
インフルエンサーのゆいぴすが、GLP-1受容体作動薬「マンジャロ」を腹部に注射する映像が、X上で拡散している。映像は医師自らが投稿したもので、痩身目的で治療薬が使用されているように見える内容だった。ネットでは「心配」「倫理的にどうなのか」といった声が相次ぎ、美容医療と治療薬の境界が改めて問われている。
インフルエンサーゆいぴすとは 影響力が拡散を生んだ背景
ゆいぴすは、XやInstagram、YouTubeなど複数のSNSで活動するインフルエンサーである。
日常の出来事や感情を包み隠さず発信するスタイルで支持を集め、フォロワーとの距離の近さを強みとしてきた。主要SNSのフォロワー数を合算すると、総フォロワー数はおよそ15万人規模に達する。
この規模の影響力を持つ人物の行動は、本人の意図を超えて拡散しやすい。特に美容や体型管理といった関心の高いテーマでは、発信がそのまま模倣や需要につながる。今回の注射映像も、個人の体験談という枠を超え、「痩せるための現実的な選択肢」として受け止められたことで、一気に可視化された。
医師自ら投稿した注射映像が生んだ違和感
今回の映像が大きな波紋を呼んだ理由は、医師自身が注射の様子を撮影し、投稿している点にある。投稿には「マンジャロを購入した途端にクリニックの入り口で打つのは控えてください」との文言が添えられていたが、全体のトーンは軽く、インフルエンサーとのやり取りも冗談めいていた。
医師という立場は、SNS上では強い信頼性を帯びる。専門家が関与しているという事実だけで、安全性や妥当性が保証されているように受け取られがちだ。しかし、実際の医療行為には診察や説明、経過観察が不可欠であり、その過程は映像からは見えない。医療行為が娯楽的に消費される構図に、違和感を覚える声が相次いだ。
痩せ薬として流通するマンジャロ 治療薬の本来の位置付け
マンジャロは、糖尿病治療を目的としたGLP-1受容体作動薬である。血糖値を安定させるために使用され、食欲を抑える作用が副次的に働くことで体重が減少するケースがある。この点が強調され、「痩せ薬」という言葉で語られるようになった。
GLP-1作動薬には複数の種類があり、一部は肥満症に対して保険診療として認められているものも存在する。ただし、それはBMIなどの医学的基準を満たした場合に限られる。誰でも美容目的で使える薬ではない。治療薬が美容文脈で消費されることで、本来の役割やリスクが見えにくくなっている。
美容医療目的での人気 広がる実態と確認できない噂
マンジャロを含むGLP-1作動薬が、美容医療の文脈で使用される例が増えていることは、複数の医療機関や専門メディアの発信から確認できる。国内外で、体重管理を目的とした自由診療として扱うクリニックが存在し、SNSでは体重減少の体験談が数多く共有されている。
一方で、「水商売やモデルに使用者が多い」といった言説について、職業別の利用実態を示す公的データや統計は確認されていない。SNS上の体験談や口コミとして語られることは多いものの、客観的に裏付けられた情報ではない。ただ、体型維持が職業的要請となる業界において、痩身効果が注目されやすい構造があることは否定できない。
問題は、こうした曖昧な噂が事実のように流通し、需要をさらにあおる点にある。治療薬がライフスタイルの一部として語られることで、使用のハードルは下がり、リスクへの意識は薄れていく。
供給不足という現実 治療を必要とする人の影
GLP-1受容体作動薬を巡る問題の核心は、需要の質が変化したことで供給構造そのものに歪みが生じている点にある。糖尿病治療を前提に設計された薬が、痩身目的という別の文脈で大量に消費されることで、医療資源の配分が崩れ始めている。
2023年には、同系統の薬であるオゼンピックが急激な需要増により世界的に供給不足に陥った。日本国内でも、定期的に治療を受けていた糖尿病患者が処方を受けられない事例が相次ぎ、医療現場に混乱が生じた。需要の中心が治療から痩身へと広がったことが、供給の想定を超えた要因とされている。
糖尿病治療において薬の供給が途切れることは、単なる利便性の問題ではない。
血糖コントロールが不安定になれば、合併症リスクが高まり、治療計画そのものの見直しを迫られる。治療薬は継続使用が前提であり、供給の不安定化は患者の予後にも影響を及ぼす。
一方で、美容医療や自由診療の分野では、保険診療とは異なるルートで薬が流通する。結果として、治療目的の医療現場では不足が生じる一方、痩身目的では比較的入手しやすいという逆転現象が起きている。これは個々の医師や利用者の問題というより、制度設計の隙間が露呈した状態だ。
さらに、需要の過熱は価格や供給調整にも影響を与える。需要が高止まりすれば薬価は下がりにくくなり、結果として医療費負担が固定化される可能性もある。治療薬がライフスタイル消費の対象になることで、医療制度全体に長期的な影響を及ぼす点は見過ごせない。
供給不足という現実は、目立つ映像や話題性の裏で静かに進行している。誰が、どの目的で薬を使うのか。その線引きが曖昧になったとき、最も影響を受けるのは、声を上げにくい治療の現場である。
ネットに広がる心配の声と当事者の訴え
今回の注射映像が拡散すると、Xを中心にさまざまな反応が寄せられた。目立ったのは、激しい非難よりも、違和感や不安を静かに言葉にする声だった。「見ていて怖い」「なぜこれを動画にして公開するのか」「宣伝のように感じる」といった投稿が重なり、映像の受け止め方が共有されていった。
中でも印象的だったのが、美しさの価値観そのものに疑問を投げかける声だ。
「最近の、『痩せてさえいればキレイ』って概念がおかしいよね。その辺を歩いている細い女の子、痩せすぎて貧相にしか見えない。あれ、年取ったらどうなってしまうんだろ」
こうした投稿は、特定の人物を責めるものではなく、社会全体に広がる美の基準への違和感を率直に表現している。
痩身を過度に価値化する風潮は、SNSによって強化されてきた。体重や見た目の変化が可視化され、短期間での成果が称賛される一方、健康や将来への影響は語られにくい。注射という医療行為が、その文脈の中で共有されたことで、「痩せることが最優先されていないか」という不安が噴き出した。
また、糖尿病治療の当事者からも切実な声が上がっている。GLP-1受容体作動薬は、体型を整えるための道具ではなく、生活を維持するための治療そのものだ。
そうした立場からは、「軽いノリで扱われるのを見るのが不快」「命に関わる薬が話題性で消費されている」といった訴えが見られた。
これらの反応に共通しているのは、怒りよりも危機感に近い感情である。痩せていることが無条件に肯定され、そのために医療が動員される社会のあり方に、どこかでブレーキをかける必要があるのではないか。映像をきっかけに広がった声は、そうした問いを内包している。
今回の騒動は、単なる個人の選択や発信の問題にとどまらない。「痩せてさえいれば美しい」という価値観がどこまで社会に浸透し、その裏で何が置き去りにされているのか。ネットに広がった心配の声は、その歪みに気づき始めた兆しとも言える。



