
タレントの中川翔子さん(40)が、6月5日に発売された任天堂の新型ゲーム機『Nintendo Switch2』をめぐって新たな炎上騒動に見舞われている。だが今回の火種は一度の失言にとどまらず、過去の“虚言癖”ともとれるエピソードが再び注目を集め、「伝説のデータベース」がネット上で再発掘されている状況だ。
きっかけは「開封動画」 緩衝材からレシート、そして疑惑へ
事の発端は6月8日、中川さんがYouTubeに投稿した「Switch2をゲット、開封、プレイ!」という動画だった。テンション高く本体を開封する中、注目を集めたのは“緩衝材の中からレシートが出てくる”という瞬間だった。
動画視聴者からは、
「家電量販店ってレシートそんな入れ方しないよね?」
「まさか転売ヤーから……?」
といった疑念が噴出。その後、X(旧Twitter)でも炎上が加速した。
「転売ヤーから買ってないです」と否定も、冷静なツッコミが殺到
中川さんは6月15日に自身のXで、
「憶測で断定されたりいろいろ言われて悲しいから触れたくなかったんですが、Switch2は絶対にフリマサイト、転売ヤーから買っていません。完全に間違った情報でここまで色々言われて悲しいです」
と投稿。しかし、すぐさま以下のような“やさしいツッコミ”が飛び交った。
「うーむでも貴殿の性格なら当選メールが来た時点で投稿してませんか?」
さらに、動画のコメント欄が突如閉鎖されたことで、火消しどころか燃料追加と受け止められたかたちに。
事務所は「友人が家電量販店の抽選で当てて、妊娠祝いで譲ってくれた」と釈明。だが「“買えたよ!”と叫んでしまったのは誤解を招いた」とした説明に、ネット民の反応は冷ややかだった。
SNSでは“中川翔子の虚言癖伝説”が再注目
ここで再燃したのが、過去にもたびたび取り沙汰されてきた「中川翔子の虚言癖」伝説である。SNS上では、過去に中川さんが発信した“オタク愛”に関する発言の数々が再発掘され、もはやコピペレベルで拡散されている。
以下に、その一部を紹介する。
◆中川翔子・虚言癖伝説 2025年最新版
- 「ジョジョ好き」なのに、作中キャラ名が一切出てこない。ポーズも取らない。
- 「ドラゴンボール好き」なのにヤジロベーを知らない。かめはめ波とギャリック砲を間違える。
- 「セーラームーン愛」語るも、名台詞・決めポーズすら怪しい。
- 「コードギアスは神作品」なのにユーフェミアを知らない。
- 「銀魂好きです!」→エリザベス知らない。
- 「ガンダムはSEEDから見た」→2007年に見たと発言するも、「SEEDから見たい」と2023年に初視聴発言。時空を超える。
- 「三人麻雀で国士無双をアガった」と写真を投稿するも、不自然な捨て牌の並びに“嘘では?”と話題に。麻雀界隈も首をかしげた。
- 「ロザリオとバンパイア大好き」→メインヒロインを知らない。
- 「ポケモン映画で感動」→小学生の頃と言うが、公開当時すでに中学生だった。
- 「漫画家●●先生は小学生時代から好き」→その漫画家、デビュー時期が完全に矛盾。
- 「自分の猫が死にました」→写真が他人の猫だったと疑われる。
- 「スマホ版ドラクエ3をプレイしてます!」→進行速度が人間離れしてて“エミュ疑惑”浮上。
このリストが拡散されるたびに、「知ったかぶりが酷い」「虚栄心の固まり」「設定に厳しいオタク界でこれは致命的」といった批判が再燃しており、改めて“中川翔子=にわか芸人”というイメージが定着しつつある。
知識より“態度”が問われる時代に
もちろん、好きな作品すべてを完璧に語れる必要はない。記憶違いや勘違いは誰にでもある。しかし、オタク界では「知ったかぶり」「浅いのに語る」ことに対しては厳しい視線が向けられるのも事実。
ネット上では、
「記憶が混同してるんじゃなくて、“都合よく脚色”されてるように見えるのが問題」
「ヲタク界の矢口真里」
「知らないなら知らないでいい。問題は“知ってるフリ”」
といった反応が並ぶ。
中川さんは、かつて「オタク=キモい」の時代にそれを“肯定可能な文化”に押し上げた功労者の一人でもある。だがその功績すら、こうした“言行不一致”によって色褪せてしまっているという声も根強い。
Switch2騒動は収束するのか、それともまた新たな“設定ミス”で燃え上がるのか──。「しょこたん伝説」は、今もなお更新され続けている。
虚言か、演出か、それとも天然か──しょこたんの“らしさ”に振り回される私たち
中川翔子さんの発言は、確かに辻褄の合わないものや「ちょっと盛ったのでは」と首を傾げたくなるものが少なくない。だが一方で、それらが致命的な悪意を帯びているかといえば、そうでもない。
ネットでは「虚言癖」「にわか」と散々な言われようである一方、こうした“意味のない嘘”や“記憶のねじれ”こそが、しょこたんという人物の本質ではないかという声もある。
まるで夢と現実の境界線が曖昧なアニメキャラのように、時に世界線を飛び越え、時にストーリーを勝手に補完し、そして堂々と語ってしまう――その不思議なバグっぽさ、ノイズ感すら「しょこたんの味」であり、“愛される理由”の一部なのかもしれない。
正しさより熱量、整合性より勢い。
その曖昧な境界に立ち続けるからこそ、しょこたんは今もなお、“虚言の伝説”とともに語られ続けている。