コロナパンデミックで浮き彫りになった情報格差。ITの恩恵を受けた人々が飛躍的にパフォーマンスを上げる一方で、その恩恵を受けられない人たちにとって死活問題となっています。それはビジネスの世界だけでなく、医療、教育、政治に至るまで、あらゆる分野で格差が広がり、深刻化しています。
このデジタルデバイド問題に取り組み、いくつものITサポート事業を立ち上げてきたのが、DXHUB株式会社の澤田さんです。
――まずは、御社がどのようなサービスを展開してきたのか教えてください。
弊社は、2015年に「ジェイピーモバイル株式会社」を設立しまして、民泊やゲストハウス、ホテルのレンタルWiFiを提供し、外国人のための通信サポート事業者としてスタートしました。また、インバウンド向けのSIMカード(Baidu SIM)や、留学生、技能実習生など長期滞在者向けのSIMカード(JP SMART SIM)やモバイルWi-Fi(JP SMART Wifi)も提供しています。
一方で、2004年から「イメージワークス株式会社」を立ち上げ、当時盛んだった光ファイバー網の構築に営業面から関わっていました。また、2012年よりクラウド型名刺管理サービス「Sansan(さんさん)」の総代理店として活動しています。
2020年にこの「イメージワークス株式会社」と「ジェイピーモバイル株式会社」を合併したのが、「DXHUB株式会社」というデジタルデバイド問題を解消するための企業です。
――「DXHUB株式会社」はどのような経営理念をお持ちですか。
一言でいえば「ITと人と企業をつなぐ架け橋」になりたいと考えています。
私の周りにいる若い経営者たちは、デジタルネイティブ世代なので、DX(デジタルトランスフォーメーション:IT技術の浸透で、生活を良きものに変革する)というのは空気のように身近でしょう。しかし、業種が違ったり、新幹線に2時間乗って行くような地方の企業はどうでしょうか。このコロナ禍で変わったとはいえ、まだITの恩恵を受けられず苦労している企業さんも多いと思います。
私たちは地方の会社でありながら、DX推進できた会社の一つです。この良き経験を非IT企業にも提供していくことが当社の役割だと感じています。使いやすく、独自性をもったサービスを揃えて、しっかり運用までサポートできる、そんな会社として、役目を担っていきたいと考えています。
――ところで、起業に至った経緯は何でしょうか。
中学生の頃から起業への強い思いがありました。母子家庭だったのもあり、将来に不安を抱いていたんですね。中学1年生のとき、運よく顔なじみのコンビニ店で働かせてもらうことができました。やる気はあったのですが、不器用でよく怒られましたね。時給は420円。なかなか安かった(笑)。バブル時でしたが、最低賃金以下だったと思います。1年間働き続けて、ついに賃金値上げ交渉をしまして、23円アップの423円になりましたが、目標の500円には到底及ばず。その頃には死んでるかもしれない(笑)と思い、雇っていただいてとても感謝していますが、時給500円のラーメン屋に転職を決意しました。ラーメン屋では、原価や利益率の問題、接客の難しさなど、基本的な経営についてのノウハウを学びました。このラーメン屋のアルバイト経験を経て起業することを決意しました。これが私の経営においての原体験ですね。
DXHUB株式会社のステークホルダーとの向きあい方
少年時代から培ったタフな魅力で時代を乗り越えてきた澤田さん。各ステークホルダーへのそれぞれの思いを伺いました。
京都で宿泊業をされている株式会社ハチノジの松居さんには、今も昔も非常にお世話になっています。
友人との会食で出会ったんですけど、ちょうどその頃、彼が民泊やゲストハウスのオーナーとして、外国人のお客様をサポートしていまして、「インターネットつながらない問題」が大変だと言っていたんです。一般的に、端末に不具合があれば、契約者がキャリアに連絡しますよね。でもハチノジさんが端末を契約し、それを宿泊者に貸与していたので、不具合が出てもすぐに解決できなかった。自分がそこに居合わせていないと状況がわからない上に、特に深夜や土日だとスタッフも足りておらず、円滑にサポートできない。結果、宿泊サイトのレビューに、「ネットがつながりません」と書かれてしまい、非常にストレスになっている、というわけです。
そこで「ネットがつながらないという事態にならない、万が一トラブルが起こったとしても即時対応してくれる業者はないだろうか」という話になり、ちょうど私はインターネット事業者ですし、その困りごとを解決するのにぴったりのWi-Fiを提供していたので、使ってもらうことになりました。結果、非常に好評を得て、インバウンド向けの通信事業が拡大することになりました。とても感謝しています。
