
世界的金融大手ゴールドマン・サックスで働いていた元社員が、育児休暇を取得したことを理由に不当に解雇されたとして、約17億円の損害賠償を求めて提訴した。企業が制度として男性育休を掲げながら、現場では取得に否定的な空気が根強く残る実態を浮き彫りにしている。
育児休暇取得と解雇までの経緯
問題が表面化したのは2022年。ロンドンのゴールドマン・サックス・コンプライアンス部門でバイスプレジデントを務めていたジョナサン・リーブス氏は、子どもの誕生に伴い6カ月間の育児休暇を取得した。
イギリスでは男性も長期の育児休暇を取得できる制度が整いつつあり、リーブス氏も制度に基づいて休暇を申請。会社の承認を得た上で休みに入った。しかし、復帰から間もなく、会社側から解雇を言い渡される。
リーブス氏は「育休を取ったことが直接の理由だ」と主張。裁判所に提出した準備書面では「長期の育児休暇を取得する男性社員に対して、上級管理職が否定的な態度を示していた」と記されている。
提訴と請求内容
ブルームバーグによると、リーブス氏は2024年、ゴールドマンサックスを相手取り訴訟を提起。請求額は380万ポンド、日本円にして約7億3700万円と伝えられていたが、最新の訴状では約17億円規模に膨らんでいる。
請求の内訳には以下が含まれる。
- 解雇に伴う収入の損失
- 本来受け取れるはずだった退職金
- 「不当解雇による汚名」による精神的損害
- 解雇の影響で失敗に終わった複数の転職活動
リーブス氏側は「職場復帰を果たした矢先にキャリアを奪われ、精神的にも経済的にも甚大な打撃を受けた」と訴えている。
ゴールドマンサックスの主張
一方、ゴールドマンサックスは解雇理由について「業績不振が続いていたため」と主張。育休との関連性を否定している。広報担当者は声明で「当社は2019年に業界に先駆けて26週間の有給育児休暇を導入した。母親だけでなく父親の利用も奨励している」と強調。制度の存在を示し、組織として性差別的対応をしていないと説明した。
背景にある職場文化の問題
リーブス氏の弁護士は「表向き制度があっても、実際には男性が長期の育休を取得するとキャリアに悪影響が及ぶという雰囲気が残っている」と指摘。特に金融業界は長時間労働や成果主義が根強いことで知られ、男性が育休を長期間取得することに対する抵抗感は依然として強いとされる。裁判は、制度と職場文化の乖離を問い直す場となっている。
英国と米国の育休制度の違い
英国では、父親を含めた育児休暇の権利が拡充されてきた。労働党の新政権は、父親の育児休暇や無給の育休を雇用初日から取得できるよう法改正を進め、産休と同等に扱う方針を掲げている。
一方、米国では依然として法定の有給育休制度が整備されていない。大手金融機関の中ではシティグループが育休期間を拡大するなど、個別企業の取り組みに依存する状況だ。こうした背景から、国際的企業であっても拠点ごとに制度運用の温度差が生じやすい。
ゴールドマンサックスの子育て支援制度
ゴールドマンサックスは自社のウェブサイトで、以下のような子育て支援制度を公表している。
- 最大20週間の有給ペアレンティング休暇(男女問わず利用可)
- 出産・養子縁組時のファミリーフレンドリー手当
- 子どもが1歳になるまでの育児休業制度(無給だが社会保険給付あり)
- 育児短時間勤務やフレキシブル・ワーク制度
- 事業所近隣の託児所設置、ベビーシッターチケット支給
- 授乳室やマタニティメンタリング制度
制度の充実ぶりは外部にもアピールされているが、今回の訴訟は「実際に取得した社員がどう扱われるのか」という根本的な信頼性を問うものとなっている。
参照:子育て支援制度(ゴールドマンサックス)
今後の焦点
裁判はまだ始まったばかりだが、その行方は英国だけでなく、世界中の多国籍企業に影響を及ぼす可能性がある。特に、男性育休をめぐる社会的議論が高まる中での訴訟であり、判決が「制度利用とキャリア保障の両立」を企業に迫る前例となるか注目される。もしリーブス氏の訴えが認められれば、企業が「制度を整備しているだけでは不十分」と突きつけられることになるだろう。
最後に
育児休暇を取得することは男女を問わず権利として保障されるべきものであり、その後のキャリアに悪影響を及ぼさないことが前提である。今回のゴールドマンサックスへの訴訟は、制度と現実の間に横たわる溝を社会に問いかけている。判決の結果次第で、男性の育休取得を取り巻く環境が大きく変わる可能性もある。制度の利用が「不利益につながるリスク」から「当たり前の権利」へと変わるかどうか、世界が注視している。