大中忠夫(おおなか・ただお)
三菱商事株式会社 (1975-91)、GE メディカルシステムズ (1991-94)、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタントLLPディレクター (1994-2001)、ヒューイットアソシエイツLLP日本法人代表取締役 (2001-03)、名古屋商科大学大学院教授 (2009-21)
最新著書:『持続進化経営力測定法』2022
前回のコラムでは、日本株式会社の新たな役割と戦略というテーマで話を展開しました。
「新しい資本主義」を実現する財政金融政策。実体経済を進化成長させる財政金融政策の要件
日本経済の成長の本来の目的を見失っていないか?
80年代の高度経済成長の熟成期からは、日本社会では経済力や産業競争力の向上そのものが経済成長の目的となってしまっているようです。しかし、それでは目的とその実現方法が同じになります。経済成長の本来の意義が見失われてしまいます。
豊かになるために経済成長は必要という意見もあるでしょう。しかし、その豊かさとは何か?国内全体の生産価値合計であるGDPは、果たしてその人間社会の豊かさの指標なのでしょうか。
第二次大戦後の廃墟からの日本経済の復興を主導した池田勇人はその著書『均衡財政』の冒頭、日本経済をどう運営するか1.日本経済運営の目標で以下のように述べています。
「われわれは、心から世界平和の実現を念願する。だから、日本経済の運営にあたってもまた、この念願を実現するために、必要な経済条件を造り出すことが根本の目標とならなければならない。」
池田勇人『均衡財政』
また、これに続いて以下のように述べています。
国民的な貧困を、戦争に訴えて、領土や勢力圏の拡張によって克服しようと考え、その戦争準備のために、逆に国民生活が益々圧迫されるという矛盾、そしてとどのつまりは、戦敗国はもちろん、戦勝国も戦争の被害とその影響のために、長い間苦しむといった矛盾を、人間は歴史のうちに繰り返してきた。第二次大戦は、このような矛盾に終止符を打つものとしたい。
2022年7月現在も、軍事力による国土拡大の紛争や戦争は止む気配もありません。しかしながら、いかなる領土拡大政策も紛争も、どのような大義が主張されようとも、すべて国民経済の行き詰まりに起因しています。豊かな経済社会が自らそれを破壊する紛争を起こす必要はないからです。池田内閣が目指した「経済発展の最終目的は世界平和である」はこの因果関係を示唆した提起でもあるでしょう。
池田勇人のメッセージを21世紀に適用して要約すれば、「地球全体を公平に扶養しうる経済体制の実現がグローバル経済成長の目的であり、それに貢献することが各国経済成長の目的である。この本来の人間社会における経済の意義とその成長の目的を、いま改めて日本社会から世界に提起する。そのために日本経済の21世紀型の新しい進化成長モデルを実現する。」ということになるでしょう。
統制経済社会の絶対ジレンマを超えて
ではその目的のもとに歴史的な高度経済成長をもたらした日本株式会社経営はどこに消えたかを考えましょう。その足跡をたどると、統制経済の絶対のジレンマともいえる法則が見えてきます。それは、「いかなる統制社会も経済を興隆させることはできない」という法則です。なぜか。その原因は簡単です。
それは経済成長の必須基盤である「会社」の持続的な成長のための創造力と行動力は、いずれも多様性尊重の基盤である人間の尊厳と自由が、空気のように豊富に存在する社会環境以外では決して生まれないからです。統制社会と持続的な経済発展とが共存することは永遠にないのです。
では統制社会とはどのような社会でしょうか。ここでいう統制社会は、独裁政治体制社会のみを指すのではありません。社会全体が特定の価値観や信条によって統制されてしまっている社会すべてを指します。
