
全国放送のテレビ番組撮影をめぐり、北海道札幌市のラーメン店「銀波露」札幌手稲店が深刻な被害を受けた。大規模な仕込みを求めながら、連絡もなく撮影は消滅。
大量の食材が廃棄寸前に追い込まれる中、現場を救ったのはテレビではなく客だった。制作現場の無責任さと業界体質が、いま厳しく問われている。
連絡なき撮影中止が突きつけた現実
問題が明らかになったのは12月14日の夜だった。北海道内を中心に展開するラーメンチェーン「銀波露」札幌手稲店が、公式のXアカウントで異例の投稿を行った。全国放送のテレビ番組によるデカ盛り企画の撮影が予定されていたものの、事前連絡がないまま閉店時間を迎えたという。
店側の説明によると、番組側からは2kgから8kgのラーメン提供を求められ、最大量となる8kg分の食材を用意していた。通常営業では想定されない量であり、仕入れや仕込みには相応のコストと人手がかかる。それでも店は撮影協力として要請に応じた。しかし、撮影の中止や延期を知らせる連絡は一切なかった。
テレビ番組制作において、スケジュール変更が起こり得ること自体は否定できない。ただし、それは現場への丁寧な連絡と説明があって初めて成立する。今回のように、無言のまま現場を放置する行為は、制作側の基本的な責任を著しく欠いている。
フードロスの危機に追い込まれた飲食店
投稿で店は「捨てるのは嫌なのでお願いします」と来店を呼びかけた。その言葉からは、被害を訴える以上に、フードロスを何としても避けたいという切実な思いがにじんでいた。飲食店にとって食材廃棄は単なる損失ではない。食材への敬意、商売人としての矜持にも直結する問題だ。
この投稿は瞬く間に拡散し、閲覧数は1900万件を超えた。反響が広がる中で、テレビ局名や番組名を明かさない理由についても説明がなされた。店は「こちら側が不利になるのを考えて全国テレビと表記している」と述べ、今後も実名を出すつもりはないとした。
この判断は、決して曖昧さを選んだ結果ではない。取引関係や今後の影響を考えれば、制作側の実名公表が店側に新たな不利益をもたらす可能性は十分にある。テレビ局と個人店舗の間に横たわる力関係の差が、ここでも浮き彫りになった。
救ったのは番組ではなく客だった
12月15日、店の前には開店前から行列ができた。投稿を見て駆けつけた客が次々と来店し、用意されていた食材はすべて使い切られた。午後には麺が底をつき、営業を続けられない状況にまでなった。
深夜に投稿された店の言葉には、フードロスを回避できたことへの安堵と、来店客への感謝が綴られていた。そこに制作側への強い非難はない。ただ淡々と事実と感謝が記されている。この抑制された姿勢が、かえってテレビ制作側の無責任さを際立たせた。
本来、全国放送の番組が果たすべき役割は、地域の店や人の魅力を伝え、共に価値を生むことにある。しかし今回、番組は現場を支えるどころか、現場を追い込み、救済は視聴者ではなく客の善意に委ねられた。
常態化する制作現場の無責任体質
テレビ業界では、撮影スケジュールの変更やキャンセルが珍しくないとされてきた。だが、それが常態化する中で、現場への配慮や補償が置き去りにされていないか。飲食店は撮影用の舞台装置ではない。食材には命があり、営業には生活がかかっている。
全国放送という看板が、無言の圧力として機能し、協力する側が声を上げにくい構造も深刻だ。今回の件は偶発的なトラブルではなく、制作現場に根付いた体質の表れと見るべきだろう。
SNS時代において、その歪みは一瞬で可視化される。今回、店の誠実な対応と客の行動が注目された一方で、同様の被害が水面下で繰り返されている可能性は否定できない。
問われるテレビ局の公共性と責任
テレビ局は公共性を掲げ、社会に大きな影響力を持つ存在だ。その立場にある以上、取材や撮影の一つ一つに説明責任が伴う。連絡を怠り、損失を現場に押し付ける行為は、公共性以前の問題である。
視聴者が求めているのは、派手な企画や刺激的な映像だけではない。制作の裏側にある倫理と誠実さも、厳しく見られている。札幌のラーメン店で起きた今回の出来事は、テレビ局が自らの足元を見直すべき警告と言える。



