富山銀行は地銀連合のキーマン、海外進出ビジネスプラットフォーム構想のハブ
「日本からGAFAを生み出したい」。そう語るのは日本興業銀行(現みずほ銀行)出身のベンチャー企業拡大請負人・有限会社ロッキングホース代表取締役森部好樹さん。同社は「地域商社」という地方銀行の新たなビジネスモデルへの転換を強力に推進するビジネスマッチング事業の仕掛け人だ。森部代表は、興銀時代の後輩でもある富山銀行の中沖雄頭取に「地銀連合のキーマン、ドラえもんのような存在であれ」とエールを送る。日本のベンチャー事情、地域商社の未来と地方銀行の果たすべき役割、そして「ドラえもんのように」という発言の真意とは? 森部氏に語っていただきました。
元興銀マンのベンチャー企業事業拡大請負人、地方のベンチャー企業と都市の大企業を結ぶビジネスマッチング支援
―本日はよろしくお願いします。まず有限会社ロッキングホースの事業内容について簡単にお聞かせいただけますか。
森部:弊社はベンチャー企業と東京の大企業を結ぶビジネスマッチングおよびコンサルティングを行っています。また、富山銀行さんをはじめとする地方銀行と提携し、地方から日本へ、日本から世界へのベンチャー企業の事業拡大の支援をしています。
私には「日本発GAFAを生み出したい」という信念があります。今や誰もが知る世界的企業GAFAといえども、20年程前は小さなベンチャー企業でした。それが稀有な独自性を持ち、社会のニーズを掴んだから大きく飛躍できた。その可能性がある日本のベンチャー企業は、実はたくさんある。そんな新進気鋭のベンチャーと、新たな可能性を追求し、ブレイクスルーを目指す大企業を結び付ければ化学変化が起こせる。そして、日本の産業構造の転換を果たさなければならない。そう思い8年前からベンチャー企業事業拡大請負人を名乗りベンチャー支援を始めました。
もう一つは、地方創生です。日本経済の大きな課題である地域格差をどうにかしたいのです。以前なら地方の企業が東京の大企業と提携したいと考えても、「ならばまず東京に来てもらい、本社の応接間でお話ししましょう」などと言われることがよくありました。こうした地方と東京の「物理的距離」と「心理的距離」の2つのハードルが地方企業にとっては大きなハンディキャップになっていた。しかし今は違います。IT化の進展や昨今の新型コロナの影響でリモートでの商談が主流になってきた。心理的距離が大幅に解消されてきている。この社会的な意識の変容を機に、旧知の中沖頭取に「機が熟した」と連絡をとったのです。
「地域商社」事業に取り組むビジネスパートナー
―なるほど。株式会社富山銀行の中沖雄頭取とは日本の産業競争力の強化に対する問題意識を共有する旧知の仲なのですね。本誌「富山銀行執行役員金沢営業部長末武真吾さんへのインタビュー」の際も、森部さんと中沖頭取のご関係を次のように伺っております。
ロッキングホースの代表取締役 森部好樹さんは、弊行の中沖雄頭取の先輩です。大学の先輩であり、日本興業銀行(現:みずほ銀行)の先輩でもあります。興銀証券(現:みずほ證券)時代は2人とも役員を務めていました。そういうご縁もあり、今、弊行で最も力を入れている「地域商社」としての大都市圏の企業とのビジネスマッチングの取り組みが実現しました。新しいビジネスモデルを模索していた弊行としては、ロッキングホースさんの存在は大変ありがたいことでした。大変感謝しております。
―株式会社富山銀行(以下、富山銀行)さんは、地方銀行の中でもキラリと光る個性をお持ちです。森部さんにとって富山銀行さんはどのような存在になるのでしょうか?
