
自民党の新総裁に就任した高市早苗氏(64)が10月9日夜、テレビ朝日系『報道ステーション』に中継で生出演した。番組では大越健介キャスター(64)がインタビューを担当したが、その進行ぶりが視聴者の間で波紋を広げている。
「高市氏に対して態度が冷たい」「嫌味な物言い」といった指摘が相次ぎ、SNS上では“嫌っているのではないか”という声まで上がった。果たしてそれは個人感情の表れなのか、それとも報道者としての演出だったのか――。
「もし総理になれば」──二重否定の言葉に込められた距離感
番組中盤、大越氏は政治日程をまとめたパネルを手に、「まぁ、高市さんがもし総理大臣になればですけれども」と前置きしたうえで、10月中のASEAN関連首脳会議やAPEC首脳会議、さらにはトランプ米大統領(79)の来日予定などを説明した。
そして、「外交デビューが待っているわけですね、新総理には」と続けた直後、「高市さんかどうかは分かりませんけど」と意味深に笑みを浮かべたのだ。
この二重の保険をかけた言い回しに、スタジオは一瞬の間を置いた。高市氏は苦笑で受け流したが、視聴者の反応は鋭かった。X(旧Twitter)には「言い方が嫌味」「高市さんを下に見ているように聞こえた」といった書き込みが並んだ。中には「“もし総理になれば”って、すでに就任してるのにおかしくないか?」と事実関係を指摘する声もあった。
政治取材経験のある全国紙記者はこう分析する。
「大越さんは政治家への“含みのある問い”を多用するタイプ。本人に悪意がなくとも、相手が女性政治家だとその口調が際立って見える。特に高市氏は明確な言葉遣いと強い口調が特徴ですから、そこに微妙な温度差が生じると、途端に“嫌っている”印象になるのです」
麻生太郎氏との関係を問う場面で“割り込み”発言
続いて話題は党役員人事に及び、麻生太郎副総裁(85)との関係性を問われた場面だった。高市氏は「麻生元総理は『高市に投票しろ』とは1回もおっしゃっていない」と説明。さらに「1回目の投票では別の候補を挙げられ、2回目は『党員票の多かった人に投票せよ』とおっしゃった」と詳細に述べた。
ところがその途中、大越氏が話を遮って「(麻生氏は)高市さんを想定してたんでしょ?」と軽く笑いながら突っ込んだのだ。高市氏は少し間を置き、「いえ、それは分かりません」と静かに答えた。
政治記者が語る。
「質問者が“割り込み”をするのは、議論の焦点をずらさないための手法とも言えます。しかし、そのタイミングが早すぎたり、冗談めかして入ると、聞き手に“軽視”の印象を与えてしまう。特に生放送では、表情や声のトーンがそのまま伝わるため、より敏感に受け取られます」
このやり取りに視聴者からは「話を最後まで聞かない」「茶化している」と批判が殺到。高市氏を応援する層だけでなく、中立的な立場の視聴者からも「キャスターとして不適切」との声が目立った。
「短く答えてください」──時間制約か、それとも抑圧か
番組終盤、大越氏は高市氏に対し、「的を絞って短くお答えください」と語気を強めて促した。この場面もネット上で物議を醸した。「あの言い方は上司が部下を叱っているよう」「ゲストに対する敬意を欠いている」といった反応が広がった。
テレビ局関係者は背景をこう語る。
「報ステは生放送で、政治インタビューは秒単位で区切られている。進行をコントロールするために“短く”という指示は珍しくない。ただ、問題は誰にどんな言葉で伝えるかです。高市氏の場合、他候補よりも厳しく制止されている印象が強かった」
確かに、9月23日に放送された総裁選候補5人の討論会でも、大越氏は高市氏の発言を遮り、「発言時間、もう少しキュッとして」と注意した場面が確認されている。進行上の判断ともいえるが、繰り返されると“冷遇”と受け止められても仕方がない。
“嫌い説”は成り立つのか──個人感情か、演出か
では、大越キャスターが私的に高市氏を嫌っているのか。結論から言えば、確たる証拠はない。ただし、複数の要素が“距離を取る姿勢”を感じさせるのも事実だ。
まず、彼の質問スタイルは「厳しく問い詰める」タイプに分類される。NHK時代から政権中枢への直撃取材で知られ、権力に対して距離を置く姿勢を貫いてきた。今回もその延長線上と見れば、特定人物への“嫌悪”というより“ジャーナリズム的警戒”の表れと解釈できる。
一方で、視聴者が「嫌っている」と感じる理由には、政治的立場の違いもある。高市氏は保守的な政策スタンスを掲げ、メディア批判を繰り返してきた人物だ。報道機関の代表的キャスターがその高市氏と対峙すれば、意図せずとも緊張関係が表面化する。政治心理学的に言えば、これは“立場的反発”であり、“私的嫌悪”とは異なる現象である。
取材対象への厳しい質問や挑発的な進行は、報道者の使命でもある。しかし、それが繰り返されると、視聴者はそこに“感情”を見いだす。今回の放送は、まさにその境界線上にあった。
高市氏への発言遮り、皮肉めいた笑み、そして「短く答えてください」という制止――。これらが偶発的な演出であっても、視聴者には“個人の感情”として映った。ジャーナリズムとは、時に冷静さを装いながらも、わずかな表情や語尾で立場が露わになる職業である。
結局のところ、「嫌いかどうか」は本人しか知り得ない。ただ、大越氏が高市氏に対して“親和的”ではなく“慎重かつ牽制的”な距離をとっていることは確かだ。
それは私情ではなく、信念ゆえかもしれない。だが、政治と報道の緊張関係を生むのはいつも“態度”であり、“言葉の選び方”だ。視聴者が違和感を覚えたのなら、それもまた報道に対する健全な批評の一形態である。