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志村けんさんの豪邸、解体から更地へ――名コメディアンの足跡が消えた三鷹の地

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志村けん
志村けんさん Instagramより

2020年3月、70歳でこの世を去った稀代のコメディアン・志村けんさん。昭和、平成、令和と世代を超えて笑いを届け続けた国民的芸人の自宅が、没後5年を迎えた今年、ついにその姿を消した。

東京・三鷹市の閑静な住宅街に建てられたピンク色の瀟洒な豪邸は、今年3月に解体工事が始まり、現在は黒いビニールシートに覆われた更地へと姿を変えている。これは「週刊女性PRIME」などの報道によるものだ。

 

緑に囲まれた静かな邸宅、いまは「売物件」に

志村さんの自宅は、最寄り駅から徒歩15分ほどの場所にあった。周囲には神田川や玉川上水が流れ、自然豊かな環境に加え、緑地や公園が点在するエリアでもある。近隣の2~3軒分に相当する広大な敷地に建つその邸宅は、外壁のピンク色が特徴的で、地元でもよく知られた存在だった。

しかし今年3月、重機の音が響き渡り、解体工事が始まった。今では黒いシートが敷かれ、雑草の繁茂を防ぐ処置がなされた更地となり、「売物件」の看板が掲げられている。長らくそのまま残されていた邸宅が消えた姿に、地域の人々も驚きを隠せない。

近隣に住む住民は「志村さんとは生活リズムが違うのであまり顔を合わせることはありませんでしたが、それでも会えば必ず挨拶をしてくれました。地元でも慕われていましたから、家がなくなってしまったのはやはり寂しいですね」と振り返る。豪邸が消えた跡地は、地域にとっても時の流れを実感させる風景となった。

 

建築は1987年――「加トちゃんケンちゃん」絶頂期に

志村さんがこの地に自宅を建てたのは1987年。TBS系「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まった翌年で、まさに人気絶頂期だった。多忙な芸能生活を送る中でも、三鷹の邸宅は心安らぐ拠点であり、晩年まで住み続けていたという。

しかし2020年に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝。相続した親族の高齢化もあり、自宅は5年間、空き家として残されたままだった。大きな家は維持管理が難しく、遺品整理や売却の調整にも時間を要した。結果、今年1月に大手不動産会社へ売却され、跡地利用に向けて更地化が進んだ。

 

兄・知之氏が語る「帽子ひとつ」の記憶

志村さんの3歳年上の兄・知之氏は、売却に至る経緯について率直に語っている。
「片づけは大変でした。今年1月末に最後に家へ行き、解体前に業者と立ち会いました。遺品は横流しなどがないよう念書を交わして処分しました」

──思い出の品は残さなかったのか。
「弟が愛用していた帽子をひとつだけ持ち帰りました。それ以外は何も残さなかったんです。家が売れて、ようやく肩の荷が下りた思いです」

最愛の弟の家を手放す決断は、寂しさと同時に一区切りをつける安堵でもあった。知之氏の言葉には、家族としての誇りと喪失感の両方がにじんでいた。

 

更地の行方――2区画に分割し販売予定

跡地の今後について、不動産関係者は「敷地は70坪ほどと広く、一軒家を建てるだけでは余るため、北側と南側に分割して販売する計画があるようです。建売住宅として2軒合わせて2億円前後で売り出されるのではないでしょうか」と説明する。

地域に根差した大豪邸が姿を消したあと、その土地は新しい家族の生活の場となる可能性が高い。長らく空き家のまま残されていた場所が再び息を吹き返すことは、地域にとっても前向きな変化といえる。

 

「だいじょうぶだぁ」と聞こえてきそうな結末

志村さんは「バカ殿様」「変なおじさん」など数々の名キャラクターを生み出し、「東村山音頭」や「だいじょうぶだぁ」といったギャグで世代を超えて親しまれた。多くの人々にとって、彼は単なる芸人ではなく、日常に笑いを届けてくれる存在だった。

没後5年、自宅が更地となったことは、ファンや地域の人々にとって寂しい出来事であると同時に、ひとつの節目でもある。廃墟と化すことなく無事に売却され、新たな土地利用へとつながった姿は、どこか「だいじょうぶだぁ」と志村さんが笑っているかのようでもある。

その豪邸が消えても、彼の功績と人々の記憶は決して消えることはない。志村けんという存在が刻んだ笑いの歴史は、これからも語り継がれていくだろう。

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ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

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