最近、不動産開発の事業もされているとのことなので、またいろいろ話聞かせていただきたいですね。あとは、プライベートの話もしたいな。「結婚はどうするの?」とかね(笑)。
コロナ禍で会えない中でも、それぞれがしっかり役割を果たしてくれたおかげで、新しいサービスが生み出されたりと、非常に頼もしいです。
コロナ以前は、外国人という個人向けの事業と、法人向けBtoBの事業とで、別々に動いていましたが、現在はSlack等のビジネスチャットアプリを使って、横断的にいろんなチームができている。みんなが積極的にやってくれてる証ですよね。
会えない中でも、新しいアイデアが生まれ、部署の垣根を越えてプロジェクトが進行しているのは、とてもありがたいです。
みんなに聞きたいことは「一番やってほしい福利厚生は何かな?」ということですね。それから「コロナ明けにみんなで集まるとしたらどこがいいかな?」みたいな話もしたいですね。
Sansanさんとは2011年頃からのお付き合いになりますね。私が名刺管理に困っていたときに探したのが名刺のクラウドサービスを提供していたSansanさんです。このサービスを見つけた瞬間、「絶対売れる!」と思ったんですね。なので、当時千葉にあった本社に訪ねていって、「ぜひ代理店をやらせてください」とお願いしたんです。しかしながら、そのときは代理店制度がないので、とお断りされました。今考えると、得体の知れない、勢いだけの青年が訪れてきて怖かったと思います(笑)。しばらくして、声をかけていただいて、代理店として販売させていただくことになりました。幸い良い結果が出て、今ではトップの業績を誇るまでになりました。
こうして日本におけるSaaS(サーズ:クラウド上にあるソフトをネットを介して提供するサービス)系企業として飛躍するSansanさんを通して、我々も高みに引き上げてもらっている。それが一番ありがたいし、すごくうれしい。
また、弊社でSansanさんの担当をしていた社員が退職し、一度別の会社に就職した後、Sansanさんに入社しています。昨年から、我々のパートナー事業部の責任者として担当してくれていて。弊社を卒業して、今はSansanさんにお世話になり、人と人との関係を強化してくれている。非常にやりやすいですね。お互いに知っている者同士ですからね。Sansanさんには、すべてにおいて感謝しています。
20年前に起業したときから、ビジネスモデルがそのときどきで変化してきているんですね。加えて、上場の時期がズレたり、会社の合併をしたり、当初の計画通りにはいかない部分がありました。ですが、誰一人それに対して、辛辣なこともおっしゃらずに、あたたかく支援していただいています。非常にありがたいですね。
起業まもない頃に、花柳界に魅せられて、京都のお茶屋さんに通うことになりました。親の後ろ盾などなく、旧家の出身でもなかった私は、いわゆる「一見さんお断り」のお店とは縁がないはずでしたが、幸運にもご縁があって、長い間お付き合いをさせてもらっています。
特に祇園にあるお茶屋多麻さんには20年近くお世話になっていますね。
私は、若くして起業して、すごいがんばってきたんだけれども、刹那的に過ごしてきた時期もありました。具体的に言うと、目先の収入に捉われたりとかね。「これではいかんな」と感じていた30歳くらいのタイミングで、お座敷での経験が、経営を含めた自身の考え方に大きな影響を与えてくれることに気づきました。
京都でIT系やスタートアップが集まるイベントがあると、その経営者たちが、「京都を案内して」と私に連絡をくれるわけですね。そこで、花街(かがい)に連れていき、お茶屋さんを通したもてなしをするんです。そうすると、次も連絡が来て、今度はその経営者が仲間を連れてきてくれる。どんどんつながっていくわけです。東京から海外から、たくさんの方をお連れしました。花街のみなさんのおかげで、人とのご縁がぐっと広がりました。
現在は休業していますが、仲間に出資してもらい「エクスクルーシブ京都」という観光業をやっていました。海外の方を対象に、普段なら行くことのできないお茶屋さんに、私の友人として連れていき、またとない機会を楽しんでいただきました。
また、コロナが終われば、ライフワークとしてやっていきたいと思っています。
私にとって京都のお茶屋さんというのは、人の生き方を知れたり、人との関係を長く続けるための知恵を与えてくれる場所です。これからも大切にしていきたいですね。
SDGsに関してはまさに今勉強中です。以前は、大手企業が果たすべき社会的責任だと捉えていて、あまり注意を向けていませんでした。しかしスタートアップであっても、SDGsを取り入れた事業を行うことで、結果的に企業パフォーマンスを上げているケースが多いことが知られてきています。
