
グランドスラム決勝、五輪メダル、ツアー通算450勝。日本テニス界の枠を飛び越え、世界を魅了し続けた男、錦織圭。なぜ彼は”伝説”と呼ばれるのか。そのすごさを、記録と記憶の両面から紐解いていく。
歴史的快挙の連続、日本男子初の世界ランク4位
錦織圭は1989年、島根県松江市に生まれた。5歳でラケットを握ると、わずか14歳でアメリカ・IMGアカデミーへ単身留学。2007年のプロ転向から才能は一気に開花する。
2008年、18歳でデルレイビーチ国際を制し、日本人男子として松岡修造以来16年ぶり2人目のATPツアー優勝者に。しかも、この快挙は史上2番目の若さでのツアー制覇だった。
その後も快進撃を続け、2015年にはついに世界ランキング4位へと到達。これは日本男子史上最高、アジア男子でも未踏の高みだった。
世界が震えた全米決勝進出 “世界のKei”誕生
錦織圭の名を世界中に知らしめたのは、2014年の全米オープンでの躍進だ。
マリン・チリッチ、ワウリンカ、そして当時世界No.1のノバク・ジョコビッチを破り、日本人として初のグランドスラム決勝に進出。惜しくも優勝は逃したが、「アジア男子初の決勝進出」という金字塔は、今なお塗り替えられていない。
ナダルは「彼は確実にトップ5に入ってくる。いや、100%そうなる」と当時断言していた。
「エア・ケイ」で時代を象徴する存在に
錦織の代名詞といえば、“エア・ケイ”と呼ばれるジャンピングフォア。スピードと俊敏性に加え、鋭い読みと粘り強さを兼ね備えたプレースタイルで、BIG4にも何度も土をつけてきた。
グランドスラムでのベスト8以上の成績は実に17回。2016年リオ五輪ではナダルを破って銅メダルも獲得した。これは男女通じて日本テニス史上、96年ぶりの快挙だった。
さらには、マスターズ大会でも4度の準優勝、ツアー通算12勝、オリンピック3大会連続ベスト8と、世界のトップ選手と互角に渡り合ってきた戦績は、他のアジア勢を大きく引き離す。
ケガを超えて ツアー450勝の偉業
2017年以降、幾度もケガに悩まされ、長期離脱を余儀なくされた。だが、錦織は決して諦めなかった。2023年にチャレンジャー大会で復帰を果たすと、2025年4月、マドリード・オープンでツアー通算450勝を達成。これは現役男子で8人目となる記録である。
どれだけ体が悲鳴を上げても、「もう一度世界の舞台で戦いたい」という強い思いが彼を突き動かした。40代を前にしてもなお、進化を止めない姿は、まさに“現役のレジェンド”と呼ぶにふさわしい。
かつてのライバル、ロジャー・フェデラーは「彼は日本のヒーローであり、私も尊敬する選手の一人」と語った。BIG4としのぎを削った“もうひとつの主役”として、錦織は時代の一角を担った。
錦織圭が残したもの “諦めない才能”
グランドスラム優勝は叶わなかった。しかし、どれだけ高い壁があっても、あきらめず、挑み続けたその姿は、多くのファンや後進の選手たちにとって、揺るがぬロールモデルとなった。
「世界一じゃなくても、人の心を動かせる」
それを証明してみせたのが、錦織圭というアスリートだった。
錦織圭は「奇跡のプレイヤー」ではない。努力と忍耐で“伝説”を自らの手で作り上げたアスリートだ。その軌跡は、これからも語り継がれるだろう。
以下からはエピソード10選の形にして紹介していく。
1. 日本男子史上初のATPツアー優勝(18歳)
2008年、18歳の錦織はデルレイビーチ国際を制し、日本男子で松岡修造以来16年ぶりとなるATPツアー優勝を達成。これはツアー史上2番目の若さでの制覇でもあった。
2. ナダルが予言「100%トップ5に来る」
若き錦織のプレーに感銘を受けたラファエル・ナダルは、「彼は確実にトップ5に入ってくる」と断言。世界がその才能を見抜いていた。
3. 全米オープン準優勝(2014年)
2014年の全米でジョコビッチ、ラオニッチ、ワウリンカらを破り、日本人として初のグランドスラム決勝進出を果たす。アジア男子としても史上初の快挙だった。
4. 世界ランキング4位到達(2015年)
錦織は2015年、ついに世界ランキング4位に到達。これは日本男子、そしてアジア男子としても未踏の高みに他ならない。
5. リオ五輪銅メダル(2016年)
リオデジャネイロ五輪ではラファ・ナダルを下し、男女通じて日本テニス界96年ぶりのメダルを獲得した。オリンピック3大会連続ベスト8も達成。
6. ツアー通算12勝と450勝の偉業
2025年、マドリード・オープンで通算450勝を達成。これは現役男子でもごくわずかな選手のみが到達する偉業であり、錦織がレジェンドである証明でもある。
7. “エア・ケイ”という唯一無二の技
ジャンプしながら打ち込むフォアハンド──通称「エア・ケイ」。この技は錦織の代名詞となり、世界中のファンを熱狂させた。
8. BIG4との数々の死闘
ナダル、ジョコビッチ、フェデラー、マレー。四天王とも言われるBIG4に何度も挑み、幾度となく勝利を重ねた。“もうひとつのBIG”の象徴だった。
9. 鉄壁のリターンと世界屈指のフットワーク
そのリターン力はジョコビッチにも匹敵すると評されることも。ベースラインから下がらない強気な姿勢とスピードは、観る者を魅了した。
10. ケガを超えて戻る姿そのものが“伝説”
度重なるケガと手術──それでもコートに戻る錦織の姿に、多くのファンが勇気をもらった。2023年の復帰戦優勝、2025年の香港での準優勝など、挑戦は今も続いている。