。
一方で、冷ややかな視線も存在する。「パフォーマンスに騙されるな。結局、翌日には担保金で釈放されているじゃないか」という、制度の限界を突く鋭い指摘だ。期待と不信。ネット上に渦巻くこの極端な二極化こそが、閉塞感に満ちた今の日本社会が抱える「強さへの飢餓感」を象徴している。
担保金で即日釈放、司法の敗北を「経費」として織り込む密漁組織
SNSの懸念通り、現実はどこまでも乾いている。逮捕された船長は、翌13日夜には担保金の支払い保証書が提出されたことで、あっさりと釈放されているのだ。
結局のところ、どんなにドラマチックな逮捕劇を演じても、最後は金で解決できるという既存の枠組みに収束してしまう。驚くべきことに、こうした担保金は密漁組織にとって「必要経費」としてあらかじめ計上されているという。一網打尽にすれば数億円の利益が出る彼らにとって、数千万の担保金など、投資対効果で見れば安いものなのだ。この「金さえ払えば戻れる」という構造上の限界こそが、法執行の形骸化を象徴している。
海洋資源を「国家の戦略資産」と捉える、冷徹な視線の必要性
結びとして、我々ビジネスパーソンがこのルポルタージュから汲み取るべきは、権力者の言葉に潜む「動機」を見抜く力である。今回の拿捕を単純な主権の回復と祝うのは短絡的だ。食料安全保障を支えるサプライチェーンの安定を願う経済界にとって、必要なのは政治家の人気取りのための打ち上げ花火ではなく、予測可能な法治の貫徹である。
海洋資源は国家の戦略資産である。それが政治家のキャリア形成や、一時のナショナリズムという下世話な欲望に振り回されることがあってはならない。我々は、派手な演出に目を奪われることなく、この「毅然とした対応」が持続的な制度として根付くのか、それを冷めた視線で見極め続ける必要がある。



