
12月4日、日本の女子教育の現場に激震が走った。毎日新聞の調査により、お茶の水女子大や奈良女子大など全国の女子大7校が、戸籍上は男性の「トランスジェンダー女性」の受け入れを認め、さらに16校が検討中であることが明らかになったのだ。 「多様性の尊重」という美名のもとに進む門戸開放。しかし、その“先進的”な改革の陰で、キャンパスに通う女子学生たちは、複雑な思いを抱いているようだ。
「心の性」だけで入学OK? 全国で及ぶ“女子大崩壊”の波紋
報道によれば、国立のお茶の水女子大と奈良女子大に加え、私立の宮城学院女子大、ノートルダム清心女子大など計6校がすでに門戸を開放。福岡女子大も2029年度からの受け入れを表明した。これらは「身体的な性別」ではなく「性自認」を基準に入学を認めるもので、手術要件を課さないケースが一般的になりつつある。
大学側は「学ぶ権利の保障」を掲げるが、反対派からは「女性スペースの安全が脅かされる」「事実上の共学化ではないか」との懸念が噴出していた。そして、その懸念は最悪の形で現実のものとなっていたことが、ある学生のSNS投稿によって発覚する。
「新茶ちゃんを後ろから……」名門大キャンパスに現れた“30代・未手術”の異分子
渦中の人物は、最難関女子大の一つであるお茶の水女子大学に通う「りうる」氏だ。本人がネット上で明かしているプロフィールは衝撃的である。男子校を卒業し、一度は社会に出た後の30代半ばでの大学再入学。それだけならまだしも、彼は性別適合手術もホルモン治療も一切受けておらず、戸籍も男性のままであると公言しているのだ。
「女性として生きるために手術が必須というのはハードルが高い」と主張し、生物学的には完全な男性のまま、10代の女子学生たちと机を並べている。
さらに戦慄が走ったのは、彼が裏アカウントで投稿していたとされる内容だ。入学したての新入生を、お茶の水大の愛称にかけてか「新茶ちゃん」という独特の隠語で呼び、「デートに行く新茶ちゃんがめちゃ可愛かったので駅までずっとストーキングして後ろから見守ってました」と、あろうことかストーカー行為を自慢げに綴っていたのである。
当初はトランスジェンダーとして学ぶ権利を主張していたものの、別のアカウントでは「トランスも受け入れますって大々的に表明してる大学だったからだ。これさえあれば女子大である必要もなかった」と、制度の隙間を突いた本音まで漏らしている始末だ。
「夜道で見たら逃げ出す」新入生が語る本音
この現状に、都内の女子大に通う1年生のAさん(19)は、声を震わせながら恐怖を吐露する。
「正直、怖くて仕方がないです。女子大を選んだのは、異性の目を気にせず、安心して勉強や生活ができる環境だと思ったから。それなのに、キャンパス内やパウダールームのような場所で、明らかに体格の良い『おじさん』のような年齢の方とすれ違うと、心臓が止まりそうになります。りうるさんの件もSNSで見ました。『ストーキングした』なんて公言する人が同じ学校にいるかもしれないと考えただけで、更衣室やトイレを使うのも躊躇してしまいます。もし夜道であの姿を見かけたら、私は迷わず逃げ出しますよ。でも、こんなことを言ったら『差別だ』って攻撃されるんじゃないかと思って、大学へのクレームも出せずにいるんです……」
「これが目指した多様性?」崩れ去るリベラルの理想
一方で、LGBTQの権利向上には理解を示しつつも、現状の運用に深い葛藤を抱く学生もいる。ジェンダー論の講義も受講しているという3年生のBさん(21)は、複雑な胸中を明かした。
「私はトランスジェンダーの方々が苦しんでいることも、学ぶ権利が保障されるべきだということも理解しているつもりです。誰かの『自分らしくありたい』という願いは、尊重されるべき素晴らしいことだと思っています。
でも、手術もせず、男性としての機能を維持したまま、10代の女の子を『新茶』と呼んで性的な対象として見るような人が、『心の性は女だから』という理由だけで入ってくるのは、私たちが学んできた多様性とは違う気がしてなりません。トランス女性を支援したいという気持ちと、生理的な嫌悪感の間で板挟みになって、もう何が正しいのか分からなくなってしまいました。大学側は『対話が必要』と言いますけど、圧倒的な身体的強者である男性を前にして、対等な対話なんてできるんでしょうか」
ひろゆき氏「想定できたこと」当事者からも「君は立派な男」と批判の嵐
このあまりに無理解な現状に対し、ネット論客のひろゆき(西村博之)氏は、ニュースを受けて即座に反応。
「お茶の水女子大学は、自称トランスジェンダーで生物学的男性でも受け入れると発表していて、他の女子学生も理解して入学してるから、問題ないんじゃないかな」と皮肉交じりに前置きしつつも、核心を突く指摘を行った。
「生物学的男性で、女性を性的対象として見るトランスジェンダーの人もいるのだから、想定は出来てた事だよね」
つまり、身体は男性で恋愛対象は女性という人物が入学すれば、今回のような事態が起きることは、制度設計の段階で容易に予見できたはずだと切り捨てたのだ。
批判の声は外部だけではない。トランスジェンダーYoutuberの青木歌音氏も、りうる氏に対し「いくら心が女と言ってもぽこちんあるなら君は立派な男なんだよ」と一喝。「実際にハードルを超えた人がこういう発言で若者の未来に絶望を与えている」と、手術なしでの権利主張がトランスジェンダー全体への偏見を助長すると強く警鐘を鳴らしている。
批判はあれど…「手術不要」は世界的な“正義”という側面も
もっとも、りうる氏を単なる「異端児」として切り捨てるだけでは、この問題の本質は見えてこない。なぜなら、彼(彼女)の主張は、現代におけるグローバル潮流の人権意識や法的な潮流と合致している側面があるからだ。世界的に見れば、性別変更に手術を要件とすることは「身体への侵害」として撤廃される動きが加速しており、日本でも最高裁が性別変更における生殖不能要件を違憲とする判断を下している。
つまり、「身体がいかなる状態であっても、自認する性別で生きる権利がある」という主張は、今やグローバルスタンダードな“正義”なのだ。大学側もその正義に基づき、手術の有無を問わずに入学を許可している。りうる氏は、ある意味でこの「新しい時代の倫理」を忠実に体現し、権利を行使しているに過ぎないとも言える。
たとえそれが、周囲にどれほどの違和感を与えようとも、「心の性が女性である以上、女子大生である」というロジックが、制度として許容される時代に我々は生きているのだ。
ただ、個の権利を守るために、多くの学生が不安を抱くような環境が醸成されることが本当に正しい倫理と言えるのだろうか。4日の報道で明らかになった「検討中」の16校は、この現実をどう見るのか。30代の身体的男性が「見守り」と称して女子学生をつけ回すキャンパス。それが、大学側が目指した「多様性」の未来なのだろうか。
このままいくと、女子大離れが言われて久しいが、なお一層進む未来しか見えないのではないか。



