
深夜の東京市場に激震が走った。フジ・メディア・ホールディングス(FMH)が発表した、自己株式の公開買い付け。その額、実に2349億円。
日本企業史に残るこの巨額バイバックの裏側で、かつてヒルズの住人と呼ばれた男が、静かに、しかし高らかに笑っていた。村上世彰。20年前、ライブドア事件で苦汁をなめた稀代の相場師が、お台場のメディア帝国から巻き上げたのは、莫大な勝利の配当だった。
「手じまい」という名の完全勝利
「まさか、ここまで満額回答を引き出すとは……」
大手証券会社のトレーダーが絶句したのも無理はない。2月5日、FMHは村上世彰氏の長女・野村絢氏らが保有する株式のすべてを買い取ると発表した。
買い取り価格は1株3839円。市場外取引(ToSTNeT-3)を用いた電撃的な手打ちである。
我々編集部が独自に試算した結果、その利益は凄まじい。
村上陣営の平均取得単価は約2740円と見られる。これをわずか1年弱で売り抜け、手にした売却益(キャピタルゲイン)は税引前で約450億円。
サラリーマンの生涯年収の150倍近い現金を、彼はたった一度の取引で「確定」させたのだ。
「これは単なる投資ではない。村上氏による“パーフェクトゲーム”だ」
あるヘッジファンド・マネージャーはそう舌を巻く。
「村上氏はFMHの急所を正確に突いていた。PBR(株価純資産倍率)1倍割れの是正、そして虎の子である『不動産事業』の切り離し要求。これらは正論すぎて、FMH経営陣は反論できなかった。最後は『カネで出て行ってもらう』以外に選択肢をなくさせたのだ」
亡霊との決別、あるいは「手切れ金」
なぜ、フジテレビはこれほどの巨費を投じてまで村上氏を追い出したかったのか。
その答えは、20年前に遡る。
2005年、堀江貴文氏率いるライブドアによるニッポン放送買収劇。その背後で糸を引いていたのが村上ファンドだった。当時、フジテレビのドン・日枝久氏(現・相談役)は、ポイズンピル(買収防衛策)を盾に徹底抗戦し、村上氏はその後、インサイダー取引疑惑で逮捕されることとなる。
「村上さんにとって、フジテレビは自身のキャリアに泥を塗った因縁の相手。今回の再戦は、単なる金儲け以上の『復讐戦』だったはずだ」(経済ジャーナリスト)
一方で、フジ内部にも変化があった。事情通はこう囁く。
「今回の決断を下したのは、現社長の清水氏だと言われている。実は社内では、いまだに隠然たる影響力を持つ『日枝派』と、現経営陣との間に溝があった。村上氏が突いたのは、日枝時代に導入された買収防衛策が、今の株主にとってデメリットでしかないという矛盾だ。清水社長は、村上氏という外圧を利用して、日枝時代の負の遺産を一掃しようとしたのではないか」
つまり、この2350億円は、村上氏への解決金であると同時に、フジテレビが過去の呪縛(日枝院政)から解き放たれるための「手切れ金」でもあったのだ。
フジに残された「焦土」
だが、勝利の美酒に酔う村上氏に対し、フジに残されたのは「焦土」に近いバランスシートだ。
M&A専門家は、今後のフジの行方を危惧する。
「2350億円のキャッシュアウトは、FMHの財務体力を確実に削ぎます。彼らが守りたかったサンケイビルなどの不動産事業は手元に残りましたが、それを次の成長にどう活かすのか。もし不動産市況が悪化すれば、今回の自社株買いは『高値掴み』として経営陣の責任問題に発展しかねない」
さらに、別の懸念もある。
「村上氏が去った後、別の物言う株主(アクティビスト)が入ってこない保証はない。今のフジは現金を吐き出し、丸裸の状態。『放送外収入で食っているテレビ局』という構造的な弱点は何一つ変わっていないのですから」
終幕から次のゴングへ
お台場の球体展望室から見える景色は、20年前と変わらない。
しかし、その足元で動いた巨額のマネーゲームは、日本のメディア企業の脆弱さと、資本の論理の冷徹さを残酷なまでに浮き彫りにした。
村上世彰は去った。450億円の札束と共に。
静寂を取り戻したフジテレビだが、その静けさは、次なる嵐の前のそれに過ぎないのかもしれない。



