
活動開始から間もないビジュアル系バンド「グランギニョル」が、沖縄で開催した単独公演をめぐり炎上した。公演タイトルや演出で「ひめゆり学徒隊」を想起させる表現を用いたことに対し、「歴史を軽視している」「犠牲者への冒涜だ」と批判が殺到。最終日の公演は中止となったが、謝罪や説明はなく、表現の責任が厳しく問われている。
沖縄公演で何が起きたのか
問題となったのは、グランギニョルが12月10日から12日まで沖縄で開催予定だった単独公演「グランギニョル三連夜 沖縄単独公演『ひめゆり学徒隊』」だ。3日間連続公演として告知されていたが、SNS上で批判が急速に拡大し、12日の最終公演は中止に追い込まれた。
初日のステージでは、ひめゆり学徒隊を強く連想させるセーラー服姿の女学生風コスプレや、空襲警報を用いた音響演出が行われた。また、公演のインフォメーション画像には、セーラー服姿の女学生の顔に黒い目線を入れた写真が使用されており、これらの要素が「戦争犠牲者をモチーフとして消費している」と受け取られた。
ひめゆり学徒隊が持つ重い歴史
ひめゆり学徒隊は、沖縄戦において動員された沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の生徒および教師を指す。看護要員として前線に送られた彼女たちは、負傷兵の世話だけでなく、死体の埋葬や排泄物の処理といった過酷な作業にも従事させられた。
不衛生な環境と深刻な食糧不足の中で衰弱していく者も多く、動員された240人のうち136人が命を落としている。ひめゆり学徒隊は、沖縄にとって過去の出来事ではなく、今も慰霊と記憶の継承が続く極めて重い存在だ。
その名称を公演タイトルに掲げ、視覚的・聴覚的演出に用いることは、強い覚悟と説明責任を伴う行為である。
SNSで拡大した批判の声
公演初日後、演出内容を伝える投稿や画像がSNSで拡散されると、「歴史を軽視している」「沖縄の痛みを踏みにじっている」「表現の自由をはき違えている」といった批判が相次いだ。
中でも多かったのは、「ひめゆり学徒隊は実在の犠牲者がいる歴史であり、ビジュアル演出の素材として扱うべきではない」という声だ。戦争をテーマにした表現そのものではなく、具体的な犠牲者集団の名称とイメージを、娯楽の文脈で使用した点に反発が集中した。
ボーカルkarasuの対応が火に油、公演中止発表も謝罪なし
批判を決定的に大きくしたのは、バンド側の対応だった。ボーカルを務めるkarasuは、自身のXで、ひめゆり学徒隊を想起させるコスプレ姿の写真を投稿。この投稿には、「実際に犠牲者が存在する歴史を笑顔の自撮りに使うのは不快だ」「悲惨な歴史を茶化しているように見える」といった厳しいリプライが寄せられた。
しかしkarasuは、そうした批判的な投稿をリポストするという行動を取った。さらに11日には、「大日本帝国万歳」という文言を添えたライブ衣装の自撮りも公開している。これらの行為は、挑発的というより、歴史そのものを軽んじているとの印象を強めた。
投稿には、「親戚がひめゆりの教師として命を落とした。本当に不快だ」という声も寄せられており、個人の感情論では済まされない問題であることを浮き彫りにした。
こうした状況を受け、12日、グランギニョルの公式Xは「沖縄公演に関しまして多数ご意見を頂きましたため、本日の公演を中止とさせていただきます」と投稿し、最終公演の中止を発表した。
だが、この発表文には謝罪の言葉や、問題となった演出への言及は一切なかった。なぜ批判を受けているのか、どの点について反省しているのかといった説明も示されていない。
12日現在、karasuの問題投稿は削除されておらず、個人としての謝罪も確認されていない。結果として、「炎上を受けてやむなく中止しただけ」「反省の色が見えない」という批判がさらに強まっている。
グランギニョルとはどんなバンドか
グランギニョルは、東京を拠点に活動するビジュアル系バンドで、今年10月に始動したばかりの新鋭だ。メンバーはボーカルのkarasu、ギターの雹夢、ベースのI.O.らで構成され、11月には都内ライブハウスで始動ワンマン公演を行っている。
バンド名は、残酷描写や過激な演出で知られるフランスの演劇様式「グラン・ギニョール劇」に由来するとみられ、ショッキングな表現を志向していることがうかがえる。ただし、過激さと無配慮は同義ではない。
表現の自由と越えてはならない一線
芸術表現において、挑発や不快感を伴う題材が用いられること自体は否定されない。しかし、戦争犠牲者、とりわけ今も地域社会の記憶として生き続ける存在を扱う場合、表現者には高い倫理観と説明責任が求められる。
戦後80年を迎えた今年、ひめゆり学徒隊という名称が、十分な文脈説明や敬意を欠いたままライブ演出に使われた事実は重い。尖ることに固執するあまり、越えてはならない一線を見誤ったのではないか。今回の炎上は、表現と歴史の向き合い方を社会に突き付けている。



