
島根県奥出雲の草むらで発見されたひとりの男性。名を「田中一」と名乗ったが、過去の記憶はすべて失われていた。残されていたのは、ポリ袋に入った60万円、空の財布、ブランドバッグ、そして頭に焼き付いた大阪・道頓堀のグリコ看板の光景だけ。テレビ報道をきっかけにSNSで「見覚えがある」との声が相次ぎ、鎌倉のアパレル店ブログに酷似した写真が見つかる。さらに都内在住の40代男性ではないかとの有力情報も寄せられ、謎解きの物語は次の段階へ進もうとしている。
発見の瞬間 島根の草むらで目覚めた男
7月10日ごろのことだ。島根県奥出雲町の国道314号線脇、夏草の生い茂る草むらでひとりの男性が目を覚ました。襲ったのは激しい頭痛。そして目を開けた時には、自分が誰なのか、どこから来たのか、その記憶がすっかり失われていた。
彼は「田中一」と名乗った。しかし、それが本名なのかどうかも分からない。ただ確かに存在したのは、ポリ袋に入った約60万円の現金、ブランド物のバッグ、そして空の財布やスマホのバッテリーだった。
「気がついたら草むらの中にいたんです」
田中さんは後にそう語っている。記憶喪失のまま歩き出し、数日間は野宿をしながら過ごしたという。
謎の60万円と空の財布
持ち物の中でひときわ異彩を放つのが、現金60万円だ。財布には一円も入っていなかったのに、現金はポリ袋にまとまって残されていた。しかもブランドバッグは空っぽ。
逃避行の資金だったのか、それとも誰かから預けられたのか。なぜポリ袋なのか。推理小説のように“解かれるべき謎”がそこにある。
金銭的な余裕があったのか、彼はその現金でテントや生活用品を購入。野宿を繰り返しながら旅を続けたという。記憶は失っても、生き抜こうとする行動力は残されていた。
断片的な記憶。道頓堀のグリコ看板
田中さんが唯一思い出せたのは、大阪・道頓堀のグリコ看板だった。きらびやかなネオンの光景だけが、断片的に頭の中に焼き付いていたという。
彼はその手がかりを求めて大阪へ向かった。道頓堀を歩いても、記憶は戻らない。それでも「自分とつながる唯一の糸口」と信じ、心を頼ったのだろう。
やがて彼は飲食店で働き始め、暮らしをつないだ。だが、記憶が戻らないまま日々は過ぎていった。
浮かび上がる“過去”
自分が何者かを知りたい。その思いから、彼は大阪のNPO法人「ぴあらいふ」の協力を得てテレビ番組に出演。情報提供を呼びかけた。
すると放送直後、SNSには「前の職場の上司にそっくり」「一緒に仕事をしたことがある」という声が殺到した。さらには、鎌倉市内のアパレル店「JAMES & CO.」の2009年のブログに写った男性が、田中さんではないかという指摘も飛び交った。
そのブログには、全国からバイヤーが集まった展示会の様子が写っており、16組の来場者のうちの1人が田中さんと瓜二つだったのだ。
「もしかしてアパレル関係者?」そんな憶測が一気に広がった。
ネット探偵たちの推理
この情報は瞬く間に拡散し、ネット上ではまるで推理合戦のように議論が巻き起こった。顔認証検索サービス「PimEyes」を使い、耳の形や輪郭から同一人物と断定する声も現れる。
だが、アパレルブランド「JAMES & CO.」は9月3日、公式サイトで「該当の男性は弊社スタッフではありません」と声明を発表。あくまで展示会の来場者の一人であり、社との関係はなかったと説明した。
SNS時代の“群衆探偵”の力を見せつける出来事だったが、同時に憶測の怖さも浮き彫りにした。
家族の名乗りと身元特定への前進
続報が流れたのは9月3日のことだ。ABCテレビが「東京都内在住の40代男性ではないか」と報じたのだ。家族や同僚とみられる人から、NPO法人に有力情報が寄せられていた。
「親子とみられる方から連絡がありました。たぶん間違いないと思います」ぴあらいふの担当者は取材にそう答えている。
すでに約300件の情報が集まり、身元確認へ向けて大きく動き出した。近日中に家族と会う予定だという。
田中さん自身も「大きな前進になりました」と安堵の表情を見せた。失われた記憶がすぐに戻るわけではない。それでも、自分が“誰なのか”を知ることは、これからの人生を取り戻すための大切な一歩だ。
残された謎はどこへ導くのか
なぜ島根の奥出雲で発見されたのか。60万円の出どころはどこなのか。なぜ大阪の看板だけを覚えていたのか。
多くの謎はまだ解かれていない。だが、家族と再会すれば、新たな記憶の糸口が見つかるかもしれない。
「失った記憶を取り戻すのは簡単ではない。でも、自分が何者かを知ることで前に進める」支援団体はそう語る。
田中さんの物語は、まだ序章にすぎない。ネットを舞台に繰り広げられた推理劇の先に、彼の本当の人生が再び始まろうとしている。