
虐待やネグレクトから子どもを守る「一時保護」に、家庭裁判所の司法審査が2025年6月から導入される。親の同意がない場合、児童相談所(児相)は裁判所の判断を経て保護を実施することとなるが、現場では親や子ども自身の心理的抵抗、制度への不信、緊急対応の遅れなど、複雑な課題が浮かび上がっている。制度改革と現実の乖離のなかで、児相職員は子どもの最善の利益を模索し続けている。
中立な目で一時保護の適正性を審査
2025年6月より、児童相談所(児相)が行う子どもの一時保護に対し、家庭裁判所による「司法審査」の制度が本格的に始まる。特に、親の同意が得られない場合において、児相の判断だけではなく、裁判所が保護の妥当性を審査し、「一時保護状」を発付するか否かを決める。これは、親子の分離が子どもと家族に与える影響の大きさを踏まえ、判断の透明性と適正性を確保することを目的としている。
一時保護の制度とは
一時保護は、虐待やネグレクトなど子どもに危害が及ぶおそれがあると判断された場合に、児相が子どもを一時的に保護する行政措置である。期間は原則2カ月以内とされており、保護中は親子の面会制限や施設内での生活が課される場合もある。
従来は、親の同意が得られなくても児相の判断のみで一時保護が実施されてきたが、これに対して「子どもの自由を重大に制限する処分を行政だけで決定するのは不適切」との批判があった。今回の司法審査導入は、こうした声を受けての制度的見直しといえる。
新制度の流れ
司法審査が必要となるのは、親の同意が得られないケースである。児相は原則として保護開始前、または開始後7日以内に家庭裁判所に「一時保護状」の請求を行う。裁判所は児相が提出した書面に基づき、保護の必要性が法的基準に照らして妥当かを判断する。認められれば一時保護状が発出され、却下された場合は保護の解除が求められる。
親の同意が得られた場合は、これまで通り児相の判断で保護が行われるが、今後は同意の有無を原則書面で確認し、記録として残すことが義務付けられる。
子どもや親の意見も反映
裁判所の判断材料には、当事者である子どもや親の意見も含まれる。基本的には児相が聞き取りを行い、意見書としてまとめるが、希望があれば子どもや親自身が意見書を作成し、児相を通じて裁判所に提出することも可能とされる。こうした手続きにより、当事者の声が審査に反映される余地が広がる。
時間的遅延への懸念と対応策
司法審査の導入により、一時保護にかかる時間が延び、緊急対応が困難になるのではないかという懸念が現場から上がっている。これに対して、以下のような対応策が制度に組み込まれている。
● 事後的審査の導入
緊急時には、児相は一時的に子どもを保護し、その後7日以内に裁判所に保護状を請求することが認められている。これにより、即時保護の必要性があるケースにも対応できるよう配慮されている。
● 書面による迅速な審査
審査は非公開かつ書面で行われるため、原則として24〜48時間以内での判断が可能とされている。家庭裁判所はこの迅速審査に対応できるよう、体制の整備を進めている。
● 書類様式の標準化
厚労省と法務省が連携し、児相職員が作成する文書の書式を統一・簡略化することで、審査の効率化を図る仕組みも整えられた。
● 裁判所体制の強化
今後の本格施行に向けて、家庭裁判所の児童保護専門スタッフや調査官の増員が検討されている。地域間格差をなくすため、全国的な配置も課題となっている。
一時保護がスムーズに進まない背景
一時保護の制度運用においては、親の同意が得られない場合に保護の開始が難航することがある。特に虐待を行っている親が一時保護に反発する背景には、以下のような心理的・社会的な要因が複雑に絡んでいる。
● 支配関係の喪失への恐れ
虐待をする親の多くは、子どもに対して強い支配欲やコントロール欲を抱えており、一時保護によってその関係が崩れることを拒絶する傾向がある。
● 自身の行為の発覚を恐れる心理
保護により児相や第三者によって虐待実態が明らかになることを恐れ、保護そのものを妨げようとする場合がある。
● 世間体や外聞への配慮
特に地域社会との関係が強い家庭では、「子どもを保護された」と知られることが、恥や非難の対象になると捉えるケースも多い。
● 制度への不信や誤解
児相を「家庭を壊す存在」と敵視する親もおり、保護の趣旨や制度内容が十分に理解されていないことも反発の一因となる。
● 経済的・生活的打撃への不安
児童手当の停止や家事労働力の喪失など、保護によって生活に支障が出ると感じることも、反発の動機となる。
子どもが一時保護を望まない理由
一方で、子ども自身が一時保護を望まないことも少なくない。そこには、家庭環境への愛着、不安、恐怖、そして混乱といったさまざまな心理的要因が存在する。
● 親への愛着と混乱
たとえ虐待されていても、子どもは親に対して強い愛着や忠誠心を抱くことが多い。親を守ろうとする行動や、「自分が悪い子だから叱られた」と自己否定的な認知をすることもある。
● 家庭が「普通」と思い込んでいる
虐待が常態化した家庭では、暴力や暴言が日常となり、外部の支援が「異常」に感じられることがある。
● 見知らぬ環境への不安
施設や児相、見知らぬ大人に囲まれる状況に、恐怖や混乱を感じる子どもも多く、安心できる説明や信頼関係が必要となる。
● 学校やきょうだいへの心配
「学校に行けなくなる」「兄弟姉妹やペットが心配」といった、日常生活の変化に対する不安も、保護を拒む要因になる。
● 親からの脅し・刷り込み
「保護されたら帰ってこられない」「牢屋に入れられる」といった誤った情報を親から受け取り、恐怖感を抱いているケースもある。
児相の役割と葛藤
児童相談所は、子どもの安全を守る最前線に立つ存在である。一時保護を行う際には、子どもの命と権利をどう守るかを常に天秤にかけて判断している。
しかし、制度が複雑化するなかで、保護の必要性が明白であっても親の反発や子どもの抵抗によって迅速な対応が難航することもある。児相職員は、保護を進めるべきか、親子関係の修復を優先するかの判断に日々悩みながら、限られた人員と時間の中で支援を続けている。
信頼関係の構築、制度への理解促進、そして家庭や地域との連携など、多面的な支援が求められる現場には、今後もさらなる体制強化と社会的な理解が必要とされている。
浮かび上がる課題と今後の展望
制度改正は、子どもの権利擁護の観点から大きな一歩と評価される一方で、いくつかの課題も指摘されている。
まず、意見聴取のプロセスについて、年齢や精神状態により子どもが自由に意見を表明できる環境が整っていない現場もある。また、児相職員の負担増加も懸念されており、制度だけでなく現場の人的体制・支援強化も求められる。
さらに、親の「同意書」取得の際に、十分な説明がないまま形式的に同意が得られるリスクや、親との対立を不必要に深める危険性も指摘されている。今後は、制度の運用と並行して、現場での丁寧な説明と対話、そして当事者への支援体制の整備が不可欠である。
子ども支援の「両立」へ向けて
今回の制度変更は、子どもの安全確保と家族の権利保護をどう両立させるかという、日本の児童福祉の根幹に関わる問いへの一つの応答である。今後は、制度の運用を通じて、司法と福祉がどう連携し、子どもの最善の利益を実現していくかが問われることになる。