ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

高市早苗首相の所信表明演説を妨害――立憲民主党に漂う“品性の崩壊” 国会が怒号の見世物と化した日

コラム&ニュース コラム ニュース
リンクをコピー
水沼秀幸
水沼秀幸議員 Instagramより

2025年10月24日、衆議院本会議で行われた高市早苗首相の初の所信表明演説が、怒号と罵声にかき消された。
壇上で新首相が国家方針を語ろうとする最中、「暫定税率廃止しましょう!」「裏金問題の全容を解明しましょう!」と叫び続けたのは、立憲民主党の議員たちだった。

その騒ぎは政治的主張ではなく、もはや“議場の品格を破壊する騒音”でしかなかった。SNS上では「ヤジ議員」「立民の品性ゼロ」などの言葉が飛び交い、X(旧Twitter)では「ヤジ議員」がトレンド入り。怒りと失望が国民の間に広がった。

 

所信表明がかき消された異常な5分間

高市首相の演説は、就任後初の重要な節目だった。経済再生、防衛体制の強化、社会保障の再構築などを語り始めた直後、議場の左側から「旧統一教会はどうした!」「裏金を説明しろ!」という怒号が飛び交った。

高市氏は一度演説を止め、声の方向を見やる。周囲の議員が「静かにしろ!」「聞こえないんだよ!」と怒鳴り返す場面もあり、緊張は一気に高まった。冒頭5分間、首相の声はしばしばかき消され、演説は断続的に中断された。

国の方針を国民に示すべき厳粛な場が、野党議員の怒鳴り声によって“見世物”と化したのである。

 

“劣化した野党文化”の象徴――立憲民主党の品位崩壊

今回の混乱の中心にいたのは、立憲民主党の議員たちだ。
なかでも、ヤジを飛ばしたとされる水沼秀幸議員(35)の存在が象徴的だった。

水沼氏は千葉県船橋市出身、早稲田大学商学部卒業。東京海上日動火災保険株式会社などで勤務したのち、立憲民主党から衆院千葉4区に出馬し初当選(1期)した若手議員である。企業出身でありながら、労働政策や中小企業支援など現場感覚を重視する政治姿勢を掲げてきた。

だが、国会ではその「行動力」がしばしば過剰に表れ、冷静さを欠く場面も少なくない。今回のヤジ騒動でも、政策論争ではなく怒号で存在感を示そうとする姿勢が目立った。

問題は、こうした行為を党内が容認している点にある。立憲民主党は「市民に寄り添う政治」を標榜しながら、議場では相手の発言を遮り、怒声を飛ばす。発言の中身よりも声の大きさで注目を集めようとするその態度は、もはや劣化した野党文化の典型といえる。

かつて国会では「ヤジは議場の華」と呼ばれたが、いまやその「華」は枯れ果てている。中身のない罵声が政治を覆い、品位を失った野党が国民の信頼を得られるはずもない。

 

SNSでは「品性ゼロ」「野党の恥」――国民の怒りが爆発

ヤジの映像が拡散されると、X上では「黙って聞けや」「人の話を聞けない国会議員いらない」「日本の恥」「昭和の政治から抜け出せ」といった投稿が相次いだ。
立民に対する不信感は高まり、「もう支持できない」「怒号で政治を動かす時代じゃない」といったコメントが大量に寄せられた。

タレントのフィフィ氏も同日、自身のXでこう怒りをぶちまけた。

「国民の聞く権利の侵害です!さっさとつまみ出して欲しい、ちゃんと聞きたいのに集中できない、頼むよ。」

この投稿は瞬く間に拡散され、数万件の“いいね”を集めた。
「国民の聞く権利を奪ったのは、国民の代表を名乗る議員たち」という批判は、立民に対する痛烈な皮肉である。

 

政策論争より怒鳴り合い――“声だけの政治”の限界

本来、野党の使命は権力を監視し、論理と根拠で政府を質すことにある。
だが、いまの立憲民主党がしているのは、論理ではなく怒号。対話ではなく罵声。政治的な中身を失った“声のパフォーマンス”に、国民はうんざりしている。

かつて民主党政権が瓦解したとき、多くの国民が求めたのは「政策力」と「誠実さ」だった。だが、立憲民主党はその教訓を生かせず、相変わらず「声の政治」にしがみついている。

今回のヤジ騒動は、立民の存在意義を問う重大な事件である。政策を語らず、相手を怒鳴りつけることしかできない政党が、どうして国民の信頼を得られるだろうか。

 

礼節を失った政治に未来はない

国会は「国権の最高機関」であり、言葉の重みが最も尊ばれる場である。
にもかかわらず、その舞台で怒鳴り合いが繰り返される光景は、政治の劣化そのものだ。

政治は闘争ではなく、国民の生活を導くための知的対話でなければならない。
怒号では何も生まれない。必要なのは、冷静な論理と、相手の言葉に耳を傾ける度量である。

立憲民主党は、かつての理想を思い出すべきだ。「声の大きさ」ではなく「言葉の深さ」で政治を動かす覚悟を持たなければ、政党としての信頼は二度と戻らない。

高市首相の所信表明演説を妨害した一連の行為は、単なるマナー違反ではない。
それは、立憲民主党が国民から託された“言葉の責任”を放棄した瞬間であり、議会政治の根幹を揺るがす背信行為である。

今こそ問うべきだ――「議論とは何か」「政治家の品性とは何か」を。
怒号に沈んだ国会に、民主主義の灯はまだあるのか。


Tags

ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

関連記事

タグ

To Top