
「あれ、今日が最終回だっただろうか」
12月26日の朝、テレビの前でそう感じた視聴者は少なくなかった。NHK連続テレビ小説『ばけばけ』第65話。年内最後の放送は、物語の“区切り”としてあまりにも美しかった。
主題歌は最後に流れ、オープニング写真は映らない。台詞のないまま手をつなぐ二人。夕暮れの宍道湖に沈む光だけが残される。
なぜ人は、この回を「もう最終回でいい」とまで感じたのか。その理由は、演出の派手さではなく、徹底して削ぎ落とされた感情の描き方にあった。
最終回と錯覚した、年の瀬の朝
12月26日の朝、テレビの前でふと手を止めた視聴者は少なくなかった。
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』第65話。年内最後の放送は、「区切り」と呼ぶにはあまりにも完成された余韻を残した。
物語が終わったわけではない。だが、終わったように感じてしまった。
それほどまでに、この日の15分間は静かで、澄んでいて、そして美しかった。
オープニングが来ない 違和感から始まった感動
異変は放送開始から間もなく訪れた。
いつもなら数分で流れるはずのオープニングが、なかなか始まらない。午前8時13分。画面に現れたのは、白地に小さく並ぶクレジットだけだった。
主題歌は、物語の“締め”として流れる。
写真も説明もない。あるのは、歌声と、これまで積み重ねられてきた感情の記憶だけ。視聴者はそこで初めて、「今日は何かが違う」と気づかされる。
重なった別れ、選ばれなかった想い
この回で描かれたのは、選択の連続だった。
イライザ(シャーロット・ケイト・フォックス)は、ヘブンに海外行きを提案するが、即答は得られない。その沈黙に、答えを悟る。
一方、銀二郎(寛一郎)もまた、トキの視線の先にあるものを察し、「諦めます」と静かに身を引いた。
誰も声を荒らげない。誰も相手を責めない。ただ、自分の想いに区切りをつけて去っていく。
その静かな別れが重なったあとに残されたのが、トキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)だった。
「サンポ、イッテキマス」から始まった二人の時間
松江の町で再会した二人。
ヘブンがぽつりと「サンポ…イッテキマス」と言う。
トキは一瞬ためらい、「私も、ご一緒してええですか」と声をかける。
その短いやり取りのあと、物語は一気に言葉を失っていく。
台詞は減り、音は消え、代わりに風景が語り始める。
宍道湖、逆光のラストシーン
夕暮れの宍道湖畔。
逆光の中、二人は並んで歩く。ヘブンはそっと手を差し出す。トキは一度、恥ずかしそうに首を振る。だが次の瞬間、その手を離さなかった。
言葉はない。
聞こえるのは水面の音だけ。二人が画面から消え、その奥に沈みゆく夕日が残される。
説明も、余計な感情表現もない。ただ“手をつなぐ”という行為だけで、これまでの65話が回収された。
朝ドラ受けが証明した「神回」
放送直後の『あさイチ』でも、その余韻は続いた。
MCの鈴木奈穂子アナウンサーは涙をぬぐい、「すみません、こんな回、あります?」と声を詰まらせた。
ゲスト出演していたムロツヨシも、脚本家・ふじきみつ彦の名がタイトル後に表示された瞬間に胸を打たれたと語る。
スタジオ全体が、特別な回を見届けた空気に包まれていた。
なぜ「最終回」に見えたのか
朝ドラは本来、節目ほど説明が増える。
しかし『ばけばけ』は逆だった。言葉を削り、音を減らし、沈黙と風景に委ねた。その選択が、視聴者の感情を深く揺らした。
宍道湖は、モデルとなった小泉八雲が愛した風景でもある。物語の原点に立ち返るようなラストが、「終わり」を連想させたのも無理はない。
終わらないからこそ、残った余韻
物語はまだ折り返し地点に過ぎない。それでも多くの視聴者が「もう最終回でいい」と感じたのは、感情の到達点が、これ以上ないほど美しい形で描かれたからだろう。
年明け、再び日常は動き出す。
だが、あの逆光の宍道湖と、静かにつながれた手の温もりは、しばらく心に残り続けそうだ。