ですから、私も、古い考えは脱ぎ捨てて、SDGsについて積極的に取り入れていきたいと思っています。
弊社で言えば、地方企業のDX推進を促すことで、その企業のサステナビティな経営が図れるんではないか、と考えています。非IT企業のデジタル環境を整えることで、経営者のお子さんが親の企業を継ぎやすくなったり、Iターン、Uターンなど都会でがんばってきた若者たちが地方の企業で働きやすくなったり、と深刻な後継者問題を解消していきたいですね。そうすることで地方の活性化につながりますし、延いては持続可能な社会の実現に貢献していけるんではないかと思っています。
未来世代と聞いて思い浮かぶのは、「NPO法人アイセックジャパン」という主に学生に国内外へのインターンシップの提供を行う学生団体のボランティア活動です。
2010年より少し前だと思いますが、当時アイセックの京都大学支部に所属していた大槻くんという青年から、2~3枚に渡る手紙が送られてきたんですよね。「外国人のインターンシップを受け入れてもらえないか。日本で働きたい学生が、海外にはたくさんいて、何か御社のお役に立てるはず」というような内容でした。
本音を言えば、その頃国内でフレッツ光を販売していたので、外国の人がインターンシップにきて、会社に何かメリットがあるとは思えなかった。
ただ、その手紙が手書きだったんですね。私は営業の人間なので、手書きに反応してしまって。それで「一度話がしたい」ということで、彼が弊社に来てくれました。
私は正直に「どのくらいの費用が必要で、業績的なメリットは何かあるのか」という話をしました。すると彼が「業績に貢献するというミッションはありません。でも御社に新しい風が吹きます」というのです。私は「新しい風」というのは何だかよくわからないけれども、どこか興味をそそられて、インターンシップを受け入れることにしました。
そうして最初にやってきたのが香港出身のシュウ・メイさんです。
彼女は、中国語と英語とドイツ語は堪能でしたが、日本語がかなり片言だった。社員たちからは「私たちは英語も中国語もできないし、相手できないですよ」と言われました。それはそうですよね。私が勝手に呼んじゃったので。そこで私は「日常会話くらいできんと、これはマズイ(笑)」と、彼女がビザを申請している間に、毎日英語を勉強することになりました。
彼女が出社するようになってからも、なかなかすぐには業務がなかったので、私は毎日英語を教えてもらい、中国語の簡単な挨拶も教わりました。そのうち新卒採用がはじまって、会社説明会の中で、彼女にも挨拶してもらうことにしました。すると「私はカナダの高校を出て、ドイツのウィーン大学を卒業しました。今はインターンシップでこんなことをしていて、ここはこんなことをやっている会社です」というようなことを流暢に英語でしゃべってくれるわけです。それだけで、学生たちは興味津々で聞いてくれて。おかげで応募者も増えましたし、会社のブランディングにも貢献してくれました。
こうした彼女との出会いがきっかけで、私の中で中国への関心が高まりました。後に、中国企業とのお付き合いがはじまり、2014年に中国検索エンジンBaidu社と提携し、訪日外国人旅行者向けSIMカード「Baidu SIM」を販売するまでになりました。
おととしは、シュウ・メイさんの結婚式に招かれて、妻と一緒にタイのプーケットへ行きました。今でも公私ともに仲良くさせてもらっています。
今まで、アイセックからはシュウ・メイさんを含めた3名の方に来ていただいて、弊社の社員とも仲良くしてもらっているようです。3名とも極めて優秀でしたが、アイセックの京大生のサポーターも素晴らしかったですね。インターンシップ1名につき、2~3名の学生スタッフがついていたようですが、彼らのおかげでトラブルもなく、インターンの期間を無事に終えることができました。私たちは学生サポーターたちとも仲がいいんですよ。卒業してもアルバイトを頼むと、現役の京大生を紹介してくれたりね。ずっとつながっています。
インターンを受け入れて、格別に私も会社も変わりましたね。まさに「新しい風」が吹きました。
今、コロナ禍で、アイセックの活動がかなり制限されていると聞いています。インターンの国内受け入れも、海外へ送りだすのも厳しい状況の中、活動の意義が問われている。なんとか乗り越えてほしいですね。
【企業概要】
DXHUB株式会社
DXHUB inc.
代表取締役社長 澤田賢二
京都オフィス
京都府京都市下京区中堂寺粟田町93番地 KRP6号館2F
東京オフィス
東京都渋谷区代々木1-30-14 天翔代々木ANNEXビル 012号室
(ライタープロフィール)
しまかもめ
(株)大阪宣伝研究所にコピーライターとして勤務。その後、デザイナー、編集者、フリーペーパー営業、ネットショップ企画運営を経て、独立。神戸市在住の3児の母。