
「人の名前が出てこないし、やったことを忘れている」──今年80歳を迎えたタモリが、自身に認知症の兆候があると明かした。9月6日放送のNHK総合『知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?』での発言は、多くの視聴者を驚かせただけでなく、芸能界の“重鎮”が抱える老いの不安を社会に示す出来事となった。
タモリがNHKで語った「認知症の兆候」
番組では、タモリは「冷蔵庫を開けて何をしに来たのか忘れてしまう」と、冗談を交えて自身の体験を明かした。笑いを取る口調ではあったが、その裏には、同級生が実際に認知症を患っているという現実がある。「これはちょっと他人事ではない」との言葉は、長寿社会に生きる誰もが直面する課題を代弁するように響いた。
放送後、SNSでは「自分も同じ経験がある」「タモリが語ると不安が少し和らぐ」と共感の声が相次いだ。芸能評論家も「トップタレントが自らの老いを笑いに変えて公表する意義は大きい。認知症を恥じるのではなく、社会全体で受け止めるべきというメッセージになった」と指摘する。
『いいとも!』終了後も続く現役活動
1982年にスタートしたフジテレビ系『笑っていいとも!』は、昼の顔として32年間放送され、終了時には大きな社会現象となった。その後もタモリは多くのレギュラー番組を抱え、2022年には40年続いた『タモリ倶楽部』も幕を下ろした。たびたび「引退説」が囁かれたが、現在も『ミュージックステーション』と『ブラタモリ』という看板番組を続けている。
特に『ブラタモリ』は、街の歴史や地形を独自の視点で読み解き、難解なテーマもユーモラスに紹介。地質学者や歴史研究者との軽妙なやり取りは、専門家からも高く評価されている。NHK関係者は「タモリさんは下調べを欠かさず、番組スタッフの説明を一瞬で理解して自分の言葉に置き換える。知的好奇心は衰えていない」と語る。
趣味人としての顔と赤塚不二夫への恩義
タモリといえば芸能活動だけでなく、趣味人としての顔も広く知られている。ジャズ愛好家としては、1000万円を投じて作ったオーディオルームを持ち、約1万枚のレコードを収集。演奏も嗜み、トランペットの腕前はプロからも一目置かれる。料理の腕も確かで、正月には芸能仲間に鍋や手料理を振る舞い、家庭的な一面を見せる。さらに1級小型船舶操縦士の免許を持ち、自身の名を冠したヨットレース「タモリカップ」を主催したこともある。
そんなタモリを芸能界に導いたのが、漫画家・赤塚不二夫だった。下積み時代に赤塚宅で居候し、赤塚の死去に際して述べた“白紙の弔辞”は今も語り草だ。「私もあなたの作品の一つです」と語ったその姿は、恩人への感謝と、自身の芸人人生の原点を示していた。
福岡の不動産売却ににじむ「終活」
タモリの「老い」への向き合い方は、資産整理にも現れている。生まれ育った福岡市では、親族から相続した100坪超の土地にアパートを建て、40年近く所有していたが、2019年に売却。さらに2023年には、35年間所有してきた市内の別の土地も手放した。
地元の不動産関係者は「家賃収入も見込める資産だったが、年齢を考えて“終活”の一環として整理したのだろう」と話す。芸能界でも、黒柳徹子やビートたけしら同世代が資産整理を進めており、タモリの判断も世代的な流れの一部といえる。加えて、1万枚に及ぶジャズレコードも外部に寄贈しており、次世代に文化を引き継ぐ姿勢を見せている。
妻と歩む日常に映る「今を生きる」哲学
タモリを長年支え続けたのは、福岡で保険外交員をしていた時代に結婚した2歳年上の妻である。糟糠の妻として下積みから今日まで伴走し、現在は都内の高級住宅街にある豪邸で二人暮らしを送る。近年は妻も足腰が弱まり、タモリが買い物や家事を手伝うことが増えている。
テレビ局関係者は「『いいとも!』終了の背景には、妻と過ごす時間を優先したいという強い意向があった」と証言する。
後輩の森口博子が「年齢を重ねて以前できたことが難しくなった」と相談した際、タモリは「昔できていたことが正解とは限らない。今できることを一生懸命やればいい」と答えた。妻と共に日常を丁寧に重ねる現在の暮らしは、その哲学を体現している。
認知症と共生する社会への示唆
厚生労働省の推計では、2025年には65歳以上の約5人に1人が認知症を患うとされる。著名人が率直に不安を口にすることは、社会的な意味を持つ。タモリの告白は「老いを隠さず、笑いを交えて受け入れる姿勢」を示し、多くの高齢者や家族に勇気を与えた。
芸能評論家は「タモリは“老い”を自分の言葉で社会に返した。これは単なる芸能ニュースにとどまらず、高齢化が進む日本社会への重要なメッセージだ」と語る。