
2月12日、イタリア・リヴィーニョの雪原。ミラノ・コルティナ五輪の熱狂の裏で、ある“事件”とも呼べる光景が広がっていた。
フリースタイルスキー女子モーグル予選。スタートゲートに立ったのは、スウェーデン代表のエリス・ルンドホルム(23)。端正な顔立ちの彼は、冬季五輪史上初めてカミングアウトして出場したトランスジェンダー選手だ。しかし、彼が挑んだのは男子部門ではない。「女子」部門だったのだ。
「私は他の選手と同じ条件でこの場に立っている。ただスキーを滑っているだけだ」
予選25位で敗退が決まった直後、ミックスゾーンで彼はそう語った。気丈な振る舞いだったが、その言葉の裏には、世界中から注がれる好奇の目に対する疲弊も滲んでいた。
「手術なし」だからこその“女子出場”
なぜ、男性と自認する彼が女子枠で戦うのか。そこには五輪規定の複雑な綾がある。
「ルンドホルム選手はトランス男性(FtM)ですが、ホルモン療法や性別適合手術を受けていません。現在のIOC(国際オリンピック委員会)やFIS(国際スキー連盟)の規定では、生まれつきの性別で身体的処置を行っていない場合、女子部門への出場は何ら制限されないのです」(ジャーナリスト)
昨今、スポーツ界では「元男性のトランス女性が女子枠に出ること」への逆風が吹き荒れている。IOCのカースティ・コベントリー会長主導で締め出しが検討される中、ルンドホルムのケースはその“逆”を行く形となった。
スウェーデン代表チームも「彼は治療を受けておらず、不公平だという議論は起きていない」と擁護する。実際、ライバルの米国選手テス・ジョンソンも「エリスが競い合うのは素晴らしいこと」と歓迎した。
保守派も混乱した「奇妙なねじれ」
しかし、この状況は皮肉な現象も生んでいる。これまでトランスジェンダー排除を叫んできた保守派の一部が、ルンドホルムの出場を“肯定”し始めたのだ。
「『生物学的女性が女子枠に出るのは当然』という理屈です。ある反トランス活動家は、SNSで彼をわざと女性代名詞(She)で呼びながら称賛し、後にその矛盾を指摘されて釈明に追われました。彼らは自分たちの主張のために、ルンドホルム選手を利用しているようにも見えます」(同前)
一方のLGBTQ+コミュニティからも、「可視化されたことは歴史的」と喜ぶ声がある反面、「男性アイデンティティを持つ彼が、女子枠で戦わざるを得ない現状」を嘆く声も上がる。
「幸せだ」と言い残して
「冬季種目初のトランスジェンダーであることについて、深く考えたことはない」
そう繰り返したルンドホルム。予選敗退という結果に終わり、メダル争いには絡めなかったが、彼が残した「今日の滑りは最高ではなかったが、見直すべき点はわかった。幸せだ」という言葉は、競技者としての誇りに満ちていた。
性別か、競技か。ミラノの雪に刻まれた彼のシュプールは、過渡期にある五輪の在り方に、重く、そして深い問いを突きつけている。



