
警視庁記者クラブに所属する大手メディア記者たちによる不適切な行為が、一部週刊誌報道によって明るみに出た。酒席での逸脱、はやし立て、動画撮影と共有の疑い。にもかかわらず、当事者を抱えるテレビ局や新聞社は沈黙を続けている。権力監視を看板に掲げる記者たちは、その夜、何を見て、何を見過ごしたのか。本件が投げかけるのは、報道機関の根幹に関わる問いである。
酒席の二次会で起きた不適切な行為
問題の舞台となったのは2025年7月、警視庁担当記者が集まった会合の二次会だった。一次会は形式的な懇親の場として行われ、その後、参加者の一部がカラオケボックスに移動したという。
テレビ局関係者の証言によれば、その場にはNHKや日本テレビ、全国紙など、警視庁取材を担う大手メディアの記者が同席していた。酒に酔った日本テレビの男性記者が下半身を露出し、周囲が制止するどころか、はやし立てたことで事態は深刻化したとされる。
結果として、同席していた女性記者とわいせつな行為に及んだとの証言があり、単なる酔余の失態では済まされない状況となった。
はやし立てと動画撮影が示す集団性
この件が個人の不祥事にとどまらない理由は、複数の同業記者が現場に居合わせていた点にある。誰一人として明確に止めず、むしろ場を盛り上げる空気が形成されていたとされる状況は、集団による逸脱行為と評価されても不思議ではない。
さらに深刻なのは、NHKの記者がその様子を動画で撮影していたとされる点だ。証言によれば、その動画は後日、第三者にも見せられていたという。
当該女性記者は当時泥酔しており記憶がないとしながら、知らない間に撮影され、映像が共有されていた事実に強い憤りを抱いているとされる。訴訟の検討も伝えられており、事態は内輪の問題として処理できる段階を過ぎている。
各社の公式見解ににじむ責任回避
この騒動を最初に詳報したのは『女性セブンプラス』だった。同誌の取材に対し、日本テレビは、当該男性記者の行為について「自らの意志によるものかは確認できない」としつつ、「記憶がなくなるまで泥酔し、下着姿で寝ていた点は報道機関の記者として著しく自覚に欠ける」として厳重注意を行ったと回答したという。
一方、NHKは「私的な会合であるため詳細な回答は差し控える」としながら、「動画は本人が削除しており、不適切な言動もなかった。公共メディアの一員として自覚を持って行動するよう厳しく指導した」と説明したとされる。
しかし、動画撮影と共有が事実であれば、削除と指導だけで済ませてよい問題なのか。各社の説明からは、問題の核心を避けようとする姿勢が透けて見える。
私的会合という言葉で覆われる使用者責任
各社が繰り返す「私的な会合」という表現は、責任の所在を曖昧にする。警視庁担当という共通の職務を持つ記者が、取材の延長線上で集まった会合であれば、社会通念上、業務関連性は否定しきれない。
仮に業務延長と認定されれば、企業側の使用者責任が問われる可能性は高い。個人への注意や担当外しだけで幕引きを図るのであれば、それは組織としての説明責任を放棄したに等しい。
特に、被害を訴える声が出ている以上、第三者を交えた調査と処分内容の公表が不可欠となる。
沈黙が招く報道機関への深刻な不信
本件が週刊誌報道にとどまり、テレビや新聞でほとんど扱われていない現状に対し、ヤフーニュースのコメント欄やSNSでは厳しい声が相次いでいる。
「身内の不祥事は報じないのか」「警察を監視する側がこれでは説得力がない」といった批判が目立つ。
特に多いのは、「一般企業であれば連日報じるはず」「セクハラ疑惑なのに温度差が露骨だ」という指摘だ。動画撮影が事実であれば、「なぜ告発ではなく内輪で共有したのか」という疑問も噴出している。
こうした反応は感情論にとどまらない。報道機関の自浄能力そのものへの疑念である。権力監視を掲げる記者たちが、自らの問題に沈黙する姿勢を見せれば、日々発信されるニュースの正当性そのものが揺らぐ。
警視庁記者クラブという「聖域」で起きたこの一件は、記者個人の資質だけでなく、報道機関全体の覚悟を厳しく問いかけている。



