
みつあくま氏のVOCALOID新曲『オシリスダンス』が海外で炎上。古代エジプト文化への侮辱との批判や、オマージュか文化的盗用かを巡る論争、SNSの反応や今後の展開を週刊誌調で詳しく解説。
みつあくま氏のボカロ新曲『オシリスダンス』、公開直後から海外で批判噴出
2026年1月9日、人気クリエイター・みつあくま氏が公開した新作ボカロ楽曲『オシリスダンス(Osiris Dance)』が、公開直後からアジア圏・英語圏SNSを中心に批判の渦に巻き込まれている。
一見すると、昨今流行っているような可愛らしいボカロ曲に見える。
しかし、批判の核心には、古代エジプト神話の主神「オシリス」を扱った表現が「特定の文化に対するモラルや尊重に欠ける」との指摘がある。
海外SNSで批判相次ぐ 「文化的冒涜」との指摘
『オシリスダンス(Osiris Dance)』のサビには、
「Hip Hop Shaking おしり オシリス アタイら神だ!」
との歌詞がある。
「オシリス(Osiris )」とは、日本ではあまり馴染みが無いかもしれないが、死と再生の神や冥界の王として広く知られ、エジプトでは葬祭儀式でも重要なポジションの神である。
そんな重要で神聖な神を、「おしり」のダジャレで使うなんて神への冒涜である、ということなのだ。
YouTube公開直後、視聴者コメントやX(旧Twitter)の投稿には、
・曲名や歌詞に登場する「Osiris(オシリス)」をコミカル・下品な文脈で扱っており、古代エジプト文化を侮辱しているように受け取れる
・古代宗教・神話の神を「おしり(尻)」と韻を踏ませる形で表現していることへの不快感
・みつあくま氏自身のアートワークやMV表現が、SWANA(中東・北アフリカ)文化の象徴性を軽視している可能性がある
といった批判が拡散。
作品タイトルそのものが神格を揶揄しているのではないかという論争に発展している。
海外ファンフォーラムでも、「神話をコミカルに扱うなら背景リスペクトが必須」という意見が目立つ。
この炎上は、ただのミーム批判に留まらず、文化的盗用(Cultural Appropriation)論争と結びつきつつある。文化的盗用とは、本来の意味・背景を持つ文化的要素を別文化の創作物が軽率に取り入れ、元の文化に痛みや損失を与える可能性があるという考え方だ。
『オシリスダンス』の何が問題?歌詞と表現の受け止め方
『オシリスダンス』で公開された公式英訳付き歌詞を見ると、神話の神「Osiris(オシリス)」や「mummy(ミイラ)」といった古代エジプト文化を象徴する単語が何度も登場。曲調はダンスミュージックだが、ユーモア表現の強さが批判を呼んでいる。
「Hip Hop Shaking おしり オシリス アタイら神だ!」
「Captivated / Turned into a mummy(魅入られちゃった/ミイラになっちゃった)」
これらの歌詞は、本来の神話的・宗教的背景を踏まえたものというより、言葉遊び・ダンスミュージックへの乗せ方として書かれている印象が強いが、一部では「文化的象徴の軽率な扱い」と受け止められている。
「炎上」の背景 オマージュと侮辱の境界線
今回の議論の焦点は、単に「異文化の象徴を使った曲だから炎上している」だけではない。その背景には次のような複雑な観点がある。
① オマージュとしての創作意図
クリエイター側には、古代エジプトの神話や歴史を現代的・ポップカルチャー的に再解釈しようという意図がある可能性がある。実際、タイトルや舞曲的な要素は、神話からインスピレーションを受けた作品の典型でもある。
② 文化的盗用 (Cultural Appropriation) の問題
しかし、文化的オマージュと文化的盗用の境界線はしばしば曖昧であり、特に宗教的・歴史的象徴はそれぞれの文化圏で極めてセンシティブなものとみなされることがある。特にSWANA地域の神話・象徴は、軽率な扱いがすぐに批判を生む土壌がある。
③ ミーム文化と表現の受け取り方
ソーシャルメディアでは、アート表現がミーム的に消費される過程で意図と異なる理解が広がることがある。今回のようなギャグ・ユーモア色の強い作品は、元の文化的文脈を無視して受け取られるリスクを内包している。これが「侮辱的」「不敬」として炎上する主要因にもなっている。
一方で、擁護派の意見も。
・歌詞は言葉遊び・創作性重視であり、悪意はない
・古代文化へのリスペクトを含む「オマージュ」として受け取るべき
・アートや音楽表現の自由を侵害するべきではない
という意見が海外ボカロコミュニティやYouTubeコメント欄に散見される。
文化的盗用議論そのものが複雑であり、何が冒涜に当たるかは境界線が曖昧だという指摘もある。一部専門家・論者は、文化交流と文化剽窃(ひょうせつ)は区別すべきだと主張している。
SNS炎上の背景には「受け取り方のズレ」があるか
この問題を単純に「批判=炎上」と片付けてしまうには、現代の文化受容のあり方に深層の課題がある。今やSNSでは、作品が「ミーム化」される過程で意図とは異なる読み取りが広がることがある。
特定文化の象徴をポップに扱う表現は、リスペクトと軽視の差を微妙なものにしやすい。これが海外での批判拡大につながっている可能性がある。
クリエイター側の公式見解はまだ表明なし
執筆時点では、みつあくま氏からの公式な謝罪声明や見解表明は確認できていない。楽曲は公開されたままであり、再生数はSNSでの議論と並行して伸び続けている。
また、批判の中には「創作の自由と表現の多様性を尊重すべきだ」といった擁護意見も見られ、炎上が一方的な否定で終わる可能性は低い。今年1月時点では、今後の議論とクリエイター側の対応が大きな注目点となっている。
表現の自由と文化的配慮、その境界線が問われた一曲
『オシリスダンス』をめぐる今回の炎上は、単なるボカロ楽曲の是非を超え、現代の創作活動が抱える根本的な課題を浮き彫りにした。
創作意図に悪意がなかったとしても、受け手が不快に感じれば炎上は避けられない。SNS時代においては、表現の自由と文化的配慮は常に背中合わせの関係にあるのだ。
『オシリスダンス』は、単なる一曲のヒット作、あるいは炎上作として消費されるだけでなく、現代の創作と文化尊重のあり方を考えさせる象徴的な作品として、しばらく議論の中心に居続けることになりそうだ。



