
世界最大級の食品メーカー、ネスレのCEOが、サステナビリティを巡る発信について「語れなくなった理由」を明かしたと、英フィナンシャル・タイムズが2026年1月22日に報じた。
それは、ESG施策の後退ではない。むしろ、語ること自体がリスクになりつつある時代への、極めて現実的な対応だった。
「質問されなくなった」米国投資家の空気
報道によると、ネスレのCEOは社内イベントの場で、米国の投資家との対話に変化が起きていることを語った。かつて頻繁に寄せられていたサステナビリティに関する質問が、ここ数年ほとんど聞かれなくなったという。
環境配慮や人権への取り組みをやめたわけではない。
だが、それを前面に出して語ることが、米国では政治的な意味合いを帯びやすくなった。
トランプ政権以降、ESGは経営課題というより「思想」や「立場」として扱われる場面が増えた。
企業がESGを語るだけで、特定の政治的文脈に引き寄せられる──ネスレCEOの発言は、そうした空気を背景にしたものだった。
やめたのではない、「言葉を引っ込めた」
重要なのは、ネスレがサステナビリティ施策を止めたわけではない点だ。
原材料調達における人権配慮、環境負荷の低減、供給網の安定化といった取り組みは、これまで通り続いている。
ただし、それを「ESG」や「サステナビリティ」という言葉で積極的に説明しなくなった。代わりに使われるのは、「リスク管理」「コスト削減」「事業の持続性」といった、経営に直結する表現である。
中身は変えず、看板だけを下ろす。これはネスレに限らず、米国市場を強く意識するグローバル企業の間で、静かに広がる判断でもある。
日本企業でも確認できる「ESGという言葉」の後退
この“言葉を引っ込める動き”は、日本企業にも見られる。例えば、海運大手の日本郵船。同社はかつて発行していた「ESGデータブック」を、現在は「サステナビリティレポート」として発行している。開示の中身を大きく変えたわけではないが、対外的な看板は「ESG」から「サステナビリティ」へと置き換えられた。
また、セブン&アイ・ホールディングスは、2025年6月の公式発表で「ESG推進本部」を廃止した。あわせて、サステナビリティ関連部門の名称や体制を整理しており、「ESG」を冠した組織名は姿を消している。
これらはいずれも、ESGを否定した動きではない。むしろ、ESGという言葉が先鋭化しすぎた結果、別の表現に置き換える必要が生じたと見るのが自然だろう。
沈黙は合理的か、それとも危ういか
企業が言葉を選ぶこと自体は、時代に応じた合理的な判断とも言える。特に米国のように、ESGが政治的対立の材料になっている市場ではなおさらだ。
一方で、語られないことには別のリスクもある。外部から見れば、「やめたのではないか」「後退したのではないか」と誤解されやすくなるからだ。
実際、旧Xでは「ESGはもう終わったのか」「企業は都合が悪くなると黙る」といった投稿も散見される。沈黙は理解されなければ、不信にも転びかねない。
ネスレCEOの発言が示したのは、ESGの終わりではない。ESGが“語るスローガン”から、“やっているが慎重に語るもの”へと移行する過渡期の姿である。
問われているのは、取り組みの有無ではなく、どの言葉で、どこまで説明するのか──その設計力だ。



