
静かな海面に、わずかに揺れるかき筏。
引き上げられたカキは、口を開けたまま白い内側をのぞかせ、海の異変を物語っていた。
瀬戸内海沿岸で、かつてない規模の カキ大量死 が起きている。広島、岡山、兵庫、全国生産量の8割を占める地域が一斉に揺らぎ、年末年始の需要期を前に危機感が広がる。原因として、広島県は「 高水温×高塩分 」という二つのストレスが長期間続いたことを挙げた。
産地の現場は今、何を見て、何に怯えているのか。
呉市沖 “口を開けた”カキが並ぶ異様な光景
早朝の呉市音戸町。
かき筏から揚げられたワイヤには、殻の口を開けたカキがびっしりと並んでいた。海から引き上げられた瞬間、ぱっくりと開いた殻は、身が入っていないことを静かに告げる。
生産者の1人は、殻を指先で軽く弾きながら言った。
「これは…生きた心地がしませんよ。この何十年で、こんなのは初めてです」
例年であれば、寒さが深まるほど身が太る「冬の味覚」。しかし今季、呉市東部では 8〜9割が死滅。ふるさと納税の返礼品も提供停止となり、漁協は電話対応に追われているという。
被害は瀬戸内海全域へ “81%の産地”が揺らぐ
広島県が生産者に聞き取りを行ったところ、被害は県内ほぼ全域へ広がっていた。
坂町では「全滅に近い」、広島市では「9月に1割 → 10月に5割へ増加」、福山市では「10月中旬から急増」。来年出荷予定のカキまで死んでいる地区もある。
さらに被害は瀬戸内海全体へ。
・兵庫県 播磨灘:例年2~5割 → 今年は最大8割が死滅
・岡山県 日生町:県の事前検査で 4~5割へい死
広島・岡山・兵庫の3県は、日本の養殖カキ生産量の 81%。
このエリアが揃って打撃を受けるのは、極めて異例だ。
高水温と高塩分 “二重のストレス”がカキを追い詰めた
海の変調は、夏の終わりに始まっていた。
広島県立水産海洋技術センターの調査では、県中部~東部の海域で 9月の海水温が平年より2.4℃高い状態が続いた。さらに降雨が少なく、塩分濃度も高止まりした。
センターの担当者は、こう説明する。
「カキは元々、川に近い塩分の薄い場所で育ってきた生き物です。高温と高塩分という二つの負荷が重なったことで、生理的な不調を起こしたとみられます」
カキは産卵後に体力を大きく消耗する。
例年なら水温低下とともに回復するが、今年はその“回復のタイミング”が訪れないまま、弱った個体が一気に死滅した可能性が高い。
呉市の海では、赤潮の発生も確認された。
生産者の1人は、海水をすくったペットボトルを見せながら言う。
「11月、海の色が真っ赤になっていたんです。原因はまだ分からないけれど、何かおかしい」
生産者は“資金繰りの崖”の前に立たされている
瀬戸内のカキ養殖は、冬の数カ月で一年分の売り上げをつくる産業だ。
資材費や燃料代は秋に先払いするため、今季のような大量死は、ただの不漁では済まない。
「今季は売上が例年の2~3割。小さな業者は支援がなければ半分に減る」
という声もある。
呉市の生産者たちは、市に 資金繰りの補助 を要望した。
消費者側にも影響が及ぶ。
広島市内の水産加工会社では、仕入れ価格が 2〜3割上昇。
入荷量は例年の半分ほどで、年末に向けて店頭価格が上がる可能性が高い。
出張で広島を訪れる人からも、こんな声が聞かれた。
「冬の楽しみだった広島のカキ料理…今年は食べられないかもしれない」
カキは食文化でもある。
その文化の根を担う産地が揺らいでいる。
「震災で支援を受けた三陸が、今度は瀬戸内を助ける番」
ネットには、ある投稿が注目を集めた。
「東日本大震災のとき、瀬戸内の支援で三陸の牡蠣養殖は復活した。
今度は、三陸が瀬戸内を助ける番だと思います」
かつて復興の象徴となった三陸のカキ。
今、瀬戸内はその支えを必要としている。
産直サイトなど民間支援も立ち上がり、生産者への応援チケット販売、少量でも出荷できるカキに追加支援金をつけるなどの動きが広がりつつある。
気候変動時代の養殖業「海は忖度してくれない」
コメント欄には、こんな声もあった。
「いつか起きるとは思っていた。海は忖度してくれない。
気候変動を前提にした対策を、今動かないと手遅れになる」
すでに北海道ではホタテが不漁となり、山ではどんぐり豊凶サイクルの変調によってクマが大量出没している。
山と海の環境変化が同時に進んでいる今、瀬戸内のカキ養殖も過去の常識を前提には成り立たなくなってきている。
高温に強い品種育成、海水温モニタリング、陸上養殖の検討。
産地の維持には、時間と投資が必要だ。
静かな海に揺れるかき筏の未来は…
海は、何も語らない。
ただ、揺れるだけだ。
口を開けたままのカキが並ぶ朝、
生産者は殻を一つ手に取り、海を見つめていた。
「なくしたらもう戻れない。だから、何とか守りたいんです」瀬戸内の海が、本来のリズムを取り戻す日は来るのだろうか。
その答えは、私たちの選択と行動にもかかっている。