株主第一主義という特定の人々のみの財産最大化を最高使命として志向する社会も例外ではありません。また、経済力や産業競争力の増強のみを最高使命とするような価値観のみが信奉された社会もその例外ではなかったでしょう。
日本の高度経済成長を実現した日本株式会社も、それがもたらした歴史的な経済繁栄に熱狂する社会文化の統制環境で、進化成長力を衰退させ始めました。そして、株主第一主義という新たな統制使命による完全混乱のうちにその活力を完全に失っていきました。大局的に眺めればそのような歴史の流れの半世紀であったようです。
したがって、「新しい資本主義」の実現条件の一つは、政府によるものであれ、社会変遷から生じるものであれ、いかなる社会経済統制も排除する政治・経済関係者の信念と覚悟です。
日本株式会社の持続進化経営力を醸成する財政金融政策の要件
現代からは想像できないことかもしれませんが、1989年 (平成元年)には世界の時価総額ランキングトップ10のうちの5社を、当時の日本の都市銀行と政府系銀行が占めていました。この銀行業界に対する異常とも思える株価評価は、金融業界が主導した、日本の製造業を中心とした実体経済の成長支援の報酬であったとも思えます。
しかし、日本経済の馬力の源泉ともいえる銀行業界を一気に減速させたのが、銀行の自己資本比率を8%以上に制限するBIS規制でした。この規制は1988年に国際決済銀行で合意され、1992年からはその参加国である日本でも本格適用開始されました。これは比率計算の分母部分にリスク加重計算を導入したことで、一面では、銀行の明らかに過剰無謀な投機的投資や不明朗融資などを停止させました。
しかし同時に日本の銀行業界の本来の使命であった日本株式会社の中長期成長戦略に対する支援力も拘束することになりました。
そして、その結果、銀行業界からの資金導入の蛇口が突然絞られたことで、日本株式市場への外資導入自由化が不可欠となりました。1997年、本格的な自由化開始と共に、株主第一主義、いわば投資家による経済統制が日本社会に流入してきました。
この歴史の流れを改めて振り返れば、政府にできる、実体経済基盤、すなわち会社群、の持続進化経営力を醸成させる財政金融基本方針が見えてきます。
それは、実体経済を進化成長させる推進力としての金融機関の新生です。これはまた実体経済の過去20年以上にわたる資本市場への傾斜依存、資本市場の独占的ともいえる資本提供者としての存在、を銀行業界の再参入により健全な競争状態とすることでもあります。2021年の銀行業高度化を目指す改正銀行法も同一方向を目指しているようです。
そして、その金融機関の実体経済支援力を新生する糸口の一つは既に明らかです。金融機関のリスク債権とは何か?その定義を21世紀の世界経済の現状に合わせて刷新することです。
たとえば、会社のESG、SDGs取り組みプロジェクトを含めたすべての持続進化成長の具体的な投資に対する支援債権をリスク債権判定分類から、現実的に可能な範囲で、最大限除外する。この方針に基づいた金融機関の具体的な投融資を政府と中央銀行が支援する。それが実体経済の基盤である企業の進化成長環境を醸成する政府と中央銀行の新たな役割といえるでしょう。
日本株式会社の持続進化経営力を支援する財政金融政策の要件
金融業界を経由した政府と中央銀行の実体経済支援において、最も重要でありながら困難な判定が、政府債務の上限でしょう。これが池田内閣の挑戦した「均衡財政」の最重要課題でもありました。その上限を判定する心構えの一つとして池田勇人は「インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる」(池田勇人著『均衡財政』)と警鐘しています。
無制限な政府と中央銀行の通貨供給支援、すなわち、債務増加は、社会的規制権限をもつ存在、政官界、への不明朗資金環流を産み出すのみでなく、社会全体に過剰な投機行動を誘引します。また、日本国国債や通貨に対する信用下落にもつながるでしょう。
ではどう考えるべきか?