森部:「水を飲む人は井戸を掘った人のことを忘れない」という言葉があります。富山銀行さんは、弊社にとってまさに「井戸を掘ってくれた人」です。地方の優れた企業との接点を広げる糸口をつくってくれたことにとても感謝しています。信頼する彼がいる銀行と手を組めたこと、そして、また一緒に仕事ができることを大変嬉しく思っています。
富山銀行の「スピード感」が生み出す付加価値
―富山銀行さんとの提携を決めた理由は、やはり中沖頭取との長年にわたる信頼関係が大きな要因になっているのですね。
森部:そうですね。まず中沖頭取は「いい顔」をしていますから(笑)。私は数千社の経営者の顔を見てきましたが、良い経営をしている人は必ず顔に出ます。善い考え・行いをしている人はいい顔をしているものです。
実は、以前、日本興業銀行で働いていた時に、同僚だった彼を叱ったことがあります。すると彼は一晩徹夜してしっかり仕事を仕上げてきた。彼の仕事に対するそういった誠実な姿勢が顔に表れていると思います。
そして「スピード感」。銀行は仕事が早い!なんて、誰も言いませんよね(笑)。しかし彼はすぐ行動します。今回、弊社と提携することになったきっかけも、新型コロナの感染拡大でFace to Faceでの商談が難しくなった一方で、オンライン会議の普及により都市部と地方を結ぶ仕事がしやすくなった。
「これから地方という概念が変わり、企業の在り方やビジネスモデルも大きく変化する」と中沖頭取と時代の潮目の話をしたのが発端でした。彼はその後すぐに動き、業務提携直後から取引先とのオンライン面談を次々セッティングしてくれた。好評だったことからセミナーまで開催してくれて、なんとホテルニューオータニ高岡の鳳凰の間に、200社以上の企業を集めてくれた。彼のこの行動力は信頼に値します。
今の時代に、スピード感は最大の付加価値です。そして彼の行動力は、取引先が何に悩んでいるのかを敏感に察知する感覚から生まれている。自分のところに相談に来るということは何か悩みがあるのだから、それにすぐ応えてあげたいという気持ちの表れだと思います。
また執行役員金沢営業部長の末武真吾さんをはじめ、中沖頭取の周辺の方々も頭取と同じ想いとスピード感を持って仕事に当たってくださり、とても仕事がやりやすかった。彼らのような素晴らしい人材が揃っているのも好印象でした。
99%信用していても、最後の1%を自分の目で確かめる
―中沖頭取は興銀時代の同僚とのことですが、どのような関係であられたのでしょうか。
森部:興銀時代、私がニューヨークから帰国し本店の営業課長に着任した時に、いわゆる機能部(分野別のソリューション提供を担当する専門部署)で頭角を現していた中沖氏の存在を知りました。彼の所属していた部門は若手の優秀な人材が集まっている部署。例えば営業部が取引先から東南アジアに進出したいというニーズを聞き出したら、機能部に相談する。すると東南アジアに詳しい人材と連携して取引先を強力にサポートする、といった関係でした。私は営業課長としてアグレッシブに活動していましたので、中沖氏には色々バックアップしてもらいました。その時から彼の優秀さ、動きの速さには注目していましたね。それに銀行員としてのリライアビリティも高かった。
彼は99%信頼する相手でも最後の1%は必ず自分の目で確かめる。今回の業務提携においてもそうでした。私がどれだけ旧知の仲であったとしても、彼は一度わざわざ東京に来て直接私と顔を合わせて、自分の目で今の私と弊社の状況を確認してから提携の決断をした。そういう彼の銀行員としての堅実さは今も昔も変わらず、彼個人、そして組織にも受け継がれていると思います。
「地域商社」は本来の銀行の姿への原点回帰、富山のドラえもんになってほしい
-常々森部さんは「ドラえもんのようでありたい」と話されています。また、中沖頭取も「ドラえもんのような銀行にしよう」と行員に語りかけていると伺っています。お二方はドラえもんの存在をどのように捉えているのでしょうか。
森部:ドラえもんは、のび太からの無茶ぶりに何でも応えてくれる存在です。私自身、常々ドラえもんのような人間でありたいと思っています。つまり、企業のあらゆるニーズに応えられる存在でありたい、ということです。「販促がしたい」「ITを取り入れたい」「人が欲しい」といった企業のニーズに、これまで私はコンサルティング業として、今まで培ってきた人脈を活用して応えてきました。
金融機関も昔は企業のあらゆるニーズに応えることを生業にしていた。取引先で人が足りなかったら人を送ってくれる、何か分からないことがあったら調べてくれる。中国に進出したい希望を持った企業があったら中国の実情を調べてくれる。企業のあらゆるニーズは銀行に行けば何でも応えてくれる。それがかつての銀行でした。しかしだんだん地盤沈下して、いつしかただお金を融通するだけの機関に成り下がってしまった。
-その想いから、中沖頭取にも「富山のドラえもんになってほしい」と。
