
「サンタの帽子が原因ではなかったのか?」。 インド・バラナシのガンジス川で日本人グループが激怒された騒動で、12月31日、当事者であるYouTuber「坂口カメラ」と現地コーディネーターが相次いで声明を発表。 そこで明かされたのは、現地の怒りを買った本当の理由が「聖なる川のほとりでの放尿」という、最悪の事実だった。
▼ガンジス川サンタコス騒動をインドのメディアがどう報じたのかはこちらから▼

「サンタの帽子が原因ではなかったのか?」。 インド・バラナシのガンジス川で日本人グループが激怒された騒動で、12月31日、当事者であるYouTuber「坂口カメラ」と現地コーディネーターが相次いで声明を発表。 そこで明かされたのは、現地の怒りを買った本当の理由が「聖なる川のほとりでの放尿」という、最悪の事実だった。
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坂口カメラが公開した謝罪文には、耳を疑うような一文が記されていた。
「動画内で指摘されている排尿行為は、旅行に同行していたSNS活動を行っていない第三者による、個人的な行為です」
一緒にインドまで旅行し、行動を共にしていた仲間を「第三者」と呼んで切り捨てるこの表現には、違和感を覚えざるを得ない。 ネット上では「同行者を第三者とは言わないだろ」「トカゲの尻尾切りか」と呆れる声が噴出している。自分たちのブランドを守るために、必死で「自分(と女性陣)じゃない」と線引きしようとする魂胆が見え透いているのだ。
一方、現地で彼らをアテンドしていたガイド・坪和寛久氏の声明はより具体的かつ悲痛だ。 坪氏は、サンタ帽自体は事前に確認済みで問題なかったとしつつ、「同行していた一人が、ガンジス川のほとりで突如として放尿を行ってしまったことが、現地の強い反発を招く直接のきっかけとなりました」と断言している。
ガイドにとっても想定外の愚行だったようだが、止められなかった管理責任は免れない。聖地で「突如として放尿」するような常識外れの人間を連れ回していたこと自体が、YouTuberグループとしての資質を物語っている。
この行為がどれほど深刻か。 わかりやすく言えば、「外国人が日本の靖国神社の本殿に向かって立ちションをした」のと同じ侮辱行為である。 かつて中国人インフルエンサーが靖国神社で放尿し、スプレーで落書きをして国際的な大炎上を引き起こしたが、今回の日本人グループがやったことは、ヒンドゥー教徒にとってそれと全く同義だ。
「文化の違い」や「知らなかった」で済まされる話ではない。彼らの行動は、インドという国の尊厳を踏みにじる「国辱モノ」の外交問題に発展しかねない危険性をはらんでいる。
坂口カメラは「当該行為を容認する意図は一切ない」と弁明しているが、その場にいて、あまつさえその状況下で動画を回していた(からこそ騒動が記録された)責任は重い。「俺たちがやったんじゃない、ついてきた一般人が勝手にやった」という言い訳が、激怒するインドの人々に、そして呆れ果てている日本の視聴者に通じるとでも思っているのだろうか。
「女友達を有名にする物語」を描くはずが、皮肉にも「日本の恥として世界に名を轟かせる物語」になってしまったようだ。
かくなる上は、スマホ一台で謝罪風の画像をSNSにアップして「はい、終わり」などという甘えは通用しないと知るべきだ。
坂口カメラ、レイラ、はまのあんずと「第三者の同行者」の計4名が本当に反省し、失った日本人への信頼を取り戻したいと願うなら、やるべきことは一つしかない。 即刻インド・バラナシへ自費で戻り、一切のカメラとスマホをホテルに置いて、1週間ほど「ガート(沐浴場)の清掃ボランティア」に従事することだ。
自分たちが汚そうとした聖地を、その手で清める。「映え」も「再生数」も「承認欲求」もすべてドブに捨て、ひたすら現地の人々に頭を下げてゴミを拾う。その姿を、あえて動画にせず、誰にも言わずにやり遂げた時、初めて彼らは「インフルエンサー」という虚像から脱却し、まともな人間として許されるスタートラインに立てるのではないか。
「第三者」などという顔のない犯人を盾に隠れている暇があるなら、リーダーである坂口カメラ自身が率先して汗をかき、泥をかぶるべきだ。それができないなら、二度と「日本」の看板を背負って海を渡るなと言いたい。
ライター:
ライター歴26年。月刊誌記者を経て独立。企業経営者取材や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。