未来が負担する投資は未来のために
ジャネット・イエレン米国財務長官の2021年初頭の上院財政委員会での発言がこの解を示唆しています。彼女は自身の財務長官任命審議の場で、政府による財政金融政策の根本方針について、以下のように断言しています。
“But right now, with interest rates at historic lows, the smartest thing we can do is act big. In the long run I think the benefits will far outweigh the costs.” 「金利が歴史的低レベルにある現在、最も重要なことは大胆な連邦支出 (連邦債務)の拡大です。長期的にはそのリターンはコストを大きく上回ると考えられます。」
ジャネット・イエレン米国財務長官
この発言は、二つのメッセージを発信しています。一つは、「米国の持続的な進化成長を支援する投資、すなわち未来のための投資は、連邦政府の債務増の脅威とはならない」ということです。
これと同様の決断は既に日本社会では半世紀以上前に実行されています。1960年代の池田政権の電力エネルギーと港湾インフラ開発への大規模集中投資がそれです。当時の政府財政緊縮要求の高まりの中で敢えて実行されたこの大規模な未来投資が、以後20年以上にわたる画期的な日本の高度経済成長を起動しました。
80年代にはJapan as No.1とも呼称された日本の経済競争力を実現しています。この半世紀前の大規模集中投資に対応する現代社会の未来投資は、自然エネルギー開発とデジタル社会構造への転換、そして日本株式会社のESGおよびSDGs推進、などを支援する政府による財政投融資でしょう。
未来投資のリターン実現のための支援機関育成
イエレン氏が発進したもう一つのメッセージは、「債務の水準ではなく、財政支出がもたらす将来リターンの比率に着目すべきである」ということです。
これを現在の日本経済に適用すれば、日銀のゼロ金利政策のプラス面を活用するということでしょう。さらには、かつての高度経済成長を支援する役割を担った、輸出入銀行、長期信用銀行、開発銀行、国際協力銀行といった政府系銀行の21世紀版を、政府投資のリターンを実現する支援機関として、再構築すること。そしてそれら政府系銀行を金融業界新生の目標モデルとするということです。
21世紀の日本株式会社社員の30~50%の自由時間が産み出す持続的な進化成長の中長期投資案件を支援すること。審査と育成の役割を新生金融業界が果たすこと。政府は政府系銀行を通じて、その保証や保険を担当すること。それが企業の不確実未来に対する挑戦、持続的な進化成長のための投資を、リスク債券と明確に区別することを可能にすること。それが政府投資の長期的リターンの実現に官民一体で取り組むことにもなります。
単に政府債務額のみについて是非を議論するのではなく、むしろその具体的なリターンについての議論を本格化させるということです。
政府債務に対する現場からの制御体制の構築
現在の金融機関を日本株式会社の未来投資リターン実現の支援機関として新生することは、政府債務に対する現場からの制御体制を構築することにもなります。
まずは、政府系金融機関と新生金融業界が、企業や公共団体の政府投資リターン実現を継続的に支援する義務と責任を負うことで、政府投資の個別項目が、未来社会インフラ構築と日本経済の基盤単位である会社の進化成長に有効な中長期投資となっているか否かの連関が公開されます。
さらに、投資リターン最大化を目指す金融業界と企業、公共団体には、そのリターン効果を低下させる過剰支援を受け容れる場合には根拠説明が求められます。この根拠説明が公開化されれば、現場のリターン最大化の義務と責任が、政府支援のブラックボックス化を解消するのみでなく、その余剰支出を自己抑制します。
株主総会をどう進化させるか?
一方、政府系銀行主導で金融業界から企業への資金支援が本格化すれば、政府もその供給元として供給資金の活用状況を監査、把握しておくことが必要となります。その把握をどのような仕組みで実現すればよいでしょうか。
それは、株主総会をどう進化させるかの解でもあります。現在明らかにおかしなことが平然と継続されています。それは、ESG経営とかCSV(Creating Shared Value=すべての利害関係者のための価値創造)経営とかが宣言されているにもかかわらず、依然として企業経営への介入権限は株主 (総会) のみに限定されていることです。
企業に対する融資供給源が本格的に多様化すれば、それらの多様な利害関係者、特に政府および政府系金融機関と金融業界も、株主と同様に、企業経営に対する影響力を与えられるべきでしょう。
政府支援の優先順位根拠指標を公開するー企業の自主自立原則の確立
最後に、残された重大な課題が、企業に対する政府支援の優先順位と規模をどう決定するかです。この決定根拠がブラックボックスでは、政府官僚組織の肥大化と腐敗が避けられません。また、一方の企業側も政府支援依存一辺倒の経営体制となっては、20世紀のソビエト社会経済の過ちを繰り返すことになります。