森部:その通りです。商社の役割はモノを仲介すること。モノを求めている人とモノを提供できる人の間を結ぶ。それによって買ってくれる人も売ってくれる人も得をする三方一両得の関係が生まれてくる。金融機関は、モノだけではなく、全ての経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)の流通拠点となる「ハブ」機能を有しています。限りある資源を効果的にマッチングするコーディネーターとなる「地域商社」の意味によく気づいてくれたと思っています。
地方銀行は地域に深く根付いています。地方の企業や人々とより身近に接して話を聞いていくのにはメガバンクより地方銀行のほうが良いでしょう。そして地方銀行が中心になった企業の環が他の地方の企業に繋がり、それが東京・大阪などの大都市部に、更には海外へと結び付けられていく。地方銀行が「ハブ」の役割も果たして環が広がっていくのです。
富山銀行さんの「地域商社」の考え方は、いうなれば原点回帰なのです。それでいながら未来志向でもある。今まさにそれを推し進めている中沖頭取を私は尊敬していますし、さすがだなという想いを新たにしています。この想いを込めて、ぜひ「富山のドラえもん」になってもらいたいのです。なにせ「藤子・F・不二雄」さんは、富山銀行さんの地元・高岡市のご出身でもあるのですから(笑)。
富山の薬売りのビジネスモデル、稀有な県民気質から生まれる可能性
-森部さんは富山という地域の可能性をどのように見ているのでしょうか。
森部:富山の企業には、薬売りの時代からの伝統だと思いますが、「信用」を重んじるビジネスモデルが根付いています。昔は家に置き薬があって、定期的に来訪してくれる薬売りの人が、使った分だけ補充して料金を貰っていた。これは今でいうサブスクリプション的な売り方です。売り手と買い手の間に信用がなければ置き薬のビジネスモデルは成立しないのです。そのような観点から富山には信用を重んじる文化を持つ企業が多いように思います。
そして富山の県民性は「堅実」です。富山の街並みを見てみるとすぐに美しい瓦屋根が居並ぶ家々に気づくと思います。屋根瓦は高価ですが50年100年と長持ちします。この堅実さを大切にする思想は富山の企業の精神にも表れている。
また、富山は全国有数の県民所得の高さを誇り、また「教育県」と評されるほど教育に対する意識も高い。こういった気風がYKK AP株式会社のような企業を生んだのでしょうし、今後も優良企業が生まれてくる可能性も感じますね。
地方銀行のオピニオンリーダーになってほしい
-富山銀行さんの今後への期待をお聞かせください。
森部:地域にとどまらない銀行になってほしいですね。地方銀行は地域内では知名度も高く、企業からの信頼も篤い。一方、全国レベルで見るとメガバンクには劣ります。しかし地方銀行の中から富山銀行さんと同じような志を持つ者が幾つも現れ、合従連衡していけば、メガバンクに対抗できる大きな力になる。その中で、富山銀行さんと中沖頭取には地方銀行のまとめ役、オピニオンリーダーになってもらいたい。
先ほど企業を結ぶ「ハブ」という話をしましたが、それが幾つも結び付けばより大きな力になっていく。富山銀行さんを中心とした地方銀行の連携が、日本企業がアジアに打って出るプラットフォームに繋がっていくことを期待しています。
アジアに目を向ければ、例えば富山産の美味しいコメや質の高い薬品、立山や黒部で湧き出る水を中国やインド、パキスタンなどへ持っていけば大人気になるでしょう。外に目を向ければ需要はあるのですから。
-日本中の地方で苦しんでいる企業が世界へ飛び出すチャンスを掴めるプラットフォーム構想は、日本の経済を活性化する大いなる可能性が秘められていると思います。
森部:富山だけでなく世界を知っているからこそ、そういう考え方が生まれる。中沖頭取と私は同じ日本興業銀行で仕事を共にしました。日本興業銀行の理念は「業を興す」、つまり起業を支援することです。富山の企業を世界へ、そしてその精神を日本全国の企業へ。そのために「ハブ」をもっと増やしてもらいたい。地方から全国、そしてアジア進出の「ハブ」になるプラットフォーム構想の実現に向けて、彼には数十行をまとめるリーダーになってほしい。彼はまだまだいけますよ。そんな期待をしています。
森部好樹
1948年佐賀県生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。50歳で株式会社ビックカメラに出向、2002年には株式会社オンデーズを起業。同社代表取締役社長に就任する。その後2013年に有限会社ロッキングホースを興し、現在同社代表取締役として100以上の企業の顧問を務める。名刺裏の肩書は「元銀行員 今ベンチャー企業の事業拡大請負人」。
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