それを避けるためには、「企業の自主自立を尊重する原則」の確立が不可欠です。これは、政府支援の優先順位と規模を、企業自身の持続進化経営力の実現度に応じて決定する原則です。各企業の持続進化経営力は、本稿で紹介した3つの指標、企業総生産、企業総投資、持続進化指数で定量測定できます。
例えば、持続進化経営力の実現度は本稿で提起している企業総生産 (GCP) で定量測定できます。そして、企業総生産の構成要素は国内総生産の構成要素と同一ですから、企業総生産に応じて政府支援の優先順位と規模を決定することは、各企業の国内総生産への貢献度に応じて政府支援の優先順位と規模を決定することでもあります。
では具体的にどうするのか?三段階の施策が必要となります。
まず第1段階は、各企業の企業総生産の伸長率 (増減率) に基づいて、政府支援優先順位を設定します。例えば、優先支援企業の条件として、
(1)企業の創造実現力を示す企業総生産と、もう一つの創造体制力を示す企業総投資、の両方の一定期間の伸び率が「プラス」であること
(2)企業総投資と企業の創造投資効果を示す持続進化指数の両方の一定期間の伸び率が「プラス」であること、を判定基準とすることが考えられます。
因みに、本稿掲載の東証プライム50社の2017-21年の実績では、(1)に該当する企業は34社(図7のA領域)、(2)に該当する企業は17社(図8のA領域)です。これらの企業の定量測定値が優先順位決定の根拠となります。
次に第2段階としては、各企業に対する支援規模については、
(3)一定期間の企業総生産の総額規模とその成長(増減)額規模を目安とすることができます。図9の右半分領域の上方あるいは右方向から優先順位が検討され、その規模は企業総生産の総額規模か一定期間の増減規模に応じて決定できます。
最後に第3段階は、「企業総生産 (GCP) の進化成長が国内総生産 (GDP) の進化成長そのものである」という事実を、政府が企業の自主自立を要請し支援する「根拠」として社会的に、官民共通に、徹底共有することです。各企業の正味の産出額である企業総生産、すなわち各企業の総人件費、当期利益、および法人税の合計額、の質的量的な成長こそが、国内総生産の進化成長の唯一源泉であり、それを実現できるのは企業の経営チームと社員のみである。この現実認識を社会的に、官民共通に、共有します。
それは会社構成者が、総人件費額を所与の限界条件として成果主義配分を競うよりも、総人件費全体を質的量的に成長させることを本分とすることを促します。また総人件費、当期利益、法人税の相乗的な成長が、現代のみならず未来の社会全体に対する貢献である事実認識を社会文化として定着させます。
以上の三段階で「企業の自主自立を尊重する原則」を社会認識として確立することで生まれる最大の社会変化は何でしょうか。それは20世紀に社会共産主義と称されながら崩壊した政府中央集権体制や政府依存企業体制とは一線を画した、新たな社会経済体制が出現することです。
繰り返しになりますが、それら二つの決定的な違いは、企業を政府の統制体制下に囲い込んでしまうのか、企業の自主自立経営を政府が要請し支援するか、という一点にあります。そしてその事実が、新しく出現する政府と経済の進化した社会体制を『新しい資本主義』体制と呼称する明確な根拠の一つともなるでしょう。
図7.企業総投資・増減率と企業総生産・増減率による4領域分類 東証プライム50社(2017-21)
図8.企業総投資・増減率と持続進化指数・増減率による4領域分類 東証プライム50社(2017-21)
図9.企業総生産と増減率の分布一覧 東証プライム50社(2017-21)
新たな日本経済復興の出発点
「歴史は必ず繰り返すものだ、という考え方は、人間が人間たる資格を放棄することである。私は人類が、自らの不幸を避けなければならないと『考える叡智』と、これがために自らを律する『自由な意思』とを有することを信じる。」
池田勇人著『均衡財政』
この言葉は、現代社会がそれを実践した事実と共に次世代に伝えるべき、先達者、池田勇人からの伝言でしょう。それは、少し歌舞伎風な大袈裟な表現に聞こえてしまうかもしれませんが、「世界経済を興隆させる叡智と覚悟を探求せよ」ということでしょう。
しかし、それは決して大層なことなどではありません。われわれ個人一人一人が自身に与えられた創造力の多様性と無限さを納得することで開始できます。人間の自由と尊厳の溢れる社会と会社の実現、それを目指す人間社会全体の進化に、個々人の立場で個々人のやり方で貢献する。その当たり前のことに人間社会全体が取り組めるか否かが、人間社会の持続可能性をも決定するのではないでしょうか。
そして、その先進モデルを日本社会で実現することが「新しい資本主義」政策の究極目標でもあるのではないでしょうか。
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『持続進化経営力測定法』